忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[174] [173] [172] [171] [170] [169] [168] [167] [166] [165] [164]

地下道を出よう欠片になる前に  くんじろう

sekigahara7.jpg

慶長5年9月15日の関が原合戦の模様

≪家康の本陣には、

 「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)の旗が立っている≫

「関が原の火種―上杉景勝の事情」

上杉景勝は、秀吉が亡くなる年に、

越後から会津に移ったが、
すぐに上京することになったので、

新しい領国内の整理が不十分だった。

そんな事情のところに、

越後には堀秀治との紛争を抱え、

南の宇都宮には蒲生、北東の岩出山には、

伊達という旧領主が、
領主不在の不安定な上杉の領地を、

虎視眈々と狙っていた。

加えて上杉家は、大幅に領地が増えたため、

新しく家臣を抱え、領内運営のために、

公共事業を、起こさねばならない事情にあった。

大きく振り被った次の音  蟹口和枝

kanetugu1.jpg


  直江兼続

そこで上杉家家老の直江兼続が、

若松の北方にある「神指原」というところに、

大きな城の工事を始めた。

景勝や兼続の動きを封じたい家康は、こことばかりに、

景勝らの行動を非難すると同時に、

書状をだして釈明を求めた。

しかし、兼続は、これを拒否。 

「武器を集めるのは、茶碗を集めるようなもの。

 上杉を疑う徳川にこそ、企みがあるのでは」

 

同時に、兼続は挑発的な返答で切り返した。

世に言う「直江状」である。

底辺は天の不正を許さない  森廣子            

兼続のこの自信は、どこからでてきたものか。

それは、兼続が秀吉から、

「羽柴」・「豊臣」の姓を、名のる事を許され、

米沢で、30万石を与えられていたからだ。

石田三成が19万石だから、

秀吉の兼続待遇と信頼は、破格である。

こうした、これまでの秀吉の恩義に応えるべく、

兼続が、家康の最近の胡散臭い態度に、

注射をうつものだった。

俎が立ってきゅうりが正座する  森 茂俊

kanetuguzo.jpg

  自信に満ちた兼続像

いろいろと上杉に難癖をつけ、家康は、 

「景勝は逆賊、謀叛の恐れあり」

 

として、秀頼に上杉討伐を申し出、会津へ向けて出発する。

これには、家康の計算があった。

≪自分が戦地に赴いている間に、

   三成に「反・家康軍」を組織させる時間を与え、

   それを粉砕することで、

   天下の覇権を一気に握るという、思惑があった。

尻尾振りチャンス待って居たんだね  中井アキ

「慶長5年7月17日、針は関が原を向いて」

家康は、
下野国(しもつけのくに)小山まで来たとき、

「石田三成挙兵」の知らせを受けた。

その際、家康は一芝居打つ。

随行した将を集め、

「三成に味方する御仁は、遠慮なく陣払いするがいい」

といい放った。

すると豊臣恩顧の福島正則が、

「家康につく」と宣言したことで、

大名たちは続々と、徳川の味方についたのである。

うず潮の円周率に乗ってみる  和田洋子

seki-8.jpg

そこまでは、家康の思惑通りだったが、

予想外だったのは、

三成が、8万強という大軍を組織したことだった。

狸の家康に対して、狐・三成も、したたかに動いていた。

7月に、盟友の大谷吉継を佐和山城に招き、

家康打倒の計画を打ち明けた。

そして、かねてより示しあわせていた毛利輝元が、

大坂城に入って、総大将に決まり、

奉行らから、『内府違い』の檄文が送られていた。

炎沈めて黒はいよいよ黒となる  太田のりこ

そして、小早川秀秋を総大将にした軍勢が、

家康の留守居だった鳥居元忠が籠もる、

伏見城への、
攻撃を開始した。

細川藤孝(幽齋)の田辺城にも、攻撃をしかけた。

こうして、迎えた9月15日、

家康率いる東軍・7万4千は、

三成率いる西軍・8万4千と美濃・関が原で衝突する。

八起き目は笑いの渦の中である  和田洋子

5dce4549.jpeg

大河ドラマ「お江」・第36回-「幻の関が原」  あらすじ

天下分け目の戦いとして知られる「関が原の戦い」は、

茶々、初、江の三姉妹が、

敵味方に分かれた合戦でもあった。

当時、茶々は大坂城、

初は大津城、

江は江戸城にいた。

片方の耳はあしたに取ってある  石部 明

決戦が迫る中、近江・大津城の高次(斎藤工)は、

一旦は三成方として出陣しながら、

突然城へ戻って、守りを固め、

今度は、家康(北大路欣也)につくという、

綱渡りを演じてみせる。

これに激怒した三成(萩原聖人)は、

すぐさま大軍を差し向けて、大津城を攻撃。

悪いのはみんなあんたと低い声  佐藤正昭

38662578.jpeg     

初(水川あさみ)は、3度目の城攻めを経験することになる。

甲冑に身を包み、必死に城を守る初。

とそこへ、淀(宮沢りえ)高台院(大竹しのぶ)の意を受けた、

大蔵卿局(伊佐山ひろ子)孝蔵主(山口果林)が、

大津城にやってくる。

「和議を結べ」と説得にきたのだ。

のたうち回ってる 確かめあってる  前中知栄

その後、豊臣秀頼を擁し、家康打倒を掲げて挙兵した三成は、

主に西国の諸大名からなる軍勢を、

東に向かわせ、対する家康は、

三成に反感を抱く豊臣恩顧の諸大名を、

西に向かわせた。  

≪まず福島正則たちは、城主・織田秀信の岐阜城を陥落させる。

    三成の出鼻を挫くが、浅井三姉妹にとり、

    秀信の父・織田信忠は従兄弟にあたる≫

  

陽炎が人の形になるよすが  蟹口和枝

2ab37cb3.jpeg

家康は、秀忠にも、出陣を命じた。

徳川軍の先鋒隊として、

秀忠(向井理)は、3万8千の総大将を任された。

江は出陣前の夫に、信長から市に、

そして今は、江の手に渡った

「天下布武」の印判をお守りとして渡した。 

マタタビのエキスを目薬に混ぜる  井上一筒

 

岐阜城陥落後、家康自身も、東海道を西に向かい、

決戦の地・関が原を目指す。

秀忠は、中山道を西に向かった。

家康が徳川家の当主だったが、

徳川勢本隊を率いていたのは、秀忠の方だった。 

大将軍鎧の下は蚊の心臓  ふじのひろし

 

その頃、近江佐和山城の三成も動き出していた。

豊臣政権の5大老の1人で、

家康に唯一対抗出来る大大名の、毛利輝元を総大将に仰ぎ、

大坂城本丸にて、西軍の軍議が開かれた。

三成の反乱を下野の地で知った家康は、

小山で評定を聞き、

結城秀康を上杉の抑えに残して、

全軍、引き返すことにした。

足どりが弾む獲物の匂いする  三村一子

ueda-koubou.jpg

上田城大手門で衝突する秀忠隊(白)と真田隊(赤)

中山道を進む秀忠隊は、

東海道を行く家康隊と、美濃で落ち合う予定だった。

だが、兵を進める秀忠の前に、

戦上手で知られる信濃・上田城の真田昌幸(藤波辰爾)、

幸村(浜田学)親子の抵抗に遭い、

無駄に時間を費やしてしまい、

また、大雨の泥濘で行軍は遅々と進まず、

関が原の戦いに、間に合わなかった。

2fe6bd3f.jpeg

秀忠が、関が原に到着したときには、

既に5日も前に、東軍の勝利で決着していた。 

中程で仏間がしてる生欠伸  岩根彰子

 

拍手[5回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開