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川柳的逍遥 人の世の一家言
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動物園起きていたのはキリンだけ  片岡加代

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    山 岡 鉄 舟

『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、
 始末に困るものなり。
 この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は、
 成し得られぬなり』


「西郷どん」 山岡鉄舟

3月15日に決まった江戸城総攻撃を中止させようと、山岡鉄舟は、
危険をかえりみず、官軍が陣営をひく駿府城へ駆け付けた。
勝海舟の手紙を西郷に届けるためである。
この時官軍の陣所を通るために、薩摩藩士・益満休之助を引き連れた。
益満は三田薩摩屋敷焼き討ちのときに幕府に捕えられ、
勝海舟の屋敷に預けられていたのである。
3月9日に山岡は西郷に会い、勝海舟の手紙を渡した。
この時の山岡の勇気を讃えたのが、西郷の名言にもなる文頭の
「命もいらず・・」である。

言わんでもその顔見たら分かります  北原照子

海舟の手紙には、徳川家の助命など一言も書かれていなかった。
それどころか「徳川の臣は一致して恭順しているが状況は険悪で、
いつ不測の事態となり静寛院宮(和宮)に危険が及ぶかもしれない。
官軍は条理をただして、処理を誤らないでほしい」
というのみであった。
西郷のことをよく知る海舟は、歎願は通用せず、平等な立場から
大義名分を説くほうが効果があると見抜いていたのである。
西郷も海舟の真意を深く察し、慶喜の処分と江戸総攻撃について
緊急の参謀会議を開いた。

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海舟の手紙に対して、西郷は7カ条の条件を提示した。
鉄舟は一点、「慶喜の備前藩預け」について幕臣として断じて
承諾できないと拒絶した。
そして「私とあなたの立場を入れ替えてお考えいただければ、
ご理解頂けるはず」と迫ったが、
西郷も「朝命である」と一歩も引かず、激論となった。
やがて西郷は鉄舟の誠意に心を打たれ、
「慶喜公の事は私が一身に引き受けるので、ご安心ください」と言い、
決死の覚悟でやってきた山岡の労をねぎらった。
さらに江戸に入って勝と会談することを約束し、
鉄舟に通行証を与えて帰した。

とりあえずうなずいておく偉い人  山口ろっぱ

3月11日、西郷は江戸郊外にある池上本門寺」に入った。
そして13日に江戸高輪の薩摩藩邸で海舟と会見する。
2人は初対面ではなく、以前から面識があった。
元治元年(1864)9月に、禁門の変後の幕府の方針を聞くために、
西郷が勝海舟を訪問していたのである。
この時、2人は互いにただならぬ人物であると感じ、認めあっていた。
江戸城中では徹底抗戦を主張する声が高まっており、
西郷の出した条件が受け入れられる可能性はなかった。
海舟は、あ抗戦派に恭順するように説いたが聞き入れられず、
そればかりか命を狙われている状態であった。
海舟も必死だったのである。

線の通り歩くと三途の川がある  田中博造

総攻撃の日まであと2日、江戸城にはいきり立った旧幕臣が集結し、
緊張は最大に達した。
海舟は最後の望みを託し田町の橋本屋で西郷との二度目の談判に臨んだ。
そして海舟は、西郷が出した条件に対して、徳川側の代案を出した。
1、慶喜は隠居して水戸で謹慎する。
2、江戸城は明け渡しの手続きを済ませた上で、田安家に預ける。
3、城内に住む家臣は、すでに城外に移り住み、謹慎している。
4、慶喜の妄動を助けた者は、寛大に処分し命に関わるような
  厳罰を与えない。
5、士民の暴挙鎮撫が徳川の手に負えないと判断した場合は、
  官軍に鎮圧をお願いする。
海舟の出した案は、官軍の要求をほとんど無視したものであり、
江戸城を田安家に預けるということは、官軍には渡さないという
意味である。

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西郷は勝の修正案を持ち帰り、駿府の大総督府で協議、
京都で三条実美や岩倉具視、大久保一蔵、木戸孝允とも話し合った。
その結果、「江戸城は尾張藩に引き渡すこと」「軍艦武器は官軍が
すべて没収し、徳川家の処分が完了後、必要数返す」ことを決めた。
尾張藩は徳川御三家の一つであるが、すでに官軍側であったので、
田安家に預けるのとは訳が違った。
4月4日、東海道先鋒総督が江戸城に入り、田安慶頼はこれを受けた。
そして11日、平和的に江戸城の「無血開城」が実現したのである。
無血開城は、西郷と海舟でなければ実現できなかっただろう。
海舟は慶喜を恭順させ、明け渡しまでの道筋を作った。
それに対して西郷は、会談だけで総攻撃の中止を決めた。
西郷の英断によって百万市民の命は救われ、
江戸の町は戦火を逃れることが出来たのである。

失敗をすると決めてから笑う  森中惠美子  

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     パ ー ク ス

【付録】 無血開城の裏

無血開城の決断の裏には、イギリス公使パークスの存在もあった。
西郷は新政府に協力的なパークスに「総攻撃による負傷者を横浜の
イギリス軍病院で治療してほしい」と使者を派遣して頼んだ。
当然、承知してもらえると思っていたが、パークスは、激怒しながら
「徳川慶喜は恭順していると我々は聞いている。
 恭順している者に、戦争を仕掛けるとはいかがなものか」
と拒絶したという。
この返答に西郷は驚いたが、無血開城に反対する官軍兵士を納得させる
ことが出来ると、むしろ喜んだという。

西郷が示した徳川存続の7つの条件
1、慶喜を備前岡山藩に預ける。
2、江戸城を官軍に明け渡す。
3、軍艦一切を官軍に引き渡す。
4、武器一切を官軍に引き渡す。
5、城内に居住する家臣は向島に移り、謹慎する。
6、慶喜の妄挙を助けた者を謝罪させる。
7、旗本の中で、徳川氏の力で鎮撫しきれず暴挙に出るものがあれば、
官軍がそれを鎮圧する。
この7カ条が実行されれば、徳川家を寛大に処置する。

国境をまたぐと飢餓の臭いする  菱木 誠

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