川柳的逍遥 人の世の一家言
呆れはてたら笑い話になってくる 前中知栄
「雷 光 邪 魔 入」 (松浦史料博物館蔵本)
天明5年(1785)正月刊。唐来参和(とうらいさんな)作、北尾政美画の黄表紙。
十ページ一冊で出された袋入本で、図版はその袋。
(当時、人気のあった凧絵、草摺を加えた猪熊入道の絵を図案化した奇抜で楽
しいブックデザインである)
草 双 紙・洒 落 本 (五島美術館) 草双紙とは、江戸時代中期頃から刊行されはじめた、かな主体の絵入り読物。
表紙の色から「赤本」「黒本」「青本」「黄表紙」などと呼ばれる小型の
袋綴本。
「黄表紙(青本)」
黄表紙は、草双紙の一類である。もともと幼童向けの絵本であった草双紙を、
戯作的な発想をもってパロディ化したものといってよい。安永4年(1775)の 恋川春町作『金々先生栄華夢』が刊行されたところから、その歴史が始まる。 パロディは、もとになったものの形式・特性をことさろ強調し、意識的にな
ぞろうとする。草双紙は、毎年新版が新春に発行されるのが原則でそもそも 新春の縁起物という性格が濃厚である。
黄表紙は、そのめでたい気分を、ことさら強調、笑いを尊ぶ正月気分の中で
思い切り羽目を外すのである。 また、草双紙は、絵を主体とした「絵解きの文芸」である。 黄表紙は読み解かせる絵を工夫し、一種のパズルめいた仕掛けを施している。
そして黄表紙は「赤本」という丹色の表紙のものを早期のものとして、黒い
表紙の「黒本」が現われ、萌黄色の表紙の「青本」が登場する。 実は、「黄表紙」と称しているものは、「青本」と外形的になんら変わらず
当時においても「青本」の呼称で通っていた。
春というざわめきを待つ胸の内 靏田寿子
蔦屋重三郎ー「青本を読み解く」
山 東 京 伝
山東京伝は、深川木場の質屋の息子で、本名を岩瀬醒(さむる)という。
北尾重政に学び、北尾政演の画名で絵師として活動した。
一方、戯作者として、自ら黄表紙の執筆も手がけ、大手版元の鶴屋から次々と
作品を刊行。天明2年(1782) に出した『手前勝手御存知商売物』が、江戸随一 の文人である太田南畝に絶賛されたことで、人気作家となった。 かさ蓋が取れてコーヒーの美味いこと 山本昌乃
「北尾政演(山東京伝)の口上」
「黄表紙」に限らず、「草双紙」の観賞法は「絵解き」である。
草双紙のみならず、「浮世絵」など、絵は、そもそも読み解かれるものであった。 藁色の表紙をめくって現れる、または丁を繰ることに現れる絵を、何より先に読 まなくてはならない。 230年前の江戸人が、喜んで読んだ草双紙を我々も読んでみましょう。 さて、表紙をめくって目に飛び込んでくるのは、珍妙な風体の男である。
「まかり出たる者は、春ごとのたわれぞうしの画を工するなにがしにて候。
いまだ御子さまがたのお馴染み薄く候程に、なにがな御意に敵ひ候ことを、
御覧に入れむと存付き候ところに、今年の初夢に、怪しげなることを見候 ほどに、これは彼の板元何がし方へ参り、物語ばやと思ひ候。急ぎ候程に、 是は早板元が門に着て候。たのみましやう、/\。」 「たう/\、はじめ候へや、/\。」
出囃子にもう引きつけている笑顔 武智三成
この口上を解説すれば、こういうことになります。
たわれぞうし=戯れ草紙。草双紙・黄表紙を古めかしく表現した。
春ごとの=草双紙は毎年正月に発売されるのを例としている。
画を工(たくみ)する=黄表紙の画工を務めているということ。
御子さまがたのお馴染み薄く…=草双紙が、大人の楽しむものになったからと
いって子供の読者を無視したわけではありません。 なにがな御意に敵ひ候ことを、御覧に入れむと存付き候ところに、今年の初夢に
怪しげなることを見候ほどに、これは彼の板元何がし方へ参り、物語ばやと思ひ 候= なにか、お気に入りそうなことをお見せしようと、思いついたところ、今年
の初夢に不思議なことをみましたので、これは、あの版元ナントカさんにお話し したいと思います。と、版元に企画を持ち込んだことを述べる。 急ぎ候程に、是は、早板元が門に着て候=という台詞を言い終わる前に、彼は例の
独特な摺足で能舞台を一周しようとするところへ、「たのみましやう、/\」と
板元が早々にやって来る。 「たう/\ はじめ候へや、/\」との掛け声がかかって、この狂言は終了し、
「夢幻」の世界を迎えることになる。
自画像も夕焼け空になってきた 新家完司
「青本を読み解くー①」
「夢のはじまり」 机につっ伏して「こふ/\」と居眠りしている男がいる。
「政」「演」の文字が肩に見える。北尾政演が自身を描いているのである。
彼から、吹き出しで二つの場面が描かれている。これは草双紙において、夢を
描くときのお約束。夢が二つに分かれていて、左側が大きく画面の左いっぱい に広がっているので、まず右から絵解きをし、続いて左、この次からの場面は、 すべて夢の中の話として、読めばいいのである。 「今年の初夢に怪しげなることを見候ほどに」と、あったことを思い出してい
ただきたい。この「初夢」の内容がこれから語られるわけである。 自画像も夕焼け空になってきた 新家完司
『金々先生栄花夢』再度、掲載することになるが、やはり夢の中の話である。
「江戸で一旗揚げようと、田舎から出てきた金村屋金兵衛が、目黒の粟餅屋で、
粟餅ができあがるのを待つ間に、とろとろと眠り込んでしまう。 その夢の中に現れた有徳の老人が、彼を豪邸に連れ帰って養子にする。
以後、良からぬ取巻きに唆されて、吉原をはじめ江戸の遊所で金を使い散らす。
あまりの放蕩ぶりに、愛想を尽かした養父から勘当され、しおしおと屋敷を後
にしたところで夢から覚め、「お客さん、粟餅できましたよ」。 金々先生は、その「栄花」のむなしさを噛みしめ、田舎へ帰って行く」
以後、黄表紙の趣向に「夢」は、付きもののごとく頻出する。
黄表紙の無責任に野放図な滑稽に対する「言い訳」として、「夢」という趣向
は便利であった。 いちびりの成れのはてです蒟蒻は 新川弘子
上の図の場面より------男が二人対座している。奥に招じ入れられて、こちらに
顔を向けた男の膝には、丸く白抜きした中に「八」の字が見えている。 <その人物の何者であるかを、絵解きしている者に示すために>、その人物の
略称、また名前の一文字をここに示したもので「名壺」と称される。 この男は「八文字屋の読本」、つまり「八文字屋本」である。
京都の八文字屋八左衛門から出版された浮世草子を、第一義とし、それ以外の
本屋から出版された同様の読み物も含めて「八文字屋本」の称で親しまれた。 ああ しなやかに蔦のからまる薬指 山口ろっぱ
「青本宅、月並みの会」
絵の場面は「青本」の居宅、行灯が出ているので夜である。
さてここに集まった4人の男たちは何をしているのかというと「月並の会」を
催し、「洒落本・袋ざし・一枚絵、そのほかの当世本を集め、趣向の相談する」 というわけであった。 戯作の一類となった黄表紙は、「通」という美的理念を奉ずることになった。
当然、通人として「青本」は、描かれることになる。
絵の上部「書入れ」は、青本がどのような人物であるかを語っている。
これは登場人物の人物設定を説くとともに、黄表紙は、どんなものであるか、
いやあるべきか、という山東京伝の「黄表紙論」となっている。
『堪忍袋緒〆善玉』袋 (東洋文庫蔵)
署名書名脇に見えるように、大好評裡に迎えられた善玉・悪玉シリーズの 三作目。3匹目のどじょうを狙う版元の要請によって作られたらしい。 「青本を読み解くー②」 絵の中の上部から。 「書き入れ」 「青本は、貴賤の分ちなく人の目を喜ばせ、世辞に賢く、意気を専らとして、
当世の穴を探し、俳気も少しあって、毛筋ほども抜け目はなく、雨中の徒然 には豆煎りと肩を並べ、女中さまがたの御贔屓強く、新版の工夫に心気を凝 らし、しかれどもその身奢る心なく、やっぱり漉き返しの紙にて、月並の会 を催し、洒落本・袋ざし、壱枚摺そのほかの当世本を集め、趣向の相談する」 空っぽにならぬ心と小半日 津田照子
「書き出し・解説」 絵の上部より。
「青本は、貴賤の分ちなく人の目を喜ばせ」=「青本」の人当たりの良さ、又
皆がほれぼれする容姿のことを言っているのだが、同時に、黄表紙が階層や
年齢を問わず、誰でも楽しめる優れた娯楽性を持っていることを言っている のである。 「世辞に賢く」=世辞は現在では「おせじ」として、あまり語感の良くない言
葉となっているが、本来は社会生活を営む上で、必須の如才ない言葉遣いを 言う。円滑な関係を維持していく上で、言葉は、重要な役割をもつ。そこに 自覚的で、場に応じた的確な言葉遣いを、自らに課していったのが、江戸時 代人であった。 「意気をもっぱらとして」=意気は、服装など外見的に洗練されていることを
表すことが多いが、ここでは「通」ととらえてよいか。「青本」が、通をも っぱら心がけている男であるという意味になる。 (黄表紙は、すでに戯作の一つとなっており、この時期の戯作の目的は、自身の
「通」を表明することであった)
「当世の穴を探し=「当世」とは、現代・最新のという意味。
「穴」とは、誰もがまだ気づかずにいる情報。これを指摘してみせることを<穴
を穿つ>といい「通」に敵う戯作の骨法となる。
(「通」は最新の情報に通じていなくて恰好がつかない)
二時限目から消しゴムを追っている きゅういち
「俳気も少しあって」=俳気とは、俳諧趣味のこと。俳諧は、大人の渋めの趣
味であり、洗練された社交に寄与するものである。 「青本」は落ち着いた趣味、表現力も持ち合わせているというのである。 「毛筋ほども抜け目はなく」=隙のない言葉・態度を言う。
以前の草双紙の粗雑な画組み、構成に対して、黄表紙の完成度の高さを言っ ている。 「雨中の徒然には豆煎りと肩を並べ」=江戸の雨天は外出にたえない。
道はあっという間にぬかるみと化すし、足もとは下駄が便りである。 職人も雨天は休業、家で大人しくしているしかない。
そこで退屈しのぎに作られるのが「豆煎り」である。ほうろくで大豆を煎っ て作られる「おやつ」である。作るところから、退屈がしのげる定番おやつ、 <豆煎りの手は止む事を得ざる也>で、止められない、止まらないおやつ、 それに匹敵するもて方だ、という表現だが、草双紙の分相応の喩えであり、 かつ具体的で笑える。 「女中さまがたお子さまがたの 御贔屓強く』=婦女幼童向けのものであると
いう建前が確認され、 「新版の工夫に心気をを凝らし、しかれども、しかしながらその身奢る心なく、 やっぱり漉き返しの紙にて」=再生紙を料紙としていることを、分に応じた
謙虚な生き方のように言いなしている。 あんなにも欲しかったヒマもてあます 荒井加寿
「月並会出席者の風体・人間設定」 青本は、本多頭(月代を広く剃り、細く仕立てた髻(もとどり)をいったん宙
に浮かせて、はけ先を前にもってくる髪形で、この時期の通人に流行した)で 黒い羽織を着し、間然するところのない通人風俗である。 雁首を上向きに煙管を咥えているが、この吸い方を「やに下がり」という。
煙草の脂(やに)が口元に流れてくるからである。
「やにさがる」という言葉は、今に生きていて、下手に格好つけた嫌味な態度
についていう。この咥え方は気取った仕草で、様になる人間であれば、かっこ よいのであるが、ちょっと間違えると、とことん嫌味な仕草となる。 居宅も、通に叶ったものでなくてはならないし、付き合っている人間も通人で
なくてはならない。 青本とともにいる三人の男、いずれも通人風俗、勢いよく煙を吹き出している 小太りの男は、肩に「しゃ」の字、洒落本と見なしておいてよいだろう。 背中を見せてまったく顔をみせていない男は、背中に「一まひゑ」とある。
「一枚絵」、つまり浮世絵である。
その隣の男は、背中に「袋」の文字が見える。袋ざしである。
左ページの、一枚絵は、右手を畳みに置いて斜に構えている。
その入り口前に立つ女性は、柱隠しで青本の妹である。
ヤニ臭い吐息を嫌う吊り忍 宮井元伸
草 双 紙 製 本 中 草 双 紙 出 版 前 「月並みの会」 趣向の相談は以下の通り。
「袋入り本」は「去年の『大違宝船』はだいぶ落ちがきました(大好評でした)
と大違宝船のことを話題に」している。 それを受けて、 「洒落本」が「全交文もよくつくられます、と全交の手並みを褒め、続けて喜三
二が『一炊の夢』も出来ました」と、天明元年に蔦重から出版された朋誠堂喜三 二の『見徳一炊夢』のことを評価している。 「一枚絵」は、「恋川氏の『無益委記』もおかしくてよかった」と、恋川春町の
『無益委記』のことを褒めている。これは袋入り本である。 さらに一枚絵は「紫蘭先生の『油通汚』(あぶらつうへ)も面白かった。
通笑丈・可笑士の作にも、すごひのがあるて」と、言っている。 「柱隠し」は、「わしがひいぢゝいの時分、桃太郎が島へ渡り、浦島太郎が若ひ
時分にて、漆絵と畏怖が流行って、人がうるしがつたげな」という。 柱隠し=青本が妹なれども、金平なむすめではなし。
金平な娘=おてんば娘のこと。
わしがひいぢゝいの時分…=私のひい爺さんが生きていた時代ということで、
三代程前、享保ころからの絵草子の様子を語っている。 草双紙は「桃太郎」や「浦島太郎」等の昔話に材をとった赤本の時代であった。 漆絵=墨刷りの版画。
うるしがった=嬉しかった。
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