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川柳的逍遥 人の世の一家言
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あっごめんあなたの影を踏んでます  山田葉子

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 淀君に、市の方の面影が残る

「秀吉の恋ーこころの内」

秀吉のもとに、茶々、初、江の三姉妹が送られたのは、

天正11(1583)年のこと。

姉妹にとって、秀吉は生家である浅井家を滅亡へと追い込み、

さらに母が再嫁した柴田勝家を母とともに自刃させた、

宿敵ともいえる相手だった。

あの事は水に流してくれますか  信次幸代

結婚が、政治のかけひきに使われた時代、

天下統一を狙う秀吉にとって、

死してなお、カリスマ的存在感を放つ、

織田信長の血を引く三姉妹がもつ意味は、大きかった。

しかし、茶々に対する想いは、それだけではなっかった。

愛のうたらくだに瘤が二つある  森中惠美子

信長に仕えていた時代から、に想いを寄せていた秀吉は、

その面影を、茶々のうちに見出していた。

ちなみに、三姉妹のうち、”誰がいちばん母の市に似ていたか”

といえば、残る肖像画から、

「切れ長」、「蠱惑的な目つき」などが共通する、お江だといわれる。

茶々は、市の面影を残すも、父・長政似であったと見られている。

(* 蠱惑(こわく)的とは― 人の心を惑わし乱すようなこと)

睡蓮かおたまじゃくしかどうでもよいわ  岩根彰子

秀吉はまず、天正12年、大野城城主・佐治一成に三女の江を、

さらに、その三年後の天正15年には、

次女・初を、大溝城主・京極高次と次々に嫁がせたが、

茶々だけは、手放さなかったのである。

一方で秀吉は、天正13(1585)年に関白になると、

着々と「天下統一」への地歩を固めていた。

そして、茶々が秀吉の側室となったのは、

その数年後のことである。

油断してたら大人になってしまったよ  竹内ゆみこ

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金箔や銀箔を刺繍のすきまに摺り詰められた小袖

お江や茶々の気持ちを留め置くため、秀吉は、贅の限りを尽くす。

染色技術が飛躍的に進歩した桃山時代は、目にも鮮やかな繍箔小袖が流行

茶々もこの華麗な生活が、気にいっていたようだ。

市に惚れていたという秀吉が、

なぜ、市に似ているお江でなく、茶々を側室にしたのか・・・?

茶々が秀吉の側室となった時期は、

(・・・正確には判らないが)

天正13(1585)に於次丸(秀勝)が、丹波亀山で亡くなってから、

しばらくのことと考えられる。

マスクの下で夢を温めているところ  赤松ますみ

織田信雄をさしおいて、秀吉が天下に指図できたのも、

信長四男・秀勝を養子にして、跡取りにしたわけで、

天下の政権を、仮に秀信(三法師)に返さなくとも、

少なくとも秀勝に

「いずれ大政奉還するという名目があれば」ということで、

周囲に説得力をもたせていた。

うかつにもワニのなみだにひっかかる  浜田さつき

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  淀君錦絵

明治時代、坪内逍遥の戯曲・「桐一葉」が、今日一般に思われている、

「淀君」の強く雄雄しいイメージを作りあげた。

側室としての狙いをとらえ、その眼光の鋭さが伝わる・・・。

ところが、秀勝が亡くなってしまうと、

秀吉には大義名分がなくなってしまう。

そこで、織田家の血を引く姫を、

「第二夫人として迎えたい」という事情もあったのだ。

そこで、長女である茶々が、最も大事ということになった。

蚊柱が立つ累代の臍の位置  井上一筒

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