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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ほんとうのことを言ってはいけません  吉岡とみえ


 秀吉の建てた大坂城

大阪城は秀吉没後の慶長3年(1598)に完成。本丸・二の丸・三の丸
総構えを擁する
堅城である。絵画資料では、天守閣は外観5層で金箔を
ふんだんに使った
華美な様相で描かれている。



大坂城跡地から出土した金箔瓦

「大阪城落城の原因」

大阪城は、三重の堀と運河で囲まれた高い防御機能を持つ名城で、

建設中に城を訪れた大友宗麟に、三国無双と讃えられたほどであった。

築城が開始されたのは天正11年(1583)本能寺の変」の翌年で、

秀吉が天下統一に向けて奔走していた時期にあたる。

これだけ大きい城となると完成まで10~15年は要するが、

その時、秀吉は40代半ば、完成時には当主交代も考えられる齢である。

そう、この城は自信の居城とするためだけに建てたのではなかった。

難攻不落の豊臣一族の権威としての意味もあった。

お月様を味わったのはどなたです  和田洋子

そんな日本随一の堅城として建てられた大阪城だが、

作った秀吉だからこそ、思いついた「攻略法」があった。

自慢屋の秀吉は、大阪城に家康らを呼んで酒宴を開いた時に、

その秘密をばらしてしまったのだ。

秀吉は家康らに「この城を攻めるなら、どう攻める?」と、

問答をしかけた。

答えに窮する一同に対し、秀吉は得意気に攻略法を語った。

スキップして魔女の餌食になりに行く 上田 仁


大坂冬の陣は豊臣方優勢で終わったが

それは外堀を埋めるという条件で和議を申し込み、

そのまま内堀も埋めてしまって、本丸を裸にするという作戦だった。

秀吉は感心する一同を見て、ご機嫌だったという。

家康はその策をしっかり覚えていて、大坂の陣で攻めあぐねる城に、

秀吉直伝の作戦である和議に持ち込み、外堀ばかりか内堀まで埋めて、

まんまと大阪城を落とすことに成功している。

まさか酒の席の失言が、一家を滅ぼす原因になるとは、

秀吉も夢にも、思わなかったことだろう。

どこまでも阿呆でいようか朧月  中野六助

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