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川柳的逍遥 人の世の一家言
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帽子屋で丸い頭を買ってきた  月波与生

  
「赤門白粉」・「二八水」広告に使用された萬龍の肖像写真

長瀬商店の化粧水「二八水」、無鉛白粉「赤門白粉」の広告として、
「赤門白粉にて化粧せし美容」「二八水を愛用せらるる美人」
  キャッチコピーとともに誌面を飾った。

  
「クラブ洗粉」の広告の萬龍

「クラブ洗粉」は大阪の化粧品会社、中山太陽堂(現在のクラブコスメチック)
   の大ヒット商品で、現在も販売が続けられている。


「明治女性のファッションー①」

江戸時代の古い文化や習慣を一新し、

近代化を果たすために明治新政府が進めた「文明開化」

人々の生活や街並みの中に、

徐々に西洋文化が取り入れられていった。

庶民の西洋化は外見や服装にも表れ、

男性は髷をおろして「ざんぎり頭」となり、

洋装の制服などが広まっていく。

しかし女性はと言うと、

着物に日本髪という江戸時代の姿のままだった。

洋装は高価なうえ、それを着るような機会がなかったのだ。

黄色づくイチョウに呼吸法を聞く  佐藤正昭

  
  山階宮常子の洋装

パフスリープの昼間用アールヌーヴォードレスに手袋、扇を持つ、
中礼服のローブデコルテ。

そんな中、当時の外務大臣であった井上馨は明治16年(1883)

西欧諸国の貴賓との交流の場として洋風レンガ造りの鹿鳴館を建設。

夜ごと、舞踏会や音楽会が繰り広げられた。

鹿鳴館の夜会は西洋にならい夫婦で招待され、

洋装が必須だったことから女性のファッションが着目され始め、

鹿鳴館のスタイルのドレスが誕生した。
                    かなえ        えいさく
この鹿鳴館時代、軍医の渡辺鼎と記者の石川暎作が、

「婦人束髪会」(明治18年)を発足させ、

日本髪は不経済、不衛生、不便、として西洋風の束髪を推奨した。

今までの履歴はみじん切りにする   高島啓子

  
    芸妓の洋装姿

芸妓の絵葉書はプロマイドのような存在で飛ぶように売れ全国に流行。
アールヌーヴォードレス・真珠や鎖のネックレス、
大きな飾り帽子で着飾る。


明治19年、皇后が洋装を取り入れたことで

女性の宮廷礼服にローブなどの洋装を採用、

それに準ずるものとして、ビジティングドレス(和服でいう訪問着)が、

皇室や華族に用いられるようになる。

上流階級にとっては、社交術の一環でもあった。

同年、東京女子師範学校が制服に洋装を採用した。

その後、欧化政策の失敗、日清戦争ころの国粋主義の台頭で、

「洋服廃止論」などが唱えられ、一時、和装へと戻った。

とは言っても、洋装するのは上流階級や美を磨く芸妓が中心であった。

こうした流れのなかで庶民にも洋装が少しずつ取り入れられるが、

ドレス類はほぼ輸入品であり、

上流階級にとっても高級品だったようだ。

俯瞰図であなた追っている頭  杉浦多津子

  
『俳優楽屋の俤ー中村福助』(明冶21年、豊原国周画)

福助は当時人気絶頂の女形。
天覧歌舞伎には各国高官を招き伝統芸を披露する意図や、
鹿鳴館時代の欧化政策批判に対抗する意図もあったという。
当日の出し物は「勧進帳」などであった。


女性の洋装化を語る上で美容業界の発展も見逃せない。

明治20年、井上馨外務大臣宅で「天覧歌舞伎」が催された。

その際、義経役の中村福助の足が極度に震え、

鉛白粉の毒が影響しているといわれた。

これを受けて、各化粧品会社が無鉛白粉の開発に乗り出す。

そして、明治33年ころ、無鉛白粉は長谷部仲彦によって開発され、

明治37年、無鉛の御園白粉が伊藤胡蝶園から本格的に売出された。

しかし、それでも、のり、のび、付きの三拍子揃った鉛白粉を

使用するものは後を絶たず、

昭和8年に完全に製造販売が禁止されるまで愛用された。

晴れおんなモードに髪を染めてます  美馬りゅうこ

  
「マダム・サダヤッコ」と呼ばれた川上貞奴(フランスの雑誌・「フェミナ」より)

1900年のパリ万博ほか多数の公演で大評判となった貞奴は、
多くの欧米の雑誌に取り上げられた。

白粉は当然のように白色が使われていたが、

同じ頃から白以外の色白粉が話題となった。

女優の河上貞奴『西洋化粧談』などで、海外公演の体験を踏まえて、

西洋化粧のよい点として、肌に合った色の白粉を紹介している。

こうした影響もあって肉色、黄色、肌色白粉が国産されはじめた。

これを契機として日本女性は、

「白い白粉でなくてもよいのだ、肌色に近い白粉を塗ってよいのだ」

という意識を持つようになった。

「白粉は白」という固定観念から解放されるまで、

自分の肌色を自覚するまで、

文明開化から約40年の月日を要している。

貞明皇后のこれがつけ黒子  井上一筒

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