ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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明冶美人コンテストー①
尾翼から女は白くなってゆく くんじろう
「明治の美人コンテストー①」
明治になり
「写真」
という新しいツールの登場によって、
まず皇族華族の写真が、次いで、令嬢、令夫人の写真が
雑誌などのマスメディアに登場した。
上流紳士淑女の写真が、庶民の羨望の的となる役割を担った。
またそれまで浮世絵で人気を博していた芸妓も美人写真となって、
人々の心を捉えた。
日露戦争前後となると、これまでの貴顕
(身分の高い人)
肖像写真、
外国土産用、
古物調査や戦争記録のほか、
軍事郵便、私製はがきなど、
より実用的になり、普及していった。
スマホの画面に目ヤニがついている 井上一筒
時事新報社美人写真募集一等
「末弘ヒロ子」
ピアノ、お茶は表千家、生け花は池坊。好物は薩摩芋、鰻、柿、蜜柑。
末弘トミ子の偽名で義兄が応募。一等の副賞は総額1823円93戦に
のぼったというが、彼女は受け取らなかったようだ。
こうした時期の明冶40年、アメリカ・シカゴのトリビューン新聞社から
「世界第一の美人を見出さんとす、貴社この競争に参加して、
日本第一の美人を提供する意なきや」
と、
「時事新報者」
に依頼が飛び込んだ。
これに応えて、
じょうしぐん
ていしんこれ
「戦後日本の娘子軍、敢えて挺身之と姿を競い色を闘わさんと
欲するものあらば、あわれ速やかに名乗りて、いでられよ。
本社がとりあえず、全国幾千万の美人に代わりて、
おうだく
開戦応諾の旨をシカゴ・トリビューン社に、電答仕置きたる」
と時事新報社は、
美人写真募集
を宣言した。
国際的な一大事業であるから、選抜を一社に独占せず、
「全国の有力新聞社の協力を得て実施」
と銘打ったのは賢明な策であった。
充電の途中で呼び出しがかかる 合田瑠美子
時事新報社美人写真募集二等
「金田ケン子」
振り袖に立矢の字の帯の正装姿。
首掛け時計の鎖や指輪で流行を取り入れている。
トリビューン社は、日本以外に、フランス、カナダ、スペイン、
イタリア、
イギリス、スウェーデン、ロシア、オーストリアなど、
12カ国へ
参加を呼びかけたという。
日本への要請は、日露戦争を契機として、
日本が欧米から感心を寄せられる存在となっていた、表れかもしれない。
翌年6月に時事新報社は、報告としてトリビューン紙が、
3名の
競争審査の実況、本紙一面大の特別付録を発行したこと、
日本がいち早くこの競争に応じたこと、
未曾有の熱狂ぶり、
当選者の経歴、審査員名、審査会の模様を紹介、
アメリカ
(マーガレット・フレー)
、カナダ
(ヴァイオレット・フッド)
、
スウェーデン
(ジェーン・ルンドスツロム)
、日本
(末弘ヒロ子)
イギリス
(アイヴィーリリア・クローズ)
とある。
喝采を浴びて呼吸を忘れそう 嶋沢喜八郎
時事新報社美人写真募集三等「土屋ノブ子」
写真募集には
「美人写真集12か条規則」
が告知された。
「女優、芸妓、その他容色を以って職業の資とする者の写真は採用せず」
というのが第一条件であった。
「また本人の名前、現住所、年齢、職業の有無、及び父母の職業、
若しくは身分を記載し、身長・胸囲・腰囲も併記せらるれば最も妙」
とある。
身分というのが、封建制社会をよく表している。
ボディサイズがあるのは、欧米的な発想である。
写真はポーズが異なれば、複数の応募も可で、投稿写真は返却しない。
被写体となってをんなは美しい 徳山泰子
第一次審査は各社で行い、
一等から五等までの当選者には相当の賞品を贈呈。
容貌鑑定に適した人材によって最終審査を行い、
全国優秀三名を選定し賞品を授与する。
1等
18金ダイヤモンド指輪
(300円相当)
2等
18金梨地無双ダイヤ入モンド入り婦人持ち懐中時計、
及び、18金ルビー真珠入り緒〆付首掛鎖り
(150円相当)
3等
18金白金製桜花流水図透し彫りダイヤ入り帯留
(100円相当)
となってる。
食べ過ぎて肥えているなら痩せられる 前中知栄
尚、一時審査通過者の商品には,
1等~3等
18金ルビー真珠入り指輪
(30円相当)
18金真珠入り勝形ブローチ
(15円相当)
18金結形根掛
(10円相当)
4等~5等
銀製鍍金草花文丸彫り束髪用簪
(5円相当)
(因みに当時の小学校の教員の初任給は8円。巡査は9円である)
親戚、知友写真師らが本人に代わって写真を投稿することも可だが、
本人の許諾を含めて投寄者が責任を負う。
一等から三等の写真投寄者には、
それぞれ、金50円、25円、10円の賞金を
寄贈するといった内容。
スキップを同封します良い報せ 太下和子
『ゆびわ』(石版画)
岡田三郎助画
左薬指にめのうの指輪をはめている。
「時事新報」明冶41年新年号付録。
最終の二次審査は、各界の名士13名によっておこなわれた。
審査員のひとり
岡田三郎助
は、時事新報社から明冶41年の新年付録の
絵を依頼され、石版画
『ゆびわ』
を制作した。
写真募集の賞品からインスピレーションを受けて、制作したのであろう。
さて、第一次審査通過者214名は、順次新聞で紹介された。
読者は、審査は出来ないが、経過を知って臨場感を楽しんだ。
深窓の令嬢が、公衆の面前で美醜を競うことなど、
受け入れられない社会であったにも関わらず、
七千枚の写真が集まったことは、画期的なことであった。
裏を返せば、明治の人々は新しいものに敏感に反応する、
楽しいことを察知する能力に長けた人々であった
といえよう。 <文・津田紀代>
つづく
暗闇のふくみ笑いを聞いたよな 筒井祥文
[5回]
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y2015/12/23 09:30 z
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