忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[869] [868] [867] [866] [865] [864] [863] [862] [861] [860] [859]

天国か地獄か流されてみよう  中岡千代美

 


「詠史川柳」 江戸の景色-③-3 妓楼潜入

 

(拡大してご覧ください)
葛飾北斎の三女・応為が描いた「吉原張見世」の図



妓楼には通りに面して、格子張りの座敷があり、これを張見世という。
張見世に居並んだ遊女を格子越しにながめて、男は相手を決めた。
電気がない当時、夜は暗かった。そんな「暗」と、大行灯で照らされた
張見世の「明」の対比をリアルに描いている応為の絵である。
張見世の遊女は、男の目に妖艶に映ったことだろう。
妓楼の中で、張見世は最も華やかな場所であり、遊女にとっては晴れ舞
台でもあった。
柱に取り付けられた掛行灯には、「いづみ屋」「千客万来」とある。
いづみ屋と染め抜かれた暖簾のかかっているところが入口で、入口を
入ると土間になっている。

 

僕の傘に入りませんかプロローグ  新川弘子

 

客は顔見世で相手を決めると、入口にいる若い者にこう伝えればよい。
「左から三番目の、煙草を持った…」若い者は遊女を確かめ、
「へい、新造の若柳さんですね。どうぞ、お上がりを」と客を案内する。
初会の場合、客と遊女はまず二階の引付座敷で対面する。
その後宴席になることもあれば、そのまま床入りになることもあった。
それは客の希望次第である。
揚代(料金)は、若い者が部屋に取りに来た時に払う。
二回目以降は、入口の若い者に登楼を告げればよい。
なお、同一妓楼で初回時とは別の遊女を指名することはできない決まり
があり、相手を変えたい時は、別な妓楼に行くしかない。

 

青や角かなぐり捨てて君の前  酒井かがり 




  吉原なまず   

 

吉原の遊女と聞くと太夫を連想しがちになるが、最高位の太夫の称号は
宝暦年間(1751~1764)に廃止され、それ以降は上級遊女を「花魁」、
下級遊女を「新造」と大別した。
花魁は敬称であり、客も奉公人も「花魁」と呼びかけた。
(花魁の中にも階級があり、最高位を呼出し昼三、次に昼三、座敷待、
部屋待と続く)
花魁ともなると、美貌と様々な芸のみならず、教養も身
につけていた。この教養があったればこそ、上級武士や豪商、文人など
の上客も虜にできたのである。

 

うぬぼれのしっかり滲むご謙遜  美馬りゅうこ

 

妓楼は上客をつかまえるため、これはと見込んだ遊女に教育を与える。
読み書きはもちろん、その教育は和歌、書道、琴、活け花、茶道、囲碁
にまで及んだ。花魁の教育度は、当時の江戸城の大奥や大名屋敷の奥に
務める奥女中に匹敵するものだった。花魁と奥女中の類似は、ほかにも
ある。それは「衣」の贅沢さだ。当時、庶民が着物を買うのはもっぱら
古着屋だった。呉服屋で反物を買い、着物を新調するのはごく限られた
男女である。そんな中、呉服屋にとって、二大得意先が奥女中と吉原の
花魁だった。花魁の衣装がいかに豪華だったかがわかる。

 

ピカピカのブランド着た日は疲れます 梅谷邦子        

 

芝居と並んで吉原は流行の発信地だったが、浮世絵などに描かれた花魁
の髪型や着物の柄に、江戸の女は身分を問わず、憧れたのである。
人々のあいだに、吉原の遊女に対する蔑視はなかった。
まして花魁ともなると、男も女も憧れの対象だった。


   
ポリ袋にシーラカンスのエラのカス  山口ろっぱ


 

【吉原豆知識】

「遊女の格」
妓楼の格でも値段は変動した。
酒や料理は別料金だし、遊女本人や奉公人への祝儀も必要だった。
実際遊ぶとなると表示価格の数倍になることが多かったという。
実際どれくらいの費用がかかったのか。上級遊女を指名した場合。
公定の揚代、酒席での芸者や幇間の値。豪華な料理代金。新造や奉公人、
若い者らへの祝儀など現在の価格で一晩で10両ほどかかる。
吉原で豪遊した豪商に、紀ノ国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門が有名だ。
(現在の価値で一両は10万円)

 

今日もまたラッパを吹いて彼が来る  吉田信哉

 




「楼主」
楼主は妓楼の経営者である。
大見世では、遊女や奉公人を合せて百人近くおり、多くの客も訪れる。
経営と管理の能力がなければ、楼主はやっていけない。
ただし、遊女に売春を強いる商売だけに、非情さも兼備えていなければ
ならなかった。
 妓楼の一階には、入口や階段を見通せる、内所と呼ばれる場所があり、
この内所に座して、楼主は常に奉公人や客の動きに目を配っていた。
楼主一家の生活空間は一階の奥まったところにある。

 

首までにしとく情けに沈むのは  清水すみれ

 

「従業員」
妓楼の従業員の上位は、なんといっても「遊女」である。
遊女がいるからこそ妓楼、そして吉原はなりたっている。
遊女に次ぐのが、女の従業員で、「芸者」もいれば、お針と呼ばれる
「裁縫女」さらに「女中や下女」もいた。
最下位が、「若い者」と称される男の従業員である。
年齢にかかわらず若い者と呼ばれ、種々雑多な仕事に従事した。


蛸は十字に風は沖から吹いてくる  桑原伸吉



 

「宴会」
妓楼の二階には飲めや歌えの騒ぎができるような「広い座敷」がある。
こうした座敷で遊女を侍らせ、酒食を楽しむのは、男にとって最大の
見栄だった。座を盛り上げるために、芸者や幇間が呼ばれる。
さらに、台屋と呼ばれる仕出し料理屋から、縁起のよい鶴や亀を模した
豪華な料理が届いた。こうした宴席で皆におだてられ、
いい気分を味わったあと客は遊女と「床入り」になる。

 

待たされて半透明のガラス瓶  山本早苗



 

「床入り」
床入りは、客と男の同衾である。
なぜ男は吉原に嵌り、憧れ、家族に嘘をついても、無一文になっても、
また来たいと思うのか。遊女は客を満足させる手練手管を教えられ、
100%の技をもって客の心も体も酔わせるのである。
そして夢のような一夜が終わるとほとんどの客は「また来る」といい、
家路に帰るのである。

 

用済み男ストンとフラスコに  上田仁



詠史川柳



(画像はすべて拡大してご覧ください)
  豪遊する文左衛門

 

≪紀ノ国屋文左衛門≫

 

大騒ぎ五町に客が一人なり

 

「五町」は吉原のこと。
吉原をたった一人の客が貸し切っていました。紀ノ国屋文左衛門です。
文左衛門は蜜柑船で大儲けし、江戸に出てからは材木商として巨万の富
を築いた人。その財をもって吉原中の妓楼を買い切り、大門を閉めさせ
たという豪遊ぶりが伝わります。
『嬉遊笑覧』には、「世にいふ紀文ハ豪富にて、吉原惣仕舞とて大門を
閉めさせし事、両度ありしとぞ」とあります。

 

値千金相客はならぬなり

 

吉原は一日に千両(一億円相当)の金が動いたといいます。
句は「春宵一刻値千金」を踏まえている。

 

文左衛門傾城にちともたれ気味
材木はもたれるものと遣り手いい

 

「吉原中の遊女を相手にしては、さすがに腹ももたれるだろう」
と世間の噂。吉原の遣り手婆も「材木商売は儲かるもんだねえ」
と感心しきり。

 

材木屋めがと無駄足客が言い

 

何も知らずにやって来た客は、無駄足になって、「材木屋めが」
と怒ること怒ること。
文左衛門はまた、節分に豆と一緒に小粒(一分金)を撒いたとも。
(4分=1両)(因みに1分は4朱で、即ち、16朱で1両)

 

紀ノ国屋蜜柑のように金を撒き

 


桃の花開くとホルモンが騒ぐ  菱木 誠   

拍手[3回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開