心情を包むペルソナ百ばかり 山口ろっぱ
原遊郭娼家之図(歌川国貞) (拡大してご覧ください)
花魁が初めて客と会うための座敷や上級遊女の居住スペースがある
妓楼の二階の様子を描いており、大勢の客で賑わっている。
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「詠史川柳」 江戸の景色ー③ー1 吉原
吉原は江戸でただ一つの遊里である。
徳川家康入国以来の新興都市「江戸」では、流入する男性人口の増加と
ともに「遊里」が現れるようになったが、無秩序に放置するのは風紀上
問題があるとして、一か所にまとめられることになる。
これが元和3年(1617)に誕生した「吉原」である。
しかし、葭(よし)の茂る沼地にできた吉原も、江戸の発展とともに
中心部の方に寄り集まり、軒を並べることになる。
浮かぶ瀬はここにあるよと鳥の声 瀬川瑞紀
明暦3年(1657)4代将軍家綱の時代に浅草奥の千束村に移転。
川柳によく出てくる吉原となった。
芝居町や魚河岸と並んで一日に千両の金が動くといわれた吉原は、
単なる性欲の処理場所でなくて、さまざまな意味で江戸の別世界であり、
文化の発信地にもなった。
江戸川柳でも、吉原関連の句が最も多く生まれている。
それだけ人の興味をそそる場所になったのである。
以来、吉原遊郭は幕末までの凡そ二百年に亘ってこの地で営業を続けた。
のぼろうと選んだ豆の木が騒ぐ 杉浦多津子
歴史が長いだけに変遷も大きい。
宝暦期(1751-64)、徳川9代将軍・家重から10代将軍・家治にかけて
吉原は大きな変革を行い、最高位の「太夫」の称号を廃した。
現在、時代小説や時代劇に描かれているのは、ほとんど宝暦以降明治
維新までの、およそ100年間の吉原である。
(吉原と聞くとすぐに太夫を連想するが、もっぱら時代小説や時代劇の
舞台となっている吉原には、太夫はいなかったことになる)
ところで、遊女や芸者を呼んで遊ぶときの揚代は幾らくらいかかるのか。
気になるところである。
妓楼には通りに面して、格子張りの張見世と呼ばれる座敷があった。
男は張見世に居並んだ遊女を格子越しにながめ、相手を決める。
もし相手が下級遊女の新造で、酒宴も一切しない、いわゆる「床急ぎ」
の遊びをすれば金二朱ですんだ。1万2500円ほどである。
(文化文政の頃を基準に、一両をおよそ10万円として見積もる)
深い息じっと濁りをおちつかず 三村一子
花魁の出勤
もっとも金がかかったのが「引手茶屋」を通した遊びだが、普通では、
最も分かりにくい遊び方でもある。
花魁の最高位を「呼出昼三」といい、揚代は一両三分(12万5千円)
ほどだがそれだけでは終わらない。
客はまず引手茶屋の二階座敷にあがり、男の奉公人を妓楼に走らせ、
目的の呼出昼三を予約する。
(「呼出し」は「新造付き呼出し」ともいい「振袖新造」という見習の
遊女をつけた最高級の遊女で、「張見世」は行わず、「揚屋」を通して
呼び出さないと会えない)
しばらくして「花魁」は複数の新造や禿を従えて引手茶屋にやってくる。
ここで芸者や「幇間」も呼び、酒宴となる。
頃あいを見て客と花魁は連れ立って「妓楼」に向かうが、このとき引手
茶屋の屋号入りの提灯をさげた女将や若い者が先導をする。
客は人びとの羨望の視線を集め、大尽気分を味わった。
妓楼で再び盛大な酒宴をひらき、深夜になって「床入り」となる。
こうした遊びは一晩で、百万ほどかかり、まさに豪遊だった。
恋の切符入れてのぞいた万華鏡 畑 照代
吉原の遊女は「27歳まで、年季は10年」が原則だった。
年季途中で遊女の身柄をもらい受けるのが「身請け」で、莫大な金が
かかった。元禄13年、三浦屋の太夫薄雲が350両で身請けされた
例は有名で、およそ3500万円である。
吉原の遊女を身請けするのは男にとって最大の見栄であり、
世間の人は軽蔑するどころか、皆、うらやましがった。
(※ 吉原の遊女、とくに花魁は当時のアイドルだった)
「当時の花魁は現在でいうハリウッド女優のようなものであり、
一般庶民には手の届かない憧れの存在であった」
と、かつて杉浦日向子さんが語っている。
ぶりっ子の元祖みたいなサクラ草 清水久美子
「詠史川柳」
三 浦 屋 高 尾 (拡大してご覧ください)
≪仙台高雄≫ (伊達騒動番外編)
足の裏まで匂ってもてぬなり
この句、足の裏が臭くてもてなかったのではない。
仙台藩第三代藩主・伊達綱宗は、香木伽羅の下駄を履いて、吉原京町
の三浦屋の名妓高尾の通い詰めたが、高尾には島田重三郎という情人
がいたため、どうしても靡かなかった。
「睦言はきらいざんす」と高尾いい
睦は「陸奥」にかけ、あんたは「きらいざんす」というのである。
「大名がこわいものか」と高尾いい
業を煮やした綱宗は、高尾の体重と同じだけの金を払って「身請け」
することにした。欲深い三浦屋は、高尾に厚着をさせて秤にかけだろう
と川柳子は穿つ。「伊達の厚着」は「伊達の薄着」をもじっている。
身請けされた高尾は、今戸から屋形船に乗せられて墨田川を下り、
三股あたりで大揉めになる。
請け出して逃がさぬつもり舟へのせ
舟へ入れこっちのものと酷いこと
だがしかし高尾は必死に抵抗し
高尾も高尾一番もさせぬなり
ちぎり絵の過去に広がる罪な愛 上田仁
憤懣やるかたのない綱宗、とうとう高尾を三又で吊し斬りにしてしまう。
紅葉をば鮟鱇のように切り
鮟鱇は吊るし切りにされ、高尾の紅葉は有名。
三股の最期晦日の月夜なり
俗諺「女郎の誠と卵の四角あれば晦日に月が出る」
女郎の誠を貫いた高尾の最期は、出るはずのない晦日の月のようなもの。
何れにしても高尾の所業は、遊女の世界の常識とかけ離れており、
そちらサイドの人たちには評判が悪かった。
ばかものと高尾へむごい評がつき
高尾が噂「馬鹿な子さ馬鹿な子さ」
「たかをくくり過ぎて切られなんしたよ」
こちらは朋輩たちのダジャレからませた噂話。
沈黙のオンザロックが溶けぬまま 合田瑠美子
[3回]