- 2026/01/11
- Category : ポエム&川柳
江戸川柳と江戸を散歩するー②
「堺 町 葺 屋 町 戯 場」
図の右に中村座、左に市村座。筋向いに「あやつり座」として結城座と薩摩
座があった。下方が「親爺橋」で、吉原を開いた庄司甚右ヱ門にちなんだ名。
これが「二丁町」の繁華街。
江戸川柳と江戸を散歩するー②
黄表紙「曲亭一風京伝帳」 鋳掛屋
5,鍋いかけすてつぺんからたばこにし
〔鑑賞〕
「鋳掛屋でござい、鍋釜いかけぇ」と街を呼んで歩き、注文があると家の前
に荷を置いて、先ずふいごで火をおこす。次に小さなるツボで鉄を溶かす。
この準備作業が長いので、たばこを一服して鉄の溶けるのを待つ。
一般の職人は一仕事してから中休みに一服というのが普通だが、鋳掛屋だけ
は最初からで、いかにものんびりしているように見える。
「春 色 梅 美 婦 禰」
天保3-4年、西村屋与八刊
遊女たちは教養として俳句や川柳をたしなむことはあり、多くの句が残されて
います。また、九郎助稲荷は、吉原の文化や文学作品(『春色梅美婦禰』など)
の題材として登場することもありました。
6,九郎介へ代句だらけの絵馬を上げ
〔九郎介〕=吉原遊郭の東南の隅にあった九郎介稲荷のこと。
〔代句〕=自作の発句ではなく、人に代作してもたらった句。
〔鑑賞〕
吉原遊郭にある九郎介稲荷には、遊女たちが発句を書いた額が奉納してある。
よく見れば、これは宣伝のため、競ってその道の人に代作してもらった句ば
かりだ。とその実情を素っ破抜いたのである。
当時の俳諧の流行から、こうした風潮も生まれた。
「間 の 宿」
「東海道五十三次之内 御油 旅人留女」 安藤広重
7,なげ入れの干からびて居る間の宿
〔間の宿(あいのやど)〕=大きな宿駅と宿駅との間の駅で、旅人(特に大名
行列など)の休息や、人足・馬の供給、飛脚の連絡拠点
行列など)の休息や、人足・馬の供給、飛脚の連絡拠点
〔鑑賞〕
間の宿は、旅人が一休みする程度のところだから、宿泊客も少なく、座敷に
はほんの申しわけほどの投げ入れに生けた花が干からびている。
というような侘し気な宿場風景である。
「絵 本 大 和 童」 蹴鞠
8,鞠場からりっぱな形(なり)でひだるがり
〔鞠場(まりば)〕=蹴鞠を行う広場、四方を檻のように囲った鞠垣がしつらえて
あれば上の部である。
あれば上の部である。
〔鑑賞〕
当時江戸では、京都の公卿のの嗜みとされた蹴鞠が流行し、良家の息子たちは
鞠衣装に身をかためて鞠場へでかけた。蹴鞠を終えた四人の男たちは、鞠衣装
の立派な身なりに似合わず、腹が空いたの腹ペコなどと言って騒いでいる。
まさに高尚と下品とが混然とまじりあったおかしみ。
「江戸両座芝居町顔見世之図」(神奈川県立歴史博物館蔵)
市村座(左)のある葺屋町と、隣接した中村座のある堺町は、日本橋近くの芝
居町として知られた。両町の顔見世狂言の賑わいを描いている。
9,まんぢうに成るは作者も知らぬ知恵
〔鑑賞〕
大奥の絵島生島事件を詠んだ句。歌舞伎役者の生島新五郎が、大奥へ納める饅
頭の蒸籠の中にかくれて絵島の部屋へ忍び入ったという俗説があった。
役者はいろいろの人物に扮するが、饅頭に扮するとはさすがの狂言作者も思い
つかない知恵である。この事件は、七代将軍家継の時代、正徳四年 (1714 )
正月十二日、文昭院(家宣)並びに常憲院(綱吉)の法会のため、月光院の御
名代として絵島芝増上寺へ御代参、その帰路木挽町の山村座に観劇したことが
露見し、大年寄という地位にあったにもかかわらず捕えられ、同年三月六日、
絵島は内藤駿河守本国信州高遠へ長のお預け(重追放)、彼女の贔屓にした新
五郎は三宅島に遠流となった。この事件で連座した者千五百人以上、山村座は
お取り潰しとなる。句は、江戸城大奥の事件なので憚って、「作者」の一語で
芝居関係の句であることを暗示している。
『あづまの花江戸絵部類』 (国立国会図書館蔵)
歌舞伎を発展させた初代・市川團十郎は豪快な芸をみせる荒事を創始して江戸っ
子の絶大な人気を集めた。
10,日に三箱鼻の上下臍の下
〔箱〕=千両箱
〔鑑賞〕
江戸には、一日に千両のお金が動く場所が三か所あり、鼻の上は、目で歌舞伎・
芝居の世界。鼻の下は、口で高級料亭での宴。臍の下、は吉原での花魁遊び。
芸能・食・風俗で大金が動くのは、今も昔も同じ様で。
〔箱〕=千両箱
〔鑑賞〕
江戸には、一日に千両のお金が動く場所が三か所あり、鼻の上は、目で歌舞伎・
芝居の世界。鼻の下は、口で高級料亭での宴。臍の下、は吉原での花魁遊び。
芸能・食・風俗で大金が動くのは、今も昔も同じ様で。
江戸三座の歌舞伎は、男女貴賤を問わず人気を集めたが、これを楽しむには
それなりの経済力が必要で、単純に芝居を見物するだけで上桟敷が銀35匁
(54000円)、一般席の升席で銀15匁(20000円)したし、飲食代もかかる。
だから庶民は「大向こう」と呼ばれる二階正面の一番奥の最下等の場所から
立ち見で、それも「幕見」(一幕だけの見物)するのがやっとだった。これ
で銀3、6匁(6000円).
それとは対照的に、金持ちは芝居がハネたあとも芝居茶屋に贔屓にしている
役者を呼んで派手な宴会に興じたという。
だが、大向こうに熱心に通い、見物の場数をこなすコアなファンなればこそ、
芝居の出来にも敏感。大向こうから「成駒屋!」などと生きのよい声が飛ぶ
のが「大向こうを唸らせる」演技というわけで、歌舞伎を芸術として発展さ
せたのは、庶民の男たちの支持だったといえるものだろう。
なお、大向こうに入る余裕すらない者たちは「宮地芝居」を楽しむ。これは
神社の境内などで興行される安価な芝居で、百文(1200円~2000円)に満たな
いというリーズナブルさだった。
「吉原遊郭娼家の図」 (歌川国貞画)(国立国会図書館)
花魁が初めて客と会うための座敷や上級遊女のl居住スペースがある妓楼二階
の様子を描いてある。大勢の客で賑わっている。
11,芝居をかづけて昔は女郎買い
〔鑑賞〕
旧吉原が同じ日本橋で芝居町と隣り合っていたために、「芝居を見に行く」
といって遊郭で遊ぶ男が多かった、という意。
「絵 本 世 都 乃 時」 井戸替え
12,井戸かへに大屋と見えて高足駄
〔大家〕=長屋の差配(管理人)で持ち主ではない。
〔鑑賞〕
長屋の連中が全員出て水桶に結び付けた長い綱を引いて、井戸水を汲み出す。
長屋の連中が全員出て水桶に結び付けた長い綱を引いて、井戸水を汲み出す。
あたり一面水浸しで、皆は裸足になっての作業だが、中にひとり高足駄を履
いた男がいる。これがこの長屋の大屋で、作業の指揮をとっているのだ。
いた男がいる。これがこの長屋の大屋で、作業の指揮をとっているのだ。
江戸の「井戸替え」は、井戸浚いともいい、たいてい陰暦6月の真夏の行事で
暑い盛りなのである。
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