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川柳的逍遥 人の世の一家言
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花の手錠と薄桃色の砂糖菓子  高野末次





 笑いの角には、福助来たる



落語の神様・古今亭志ん生は、川柳を愛していた。彼が川柳を愛する理
由は、「川柳ぐらい安くて人に迷惑をかけず、腹が減らなくて、こんな
いい道楽はない。それに落語にも役立ちますから。第一、『女房の焼く
ほど亭主持てもせず』なんて川柳は、『五人廻し』にはこれからすぐに
咄に入れます。だから私は、川柳を覚えておけというのですが、今の若
い者はタロ(金)のことばかり言って、川柳なんか上の空なんです」と、
川柳の師匠である坊野寿山にこんなことを言っていた。
金がかからず腹も減らない。それほど安直にできる上に、本業の落語に
もメリットがあるのだから「やらなきゃ損」というのである。


干物では秋刀魚は鯵にかなわない 古今亭志ん生



これぞ志ん生自然流川柳。同人一同、大爆笑の中「おかしいね…。しか
し本当にうまいよね」三遊亭圓生が呟いていたという。みたまま感じ
たままだけで面白いのなら、誰でも名句ができるはず、それを見て感じ
た志ん生という人間自体が面白くなければ、天下の名人たちを呆れさせ、
感心させる句など、できはしない、のだ。



矢印を手折ってからの素面  木口雅裕



「神様の川柳」 古今亭志ん生




鹿連会は末廣亭でも開かれました。
志ん生、円生、文楽、小さんの名が並びます。



昭和5、6年ごろに五代目円生や四代目小さんたちと始めた「鹿連会」
という川柳句会があった。これは2年ほどで消滅した。それから20年
後の昭和28年6月24日、池之端寿山宅に結集し「第二次鹿連会」
復活した。初回の席題は「たいこもち」「弁当」だった。
同年8月18日の第二回。お題は「パナマ」「ビール」「チンドン屋」
である。この会には新メンバーが顔を見せた。
貧乏とは縁を切った古今亭志ん生。「お結構の勝ちゃん」こと八代目の
春風亭柳枝。志ん生の長男・馬生。さらに1年後には二代目・三遊亭圓
も加わって、結局、第二次鹿連会の噺家は11人になった。第二次鹿
連会はこのメンバーで定着し、辞めるときは30万円払うという約束も
あり、10年以上にわたって続いた。



笑い泣き傘のしずくが切れるまで  佐藤正昭



昭和31年6月19日、寿山宅で開かれた句会は、東京放送が録音し、
2日後に放送された。
同年7月には、志ん生宅で「茶の湯川柳会」を開催。
その年の暮には、人形町末廣亭で「川柳鹿連会」を開き、即席川柳を
披露してやんやの喝采を浴びた。この会の後、同人達は忘年会を開き、
芸者を呼んで騒いだらしい。この頃をピークに順調に鹿連会は句会を
開催した。



ピリオドの刺をきれいに抜いておく  みつ木もも花




 六代目圓生



昭和39年8月、東京日暮里の志ん生宅で「鹿連会同人座談会」が開催
された。その時の模様は次の通り。
圓生「この会では、自ら作って自ら上手がる自己陶酔性があり、それを
見ていても、何ともいえない風情がありますね。特に、志ん生さんには
「秋刀魚」の句で秀逸なものがあります。
焼きたての秋刀魚に客が来たつらさ
煮てみれば秋刀魚の姿哀れなり
寿山「煮てはいけませんが、兵隊の時、田舎で秋刀魚のフライを食べた
ことがあった。それ以来見たことはないですが…。」
死神と相談をする風の神
はばかりで電話の鈴が気にかかり



そう言えばそうねとしっぽ揺れている  宮井いずみ



正楽「これは一般普通の川柳家では作らぬものです」
酒飲みを友達にもつ大根おろし
スのあるが大根仲間の不良なり
ビフテキで酒を飲むのは忙しい
恵比寿様鯛を逃がして夜にげをし
 (正楽は紙切りの初代林家正楽)
寿山「皆なを喜ばせた句で、〇丸和尚も腹をかかえてましたね」
サンマをアンマが食うをおかしがり



どの皴も喜怒哀楽の喜の皴よ  原 茂幸





 古今亭志ん生

志ん生「自然流」の面目躍如といった名句・連句が並んでいる。座談
会の会場を提供してもらった恩義のためか、参加者たちは、かなり志ん
生をヨイショした発言をしている。中には、褒めようのない句もあるよ
うで、苦し紛れの論評も混じっている。
選者の寿山は、さすがにその辺は心得ており、句の巧拙に触れぬよう、
話題を変えたり、細部にこだわったりしながら、当り障りのない感想を
述べている。ただ、
サンマをばアンマが食うをおかしがり
という希代の珍句には、進退窮まったようだ。
「普通の川柳と非常に違った趣がある。ちょっと判らぬような、いわば
語呂合わせ的な味でおかしみを誘うところに、この句の良さが生きてい
るわけでしょう」志ん生の機嫌を損ねぬように発言をした寿山の心境は
いかばかり…だったか。



へたれらよ進めラッパを吹き鳴らし  きゅういち



寿山の発言の間、志ん生がまったく一言も喋っていないのが、面白い。
参加者がコメントに四苦八苦している様子に気づいたのか、まったく
知らなかったのか。作者はこんなとき黙っていることが風格と考えた
のだろうか…。



サイダーの泡弾けずに騒がずに  くんじろう




親子三人揃った笑顔の写真
「落語の神様」志ん生。「苦労人」馬生。「天才」志ん朝。



「志ん生の素顔が川柳を通して垣間見ることができる」
戦前の「第一次鹿連会」で志ん生の句が残っている。
甘鯛の味思い出す詫住居
表札のない質屋に時間すぎ
この頃の句には「詫住居」という言葉が何度も登場する。柳家甚五郎
名乗り、くすぶっていた昭和ひと桁時代、行間を読まずとも、当時の貧
乏生活が滲み出てしまうのだろう。
おばさんは買ったときだけいうお世辞
気前よく金を使った夢を見る
耐乏時代のなかでも、余分な金が入ると、志ん生は、骨董品や古書など、
欲しいものをひょいと買ってしまう。だが、それほど執着していた道具
類でも、暫くするとポイと売ってしまうのだ。苦しい家計の足しにした
こともあるだろうが、大概はすぐに飽きてしまったようだ。



以下省略 欲を見せないのが美徳  安土理恵



「息子の持っていた『圓朝全集』をそっくり売ってしまった話」
一門の弟子や孫弟子が口を揃えていうことに、志ん生は最晩年まで圓朝
全集を揃えていたのだが、ある日馬生が寄席から帰ってきたら、秘蔵の
全集が見当たらない。
「父ちゃん、あれ、知らねえか?」
「ああ、あれかい、売っちゃったよ」
「あれはおれのもんだよ」
「何いってやんでぇ、おめえは俺がこしらいたんだから」
そうまで言われては、馬生として言い返せない。
息子の新しい『圓朝全集』は、簡単に売ってしまうのに、自分の古い
『圓朝全集』は売らないで、しっかり持っているのである。



ハエトリ紙に父の咳払い  河村啓子



戦後、第二次鹿連会に参加した時の志ん生は、噺家としての技量も人気
もまさに頂点を極めていた。句作にもゆとりが出て当たり前だが、実際
の句を見ると、相変わらず「金」にまつわる句が多く、つつましやかな
生活実感にあふれている。
抱きついてキッスを見るに金を出し
同業に悪く言われて金ができ
宝くじ当たるハ政府ばかりなり
酒の句も多い。志ん生はどんな題がでても、まず酒と結びつけ句を作る。
空っ風おでんの店へ吹き寄せる
ビフテキで酒を飲むのは忙しい
金と酒が絡めば、まさに志ん生ワールドである。



金魚だって強い子だけ生き残る  石橋能里子
 
 
 


パナマをば買ったつもりで飲んでいる  志ん生

 カサブランカのハンフリーボガードとイングリッド・バーグマン
「パナマハット」は、かぶるだけでダンディな雰囲気を演出するオシャレ
な帽子なのです、が、似合う似合わないは、人次第。



「鹿連会こぼれ話」
鹿連会には川柳人の西島〇丸(れいがん)も選者として参加している。
小さん句会の前日に川上三太郎に会って、明日の句会の宿題が「大み
そか」なんだけれども、何かありませんかね、と尋ねた。
三太郎は「大みそかとうとう猫はけとばされ」という句がある、俺の句
だよ、と答えた。その句を小さんが句会で出したら、選者の〇丸が抜いて
(選んで)しまったというエピソードがある。
その他の句。
ふぐ刺身は皿ばかりかと近眼見る   柳枝
鼻唄で寝酒もさみしい酔いごこち   志ん生
はなしかをふと困らせるバカ笑い   円生
松羽目へさっきの雪が一つふり    〇丸



露草に猫がひねった昼の月  岡田幸男



六大家の川上三太郎を話題にしたことがある。三太郎の人間性というか、
 吝嗇家(りんしょくか)というか、何でも他人の勘定でいくそうで、勘
定を払う段になると一応は、ちょっと払う振りで、懐へ手をやるという。
がま口をあけそうにする三太郎    寿山
あけるのを見たことがない三太郎   寿山
「だいたい川柳はわる口ですからね。町人のわる口ですよ。
でも、なんかはっきりわかっちゃいけないんだ。
なんか、味がなくちゃいけない」
なんて寿山が言い訳をする。



くしゃみしてきのうの鬱が出たようだ  福尾圭司



落語家はわがままで頑固な人が多い、句を直すと、呼名をしないことも
あったらしい。
米の値を知らぬ亭主は肥つてる   文楽
後ろから眼かくしをする小さな手  小さん
眼帯へ目玉をかいて怒られる    正楽
目薬の看板の眼はどつちの眼    右女助
円生は落語にちなんだ句を作っている。
芝浜の財布世に出る大みそか   円生



マスクした地蔵が雨に濡れている  安藤なみ



 
 五街道雲助    雲助の師匠・馬生



志ん生からのプレッシャーがあったのか、倅の馬生も、戦後の第二次鹿
連会から、同会の最年少同人となった。馬生の弟子であり、最晩年の志
ん生の世話をした五街道雲助が、志ん生と馬生の川柳を尋ねてみた。
Q 馬生師匠が川柳を作っていたのを覚えていますか。
A 「馬生師匠が川柳をこさえているところは見たことがありません。淡交
というお茶の雑誌が鹿連会の特集があって、後にその特集号を " これ捨
てとくれ " って師匠に渡されたとき、何気なく中を見たら ” 師匠が(句
会で)震えながらお茶を点てていた " なんて書いてありました」
Q 馬生師匠は,若くしてホール落語会のレギュラーになったりしていた
し、主だった噺家が集まるようなことがあると、たいてい御自分が一番
下になるんですね。
A 「そうそう鹿連会でも一番下だった」



この夏の抜け殻七つあり 虚ろ  新川弘子





「パナマ帽おまけ」
パナマ帽を愛用しているハリウッドセレブや著名人を挙げるときりがあ
りません。ジョニーデップ、ショーン・コネリー、麻生太郎、西田敏行、
矢沢永吉、木村拓哉、リリーフランキー、テリー伊藤、中居正広、デン
ゼル・ワシントン、レオナルド・ディカプリオなどなど。
女性では、ケイト・モス、スザンヌ、梨花、ニコール・キッドマンなど。
夏目漱石は『吾輩は猫である』の原稿料で、パナマハットを購入したと
言われています。



Q 鹿連会では「パナマ」という題で「本パナマ渋紙色の斜陽族」と詠
みました。
A 「あたしが前座の頃、うちの師匠がけっこうパナマを被って出た記憶
があります。一度、夏場に、上着を着て、パナマ被って、寄席に来たこ
とがあるんですよ。本人は” 乙ですね " かなんか言われたかったんでしょ
うが、期待に反して、楽屋連中は” パナマですかぁ " なんて笑うばかり。
それでダレちゃったんだろうね、帰りはパナマを被らず、弟子に持たせ
て、憮然として歩いて行った」
Q 「落ちぶれてパナマの上からほおかぶり」という句は情景がでてい
ます。
A 「そうなの。うちの師匠はこさえる方なんだね。貧乏をテーマにこ
さえるというのなら、師匠は実体験豊富だから、けっこう出来るはずな
んだけどなぁ。戦前戦後、志ん生師匠がいないときは、えらい貧乏だっ
たわけだから」



零した涙に明日を握らせる  上田 仁



Q その貧乏の元を作った志ん生師匠は、日常雑感をそのまま詠んだ。
A 「志ん生師匠の代表作?の句「干物では…」。これなんか本人とし
ては、こしらえたつもりはないんだろうね。ただそのまま言っただけ。
ふんどしでズボンをはくとコブができ
ノミの子が親の仇と爪を見る
なんて、自分の生活をそのまま詠んだだけで面白くなっちゃう。こしら
えものでは絶対に出ない面白さがありますよ」
Q 志ん生師匠にも作りこんだ句はあるでしょう。
A 丸髷で帰る女房に除夜の鐘
「これ志ん生師匠にしては、面白くない。こしらえると、こうなっちゃ
うんだ」



ひと捻りすると鮮度が落ちました  美馬りゅうこ



Q そこへいくと、馬生師匠は、自然にこしらえている。
刀折れ矢尽きてここにおおみそか
なんて、やけに大仰ですが。
A 「それ、うちの師匠の句ですか?目白の師匠(五代目小さん)がつ
かってなかったかしら」
Q 「しんねこで河豚を食ってる不埒者」という句もあります。
A 「これまた、こさえてる。” しんねこで河豚 " なんて状況、うちの師
匠にありえません。絶対に自分でやったことじゃないですよ」
Q そういうタイプのひとじゃない?
A 「もう、全然違う。考えて作っているのがよく分かります」
Q 馬生師匠は芸も色っぽいんだし、女の一人や二人いたっておかしく
はないですよ。
A 「それはもうその通りなんだけどね。おかみさん一筋というのもあ
るでしょうが、女とどうしたこうしたとか、そんな面倒なことをするよ
りも、好きな酒を飲んでいた方がいい…。女より酒、みたいなところが
あったからなぁ。」



飲んでいるときには丸くなっている  新家完司




池波志乃は金原亭馬生の娘です。



Q 馬生師匠は取材などで貧乏の話をすることはなかったのですか
A 「取材っていうと、貧乏のことを聞かれてた。でも師匠は、いい顔
しなかったですね。そりゃそうですよ、当人は " 父ちゃんのおかげで苦
労した " って思いしかないんだから。川柳にしても、同じ貧乏を体験し
ながら、うちの師匠には、志ん生師匠のような、面白い貧乏の句がない。
それは結局、うちの師匠が志ん生師匠のように、貧乏そのものを楽しん
でいなかったということでしょう。仕方ないことですが、そこが志ん生
師匠との違いなんですね。」
貧乏を面白がっていた志ん生と、とてもじゃないが父親の境地になれな
かった馬生。「そこに2人の句風の違いがある」と看破した雲助は、ど
ちらの「派」なのだろう。



言葉にも運命線があるらしい  和田洋子

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