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川柳的逍遥 人の世の一家言
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サイダーを飲んでくるりと裏返る  石橋能里子

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「詠史川柳」―享保の改革

江戸は政治の中心地でしたが、文化の伝統がなかったので、元禄
時代までの江戸の文化は、上方中心のそれには叶いませんでした。
しかし宝暦の頃を境に、京阪中心の文芸はその勢力を江戸に譲る
ことになります。いわゆる文運東漸です。
この時期には、黄表紙・洒落本・狂歌・川柳等々遊戯的、享楽的気
分の濃厚な軽文学が新たに登場して、江戸文芸はにわかに活況を
みせはじめていました。

早咲き遅咲き一度はきっとは咲はずだ 森下よりこ

ことに川柳は、深い洞察力と機知によって、人間の喜怒哀楽を17文
字に凝縮させた文芸で、俳句のように季語や切れ字といった面倒な
約束事に拘束されることなく、多くの句材の中から、人事人情に関す
るものに滑稽・穿ち・軽み・風刺といった要素を加え庶民の間にまで、
その魅力の広がりをみせていました。
ところが「江戸の三大改革」という政治の介入により、罰則を恐れて、
リアルなものより、伝統や歴史の事件、歴史上の人物を詠みこんだ
川柳へと逃げこんでいくことになります。それが「詠史川柳」です。
詠史川柳とは、古典などに登場する往時の貴人や歴史上の有名人
などの行為を眼前に見る情景のように活写したもので、傍目では過
去のことを語っているように見せながら、滑稽と皮肉を隠し味にして、
政権への細やかにも不満と反抗を表現してみせたのです。

君らしく咲いてくれればそれで良い  杉山太郎

その裏事情。享保年間(1716~36)に「時々雑説、或は人の噂を
出版してはならぬ」という厳しいお達しが出ました。享保の改革です。
誰にとっても一番興味のある「時事問題や市井の恋愛や心中等々を
取り扱うことまかりならぬ」というのです。先に言うように、川柳しかり、
戯作でも芝居でも、すべて時代を鎌倉時代や室町時代に移行して、
場所は鎌倉、人物の名前も頼朝や弁慶、畠山重忠などに仮託する
ことになり、『忠臣蔵』では、吉良上野介高師直(こうのもろなお)、
浅野内匠頭塩冶判官(えんやはんがん)に仮託されたのは、こう
いう禁令を誤魔化す手にほかならなかったからです。

こうして誕生した詠史川柳やえ!と思う意外な歴史に触れながら、
今年の一年、話を進めていきたいと思っています。お付き合いの程
よろしくお願いいたします。

真っすぐの鉄条網はありえない 森田律子

≪天照大神≫

わっさりと岩戸開けんと四方の神

日本には神様は数々いますが、最高の神様は、やはり日の神・天照
大神でしょう。スサノオうの尊の乱暴な行動に怒った大神が、天の岩
戸に籠ってしまわれると世の中が真っ暗になりましたので、八百万の
神々が集まって岩戸を開ける作戦を開始しました。

うずめおどりが所望じゃと神つどい

「うずめ」「天鈿女命」(あめのうずめのみこと)のことですが「おかめ」
の意味にも使われます。
『古事記』によりますと、かなり刺激的なお神楽だったようですから、
神々も拍手喝采だったようです。

天の戸をうすめにひらくにぎやかさ

あまりの賑やかさに天照大神は「なんだろう」と少し岩戸をお開けにな
りました。
お神楽に角行の利きほど日が当たり、お神楽をやっている神様に、
将棋の角の利き道のように日が当たると、いよいよ天手力雄神(あめ
のたちからのおう)の出番です。

神代でも女でなけりゃ夜が明けず

鏡を見ない一日だった独り部屋  瀬川瑞紀

≪天手力雄神≫

岩戸までその日戸隠し闇で行き、戸隠は天手力雄神のこと。
岩戸を開けた手力雄が、天照神が二度と岩戸に隠れられないように、
開けた岩戸を放り投げたところ、信州に落下して戸隠山になったという
伝説があります。

戸隠は手の這入るほど開くを待ち

腕限り天の岩戸を取って投げ

信州へ地響きがして日が当たり

戸隠は油の値段ぐっと下げ

その後は神楽も要らず初日の出

寝返りを考えている涅槃像  河村啓子

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