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川柳的逍遥 人の世の一家言
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仮の世の終わりあたりへ来たらしい  安土理恵

 「薩摩 私学校王国」の画像検索結果

「西郷どん」 私学校―運命の導火線

西郷征韓論に敗れ下野すると、西郷につき従う辞職帰郷者が数百名に及んだ。西郷は、政府への不平不満から暴挙に走ろうとする、これらの青年に一定の方向を与え指導統御するために、明治7(18746厩(うまや)跡に私学校創立したやがて私学校は次第に勢力を拡大し、その関係者が県の区長や副区長の過半数を独占、また警察を牛耳り、鹿児島県は「私学校王国」と化した。桐野利秋篠原国幹ら私学校幹部は、たびたび政府を激しく批判し、生徒たちは強い影響を受けていった。さらに政府の発令した地租改正にも従わず、県内で徴収された税金が国庫におさめられることはなかった。木戸孝允は「独立国の如し」と痛烈に非難し、薩摩閥の大久保利通内務卿の責任を厳しく追及した。

黄河へ流すぞとたこ焼きをおどす  森 茂俊

明治9年10月には、不平士族の反乱が相次いだ。政府は軍隊を派遣して鎮圧したが、全国の反政府派は西郷の決起に期待し、薩摩に熱い視線を送っていた。政府にとって私学校は不気味な存在であり、正に一触即発の状態であった。しかし西郷は動かなかった。ボウズヲ、シサツセヨ」 木戸から生温かいと詰め寄られた大久保は警視庁大警視の川路利良に命じ、少警部・中原高雄以下23名を密偵として鹿児島に送り込んだ。明治10年1月6日から15日、それぞれが様々な理由で鹿児島に入ったが、敵情視察と私学校党の内部分裂を工作することが目的だった。

いじめられ歪になったボタン穴  嶋沢喜八郎
 
しかし、この動きは私学校党が東京で出していた雑誌『評論新聞』によってすぐに知らされ、私学校党は谷口登太という逆スパイを密偵団内に潜入させた。谷口は遷卒として政府で警官をしていた人物で、中原は同じような境遇から数回の面会で谷口を信用した。そして「ボウズヲ、シサツセヨ」の密命を明かしたのである。ボウズとは「西郷」のことで、シサツとは「刺殺」、つまり西郷の暗殺計画である。

一枚のコピーで人を売り渡す  森中惠美子

同じ頃、三菱商会の赤竜丸という汽船が夜間、錦江湾にあらわれた。政府の依頼を受け、集成館や草牟田(そうむた)の火薬庫から武器弾薬を運び出したが、鹿児島県庁に何の連絡もなかったため、私学校の生徒たちは浮足立った。密偵団のこともあり、生徒の緊張と興奮は頂点に達し、1月29日、松永高美(たかみ)ら20数名が草牟田の火薬庫を襲うという実力行使に出た。幹部に知られると止められると分かっていたので無断であった。その夜、幹部たちが集まり対策を練ったが、松永らを政府に差し出そうという者は誰もおらず、むしろ政府との全面対決を決心した。翌30日は千人以上の生徒が火薬庫を襲い、この襲撃は2月2日まで続いた。火薬庫を襲うことは国家への反逆であり、後戻りできない状況に追い込まれていった。

雪憎しみて雪に似て兎死す  阪本きりり  

結果的に、私学校党はまんまと政府の挑発にのってしまったのである。東京にいた大久保はこれを聞き、「ひそかに心中には、笑みを生じ候くらいにこれ有り候」伊藤博文に手紙を書き、ほくそ笑んでいた。その頃、西郷は狩猟に出かけ、大隅半島の高山から小根占に滞在しており、何も知らなかった。そこへ2月1日、末弟の小兵衛辺見十郎太がやってきて、この数日の騒動の様子を伝えた。これを聞いた西郷は怒気を発している。2月3日には武村の自宅に帰ったが、事情を説明しようとする私学校生を叱責した。

神様の吐息でしょうか星が降る  合田瑠美子

5日、私学校の講堂で幹部会議が行われ、200余名が集まった。白熱した議論が行われたが、別府晋介「政府を問責するために出兵すべし」と発言し、大勢はこの意見に賛成であった。ところが永山弥一郎「多数の兵隊を引き連れず、西郷先生と桐野どん、篠原どんら数人で上京し、正々堂々、政府の非を鳴らせば、それで事足りる」と出兵に反対する。河野主一郎らもこれに賛成したが、桐野利秋「それではみすみす捕虜になりに行くようなものだ」と反論した。「若干の兵隊を与えられれば、大久保政府に密偵を証人として突き付けて、政府の不正を糾弾する」村田三介。また野村忍助「兵6千名を率いて海路を行き、若狭小浜に上陸して、京に行幸中の天皇に西郷先生の上京許可を得よう」と発言した。出兵に慎重な者に対して、篠原「死を恐れて議論するな」と一喝し、桐野は「政体を一新するために、西郷先生を押し立てて総出兵する他に道はない」と主張、満場の賛同を得て出兵が決まった。
                         私学校ー西郷参戦へ続く

人形の家の芝居はエンドレス  山口ろっぱ

【付録】 等身大の大久保利通

大久保には厳乎とした価値観がある。富国強兵のためにのみ人間は存在する―それだけである。かれ自身がそうであるだけでなく、他の者もそうであるべきだという価値観以外にいかなる価値観も大久保は認めていない。―何のために生きているのか。という人生の主題性が大久保においては、一言で済むほどに単純であり、それだけに強烈であった。歴史はこの種の人間を強者とした。翔ぶが如くゟ

悪党の一人もいないまずい酒  松田俊彦 

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