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川柳的逍遥 人の世の一家言
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生命線を辿ったら砂漠に着いた  壷内半酔

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賎ヶ岳合戦屏風

「市の人生」

戦国時代、一番の美女と称された

だが、織田信長の実妹であったがゆえに、

その運命は、過酷なものとならざるを得なかった。

政略結婚で嫁いだ北近江の大名・浅井長政とは、

うらやむほどの仲睦まじさであったとされ、

茶々、初、江が、次々に誕生した。

ところが三女の江が生まれてすぐに、市の運命は暗転する。

切り株がいちにち獏の席になる  たむらあきこ

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    勝家が架けた刀狩の鉄で鎖で繋いだ「舟橋」(福井名所)   

信長が、浅井家と古くから盟友関係にあった朝倉義景を攻めたため、

長政と信長の同盟関係は崩れ”姉川の戦い”で、対立は決定的となる。

やがて織田方の大軍によって、本拠の小谷城は包囲され、

長政は父・久政とともに自害、小谷城も落ちた。

市は長政の懇願を受け入れ、娘たちを連れて織田家に帰還した。

市は三人の娘とともに、信長の弟である織田信包を後見として、

信長の庇護を受けながら、清洲城や伊勢上野城で暮らした。

怨みからうらみへ向かぬ針の先  森中惠美子

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    北ノ庄城の鬼瓦

だが、夫の仇である兄に対し、市の心境は複雑だったはずだ。

その後、"本能寺の変"で信長が死に、明智光秀、羽柴秀吉に倒されると、

市は娘たちを連れて、柴田勝家と再婚した。

市たちは”越前・北ノ庄城”に迎えられたが、

結婚の翌年、信長の後継問題で秀吉と対立した勝家が、

”賎ヶ岳の戦い”で敗れ、

篭城した北ノ庄城は、秀吉軍に取り囲まれてしまう。

人の世を底なし沼と言うらしい  浜田さつき

北ノ庄城への攻撃は、4月23日に始まる、も翌日には大勢が決し、

勝家は、「敵の手で討ち取られるよりは」

と、自決する覚悟を述べ、

「城から落ちたいものは、好きに出て行くよう」

に認めたにもかかわらず、そこに残った家臣や妻妾たちは、

「勝家とともに果てる」ことを望んだのだという。

市に対しても、勝家は、

「娘たちとともに、秀吉に帰順せよ」

と諭したが市はそれを拒否した。

女の過去に負けぬ男の深い傷  高原まさし

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しかし、勝家は執拗に、

「浅井家の血を絶やしてはならない」

と遺言し、娘たちだけを秀吉の陣に、送り届けさせた。

その後、一族そろって念仏称名を唱え、この世に別れを告げ、

おのおの自決したり、差し違えたりと地獄絵が繰り広げられたという。

『長政を失って以降の「市の人生」は、

 自らの死に場所を探し求めるものだったのかも知れない』

競争の最たるものは生きること  三宅保州

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勝家を父に認めて、なごやかな北ノ庄城

「お江・『義父の涙』-あらすじ」

秀吉(岸谷五朗)は、京の大徳寺で信長の葬儀を、盛大に執り行った。

だが、その葬儀は、越前の柴田勝家(大地康雄)市(鈴木保奈美)たちには、

知らされていなかった。

明らかに勝家に対する挑発であった。

勝家  「猿をこのまま捨て置くわけにはいかぬ」

茶々  「秀吉との争いになるのですか?」

  「戦が起こるのですか?」

  「戦はいやにございます!」

勝家  「文を書くのじゃ」

茶々  「ふみ?」

勝家  「秀吉の手前勝手なふるまいを面白からず思うものは少のうない。

     皆に声をかけ、猿を黙らせてくれるまでじゃ」

噛み付いた言葉の奥の不眠症  山本芳男

だが、秀吉は黙ってはいなかった。

秀吉は、勝家の所領である近江の長浜城を、攻め落としたのであった。

長浜城は、もともと秀吉が浅井・朝倉攻めの手柄として、

信長より拝領し、秀吉にとっては初めての城だった。

だが、「本能寺の変」後の清洲会議で、勝家の所領と決まったのであった。

秀吉は、

「もともと自分の城だったものを取り返したのだから何が悪い」

というが、明らかに勝家に対する挑発以外の、なにものでもなかった。

里芋の葉っぱ被っているルパン  井上一筒

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市は相手が秀吉だけに、「これだけでは終わらない」と感じていた。

そして、秀吉による更なる挑戦が始まった。

岐阜の織田信孝(金井勇太)のもとにいた幼い三法師(庄司龍成)を、

力づくで奪い取って、安土城に住まわせるようにしたのだという。

「三法師は、信長の跡取りに決まったのだから、安土城に入るのが当然だ」

というのが、秀吉の言い分だった。

確かに理は通っていた。

だが、何万もの兵で城を囲むのは、あまりにも度が過ぎていた。

拭き取ったがもう一つ奥の顔見えず  小谷竜一

勝家の怒りは、既に沸点に達していた。

いつもだったら即座に出陣であった。

だが、今は大切な家族があった。

家族の為にも、なるべく戦はしたくなかった。

信孝からは、「年があけたら挙兵するつもりなので、一緒に戦おう」

という書状が届いた。

そして、年が明けた天正11(1582)年の正月。

信孝が、秀吉相手に

挙兵し、志を同じくする大名たちも加勢した。

だが、簡単に、やり返されてしまったのだ。

味方だと思い込んでた敵の敵  笹倉良一

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信孝からの書状を読む勝家は思わず言う。

勝家  「この時期に無茶なことを・・・・。共に立てば猿を挟み打ちにできたものを・・・」

  「戦は避けられないのですね・・・」

勝家  「わ、わしは、そのようなことはいうておらぬぞ。・・・うむ。ひとことも言うておらぬ」

その夜、市は勝家が寝床から抜け出していることに気付き、捜しに行く。

すると、勝家が夜着一枚で、じっと月を見つめていた。

その表情は、必死に何かを堪えている様子だった。

谷底でいくら満月眺めても  谷垣郁郎

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翌日、市は娘たちを説得する。

  「敵方にああまでされたら、行くしかないのが男というもの。

    なのに、ひたすら耐えておられる。

    勇猛な戦いぶりで名を轟かせ、鬼柴田とまで呼ばれたお人がじゃ。

    勝家様が心置きなく戦うには、そなたたちの助けもいるのじゃ」

茶々  「私にはわかりませぬ」

市  「茶々。そなたは浅井の父・長政様の死を心より悲しんでおる。そうじゃな?」

茶々  「無論です。それも戦で命を落とすなど・・・」

市  「しかし父は果たして、哀れなだけ、不幸なだけであったのか・・・?」

茶々  「・・・どういうことでしょう?」

玉手箱置き忘れたか母の海  ふじのひろし

  「誇りを貫き、武士として死ねたことは、父の喜びではなかったか・・・。

    女にはわからぬが、敗れようとも戦って死にたい、それが男なのやもしれぬ」

  「私たちと別れてもですか?」

  「そうじゃ。長政様ばかりではない。私は兄・信長も見てきた。

    その兄を討った明智光秀殿も同じ思いで死んでゆかれたのであろう。

    ・・・男とは、武士とは、かくも不可思議な生き物なのじゃ」

茶々 「・・・とめぬことは、できぬのですか?」

市  「これ以上とめるのは、死ねというよりむごいことやもしれぬ。・・・勝家様は男ゆえな」

知らぬ間に相手の踏絵踏んでいた  武本 碧

市の必死の説得により、茶々(宮沢りえ)初(水川あさみ)は、

勝家の出陣を認めることにした。

二人の申し出に勝家は喜んだ。

だが、江(上野樹里)だけは認めなかった。

  「義父様は約束なさいました。戦はせぬと仰せになりました。なのに・・・。

    義父上は嘘つきにございます・・・」

横槍を入れてきた来たのは赤ワイン  井上恵津子

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やがて、出陣の朝となった。

勝家は、市、茶々、初に見送られて出陣することとなった。

だが、江はとうとう姿を見せなかった。

諦めて行こうとしたところ、江が息せき切って駆けてきた。

江は、布袋を勝家に手渡す。

お守り袋であった。

それは、二日間、寝ずに縫ったもので、

不細工だが、義父・勝家に習った刺繍も施されてあった。

江の手は、その悪戦苦闘が物語るように、針傷と膏薬だらけだった。

矢が当たるまでは自由な夢を見る  武智三成

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お守り袋というからには、中身のお守りがなければならなかったが、

中身までは考えてなかった。

すると、勝家は市に促されて「天下布武」の印判を中に入れた。

勝家にとっては最高に心強いお守りが出来た。

勝家  「では、行って参る」

市  「存分に戦って来てくださいまし」

勝家  「うむ」

市と三姉妹が見守る中、

軍勢は動き出し勝家の姿も少しづつ小さくなっていく。

すると、江はたまらなくなって走り出した。

そして、泣きながら叫ぶのだった。

サヨナラの言葉の先を聞きのがす  中野六助

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