錯角を肯定してくる砂の城 小川一子
子規思い出の下駄
「『坂の上の雲』・第8回 「日露開戦」 あらすじ」
外国勤務を解かれ、イギリスから帰国した真之(本木雅弘)は、
常備艦隊参謀に就任し、海軍少佐に昇進する。
帰国後、胃腸を病んで入院している間に、資料を取り寄せ、
瀬戸内水軍(海賊)の戦法を学んだのち、
海軍大学校戦術講座の初代教官となる。
診察券の数とわたしの持ち時間 山岡冨美子
清国から戻り騎兵第一旅団長となっていた好古(阿部寛)は、
すぐに、シベリアのニコリスクで行われるロシア陸軍の、
大演習を見に行くことになる。
ロシア騎兵将校と酒を酌み交わし、演習を見学。
その実力のほどをしかと確かめ、ハバロフスク、旅順経由で帰国する。
それは世界一と自負する陸軍を見せることで、ロシアに対する戦意をくじこうとする
ロシアの目論みだった。
咲く前にドライにされたバラの花 合田瑠美子
乃木と児玉
日露開戦が避けられないことを理解している児玉源太郎(高橋英樹)は、
対露戦研究の権威であった陸軍の参謀本部次長・田村怡与造が急死すると、
異例の降格ともいえる人事を、自ら望んで後任についた。
そして、休職中の乃木希典(柄本明)を陸軍に復帰させる。
曲がり鼻それなりにある指定席 北田ただよし
東郷と山本
一方、海軍大臣の山本権兵衛(石坂浩二)は、
艦上勤務を離れ舞鶴にいた東郷平八郎(渡哲也)を、連合艦隊司令長官に任命。
宮内省御用掛・稲生真履の三女・季子(すえこ)(石原さとみ)と結婚した真之は、
ふたたび常備艦隊参謀となり、東郷平八郎と会い、
その人物に惚れて帰ってくる。
真之は、東郷から作戦参謀を任命され、
艦隊が集結する佐世保に向かう。
だからこそ険しい道を行くのです 足立淑子
宮中では、行き詰まりを見せる対露交渉についての、議論が交わされていた。
日本政府は、外交交渉による前途に絶望して、
何度か断交しようとするが、
そのつど明治天皇(尾上菊之助)は許さなかった。
≪ここまでが、あらすじです≫
対岸の妬心はさみで切っておく 赤松ますみ
「秋山真之と東郷平八郎」
秋山が季子と結婚したその年、
秋山は海軍大学で学ぶことなく、いきなり教官になった。
才気煥発な秋山に、人事局員が伝えた。
「近く常備艦隊の作戦参謀に抜擢されるから、長官の私宅を訪ねて、
挨拶しておくように」 と。
その夜東郷は、夜更けまで待っていたが、秋山は姿をみせなかった。
発令はデマとみて、すっぽかしたのだ。
たいへんな非礼を犯したことになる。
どこまでがタブーかみんな知っていた 田頭良子
翌日、秋山は海軍省の一室で東郷と対面した。
「私が秋山少佐です」
と名乗っただけで、昨夜の非礼を詫びようとしなかった。
「このたびのこと、あなたの力に待つこと大である」
それっきり東郷は、一言も発しなかった。
おそろしく無口な老提督から、秋山は人徳のようなものを感じたが、
将としての器とは、別のものだ。
「日本海軍に自分より勝れた作戦参謀はいない」
という自信があるから、
秋山には誰が長官かということは、さほど問題ではなかった。
顎すこしあげておとこを見きわめる たむらあきこ
≪英雄・東郷が格好良いに越したことはないが・・・?≫
”才気走った生意気な若僧”ということにもなろうが、
東郷は一向に気にしなかった。
要は天才的な頭脳から、奔放自在な作戦を引き出すことだ。
”小男で外見の貧相”な東郷が、常備艦隊の長官に据えられたとき、
秋山も部内の下馬評に同調して、東郷を一介の凡将と見た。
裏返ししたい上司がいるのです 山本憲太郎
しかし、秋山の東郷観は次第に修正されて行く。
東郷が初めて、秋山に待ったをかけたのは、旅順港の”閉塞作戦”である。
陸上砲台の射程距離内を突進して、湾口に接近し、
汽船数隻を沈めて、ロシア艦隊を封じ込めるというものだ。
秋山は、米国留学中に米西戦争を体験した。
ハバナ軍港にスペイン艦隊を閉じ込めた、アメリカ艦隊の”封鎖作戦”を、
詳さに観戦しているから、いわばその道の権威である。
東郷が注文をつけたのは、
「文字通りの決死隊にならぬように、閉塞隊員の生還に万全を期せ」
ということだった。
これこそ、作戦すべての核心に触れるものだ。
凡将の口から発せられることではない。
秋山は東郷への見方を改めた。
不器用にアンモナイトの回復期 岩田多佳子
≪当時の新聞に載った風刺記事・開戦への盛り上がり≫
「日露戦争ー短期決戦しかない」
いよいよ時局は、”日露開戦”に向かっていく。
内務大臣・文部大臣を兼任している児玉源太郎は参謀次長となり、
戦費調達交渉のため、財界の大御所・渋沢栄一に会い、協力を取りつける。
政府は、最終段階として対ロシア交渉に入っていたが、
ロシアの態度は強硬にして倣満だった。
政府は、ロシアと戦争をすることに恐怖を抱いていた。
政府の財政状況も緊迫していたが、世間は、
開戦論で盛り上がっていた。
人払いして長ネギ茹であがる 井上一筒
御前会議
≪内閣閣僚や元老による通常の会議とは別に、
天皇が出席することで、大きな権威を持たせた会議≫
明治37年2月4日の御前会議において、
ついに”日露開戦”は決定されることになる。
明治37年2月6日、日本はロシアに国交断絶を通告した。
ロシアの宣戦布告は、9日、日本の宣戦布告は10日だが、
戦争はすでに始まっていた。
もはやたまさか月刊狂気 酒井かがり
国交断絶前日の2月5日、
連合艦隊司令長官・東郷平八郎は、指揮官らに大命が下った旨伝達し、
海軍大臣・山本権兵衛から下された「連合艦隊命令第一号」を伝えた。
連合艦隊参謀長・島村速雄は、真之にひそかに言っていた。
「すべて君に一任する」 と。
2月6日午前9時、連合艦隊は佐世保を出航。
海軍に課せられた任務は、旅順艦隊を撃って、制海権を握り、
朝鮮の仁川港に、陸軍部隊を揚げることにあった。
ノックして隣の留守を確かめる 嶋澤喜八郎
秋山真之参謀は、「三笠」の艦橋にいた。
その任務は、ロシアの旅順艦隊を撃破して、
「制海権を手に入れる」
ことと、
「朝鮮仁川港に陸軍を陸揚げする」 ことであった。
一等巡洋艦の浅間を中心とした瓜生戦隊(瓜生外吉司令官)は、
主力が出た2時間後に抜錨し、仁川に向かったのであるが、
その途中で、仁川港から脱出してきた三等巡洋艦・「千代田」に出会う。
死ぬ暇のないほど今が忙しい 井上恵津子
その報告では、
「二等巡洋艦ワリャーグと砲艦コレーツが、仁川港に停泊している」
とのことで、早速、仁川港に赴いてロシア艦に出航を迫り、
港外に出たところで戦闘を開始した。
この時に浅間から発砲された8インチ砲弾が、
”日露戦争の海戦における第1発目”
と言われている。
≪結果は、ワリャーグは大破、コレーツは無傷であったが、
共に仁川港に逃げ帰り自沈した≫
海が泡だつ人間はいくさ好き 森中惠美子
[5回]