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川柳的逍遥 人の世の一家言
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巻貝のつぶやきカモメのひとり言  森 茂俊





                                              清少納言と女房たち (枕草子絵巻 逸翁美術館蔵
中宮定子の周辺の華やかなりし頃、天皇のお住まい清涼殿に定子が参上
していたときのこと。自分に仕える女房たちの、機転のほどを知りたか
った定子は、色紙に古歌を書かせた。
清少納言は、気後れしながらも古歌を巧みに改変した一首を書きくわえ、
中宮からお褒めの言葉をもらった。
<年経れば齢は老いぬしかはあれど  花をし見れば物思ひもなし>
という歌の下の句を清少納言は、<君をし見れば 物思ひもなし>と、
中宮を讃える歌で返した。中宮は、「そうそう、こういう機転が欲しかっ
たのよ」と、少納言を褒め称えた。




にんげんを仕上げる老いという風味   若林柳一




式部ー枕草子ー華やかな日々





「荒海の障子に描かれた・手長足長の図」
清涼殿の東北の隅、北のへだてにある「荒海の障子」に描かれている古
代中国の想像上の怪物が手長・足長。現代でも家を建てるときなど東北
の方角には、台所や風呂をつくらない人がいるが、昔の人は東北の方角
の方に鬼が住み、災いが集まると信じられていたらしい。そこで東北の
隅に荒海の恐ろしい絵が描かれた障子を置いて魔除けとした。




幽霊が出る前風を湿らせる  中村秀夫









主上の常のご殿である清涼殿の、東北の隅、北の隔てにある
障子には、荒海の絵や、「手長足長」の恐ろしげな絵が書いてある。
弘徽殿の上の、御局の戸を押しあけると、いつもそれが目に入るので
「いやあねえ」などとみんなで笑ったりするのだけれど…。
縁の高欄のところに、青磁の花瓶の大きいのを据えて、桜のみごとに咲
いた枝の五尺ぐらいのを、たいへんたくさん挿してある、それが高欄の
外まで咲きこぼれている。




濡れているのか泣いているのか楠若葉  柴本ばっは



昼ごろいらした大納言どの(藤原伊周)は、瓶の桜に負けぬほどお美し
かった。桜の直衣の着なれて、すこし柔らかになっているのに、濃い紫
の指貫(袴)何枚か重ねた白い下着、上には濃い紅の綾織物のとても鮮やか
なのを出衣(いだしぎぬ)にしていられる。
色美しい幾枚かの下着の裾を、上着と指貫のあいだにわざと出すのを、
出衣というのだが、その彩りの美しいこと。
主上がこちらにお渡りになっているので、戸口の前の細い敷板にお坐り
になって、お話しを申しあげていらっしゃる。
(弘徽殿女御=女御とは、後宮  に入り天皇の寝所に侍した高位の女官。
后・中宮に次ぎ、更衣の上に位した)




男の美学またの名を見栄という  北原おさ虫




上のお局の御簾の内には、女房たちが、桜の唐衣をゆったりまとい、
藤、山吹襲などの衣の襲(かさね)色目もさまざま趣味よく、小半蔀
(こはじとみ)の御簾の下からとりどりの色の袖口がこぼれたりして
いる、そういう折に、主上の昼の御座所の方では、主上のお膳をお運
びする足音ゆきかう。警蹕(けいひつ)の声など聞こえる。
うらうらとのどかな春の昼つかたの有様、言おうようなくすばらしい。
(警蹕=天皇や貴人の通行などのときに、声を立てて、人々をかしこ
まらせ、先払いをすること、その声)
最後の食膳を運んでいる蔵人が、こちらへ参上して「お食事の用意が
ととのいました」と、奏上すると主上は、中の戸から昼の御座所へ向
かわれる。主上のお供をして大納言どのは、お送りしていらして、
またさっきの高欄の花のもとに帰ってこられた。




渋柿を甘い甘いと言わはって  大内せつ子






几帳
台に2本の柱を立て、柱の上に一本の長い横木をわたして帳をかけたもの。
室内に立てて隔てや間仕切りにする。




中宮さまが御几帳を押しやって、敷居のところにいらっしゃるご様子。
ただもうすばらしく、宮廷の華やかさに酔う心地がする。
お仕えする私どもも、うっとりするほどである。
「月も日も かはりゆけども 久に経る みむろの山の……」と、
大納言どのが、ゆるやかに吟唱なさるのも趣きふかい。
ほんとに、千年もどうぞこのままで、と、願わしい中宮さまのめでたさ
であった。




きれいだね花壇と会話する亭主  助川和美




陪膳にお仕えする人が、蔵人などを召す間もなく、はや主上はこちらへ
お渡りになった。
「御硯の墨をおすりなさい」と、中宮さまは、私に仰せられるのだが、
目はただもう上の空で、主上の方ばかり見上げてしまっているので、
どうかすると、墨挟みの継ぎ目も取り外してしまいそうだ。
中宮さまは白い紙をたたんで、
「これにたった今すぐ思い浮かぶ古歌を書いてごらんなさい」
と、仰せられる。
御簾の 外の大納言どのに、「あらまあ、どういたしましょう、これは」
と、頂いた色紙をお渡しすると、
「ともかく早くお書きなさい。男は、口出しすることではありませんか
らね」と、またお返しになった。





明日を語る資格などありません  雨森茂樹





                           橘 千鳥蒔絵硯箱 (東京国立博物館蔵)

定子は硯をさげおろして「早く思い浮かぶ古歌を書いてみなさい」
とせかしたが、それは女房たちの機転のほどを試すためだった。

中宮さまは、御硯をさげおろされて、
「早く早く、そんなに考えないで、手習いのいろはでも何でも、ふっと
思いついたことを」
と、お責めになるのに、こういう場合はどうしてか気後れして、みんな
顔を赤くして思い乱れるものである。
春の歌、花の心など、そうは言いつつも、上級の女房たちが二つ三つ書
いて「どうぞ」と、私の方へ回ってきたので、
「年経ればよはひ(齢)は老いぬしかはあれど 花をし見れば物思ひも
なし」という古歌の「花」とある所を「君をし見れば」と、わざと書き
かえて出した。中宮さまはご覧になって、
「あなたたちの、こういう気働きや、機転のほどが知りたかったの」
と、仰せられ、興に入られた。




まだ夢に見る赤点の追試験  藤原紘一





                           紀貫之
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほいける




「昔、円融院の御時、草子に歌を一つ書きなさい、と、殿上人に仰せら
昔、円融院の御時、草子に歌を一つ書きなさい、と殿上人に仰せられた
ので、、みんな咄嗟に書きにくくて、譲りあっていられたのを、もう
筆蹟の上手下手や、歌の時季外れ問わぬからただ早く早く」
と、お急かせになられ、仕方なくみな書いた中に、ただいまの関白どの
三位中将でいらしたころ、
「しほの満ついつもの浦の いつもいつも 君をば深く思ふやはわが」
という古歌を『たのむやはわが』と、お書きになったの。
それを主上は、たいへんお気に入られてお褒め遊ばしたということです。
少納言の頓智も、その話に似ていますね」
と、仰せられ、私はいっぺんに嬉しくなり、汗が吹き出る思いがした。
年の若い人だったら、なるほど書けない類のことだったかしら…。
いつもなら、上手にうまく書く人も、咄嗟のことで、あいにく遠慮し、
書き損じてしまうのだった。




明日を語る資格などありません  雨森茂樹




『古今集』の綴じ本を中宮さまは御前に置かれて、いろんな歌の上の句
を仰せられ、「この下の句はなに」と、お尋ねになるのに、 ふだんはよ
知っている歌が、さっぱり出てこない。
中宮さまは、村上天皇の御代の、宣耀殿(せんようでん)の女御のお話しを
なさった。
女御がまだ、姫君でいらした時分、お父上の小一条の左大臣のご教育は、
まず第一に習字をなさい。次に琴を上手に弾くこと、第三に古今集の歌
二十巻を全部記憶すること、というのだった。




健やかな耳朶にシャランと巫女の鈴  宮井いずみ





                                               一条天皇と中宮定子 (枕草子絵巻 逸翁美術館蔵)




美しい容姿と高い教養に恵まれた定子は、女房たちの憧れの的だった。
この定子の兄が大納言伊周、伊周の人生は当時第一の権力者であった父・
藤原道隆の死によって急変していった。
伊周は弟・隆家とともに、花山院に矢を射かける事件を起こし、流罪と
なってしまう。そして定子の身にも不幸が襲いかかっていく。



かねてお聞きになってらした『古今集』を持って、女御の部屋にお
越しになり、試験をあそばしたの、几帳を引いて女御との間を隔てられ
たので、女御は<いつもと違って変ね>と、思われたが、帝は古今集の
綴じ本を開かれて、「なんの月の、なんの時に、誰かが詠んだ歌は、
なんという歌か」と、お尋ねになるので、女御は、
<几帳で隔てられたのは、こういうことだったのか>
と理解なさって、<おもしろい>と、思われるものの、
<間違って覚えていたり、忘れているところがあったら、大変なこと>
と、むやみに心配されたに違いない。




砂時計のくびれにそっと触れている  高野末次




は、歌の方面に疎くない女房を二、三人ほど呼ばれて、間違った歌は
碁石を置いて数えることにして、女御に無理にお返事をおさせになった
時など、どんなに素晴らしく面白かったことだろう。
御前にお仕えしていた人までも、羨ましい。
帝が強いてお尋ねになるので、利口ぶって、そのまま終わりの句までは
おっしゃらないけれど、女御はちっともお間違いにならなかった。
帝はしまいにお悔しく思われ、ちょっとでもお間違いを見つけたら、
それでやめようと思し召されたのに、とうとう一つも、お間違い遊ばさ
ないの。負けました、と、途中でやめて仲よくお休みになったけれど、
いや、やはり事の決着はつけなくてはと、またお起きになって大殿油
(おおとのあぶら)をお近くに灯させて、夜ふけるまでお尋ねになり
ました。でもとうとう、女御は、最後までお間違いにならず、よみあ
げられたのです。




えり足の深いところに累ケ淵  くんじろう





                                       村上天皇陵

村上天皇は一条天皇から数えて4代前の天皇で祖父にあたる。
醍醐天皇・村上天皇は天皇親政を行い、後世、理想の治世と
され、「延喜、天暦の治」と呼ばれた。




女御のお部屋にお越しになって、こういうことが、と、女御の父の
左大臣殿に人を遣わして知らされると、父君はたいへん心配してお大騒
ぎなさって、「どうぞ娘が間違わず詠みあげて、帝のお褒めに預かりま
すように」と、神仏に懸命にお祈りになったということよ。
その親心にもしみじみしますけれど、「昔は風柳だったのねえ」と、仰
せられた。主上も興がられて、
「村上の帝はよくまあ、おしまいまで調べられたことだね。私なら三巻
か四巻までしか詠まれないだろう」と、言われた。
女房たちも参り集うて、そんな話に聞き入ったり、褒めそやしたりする
ありさま……これほどのたのしい、満ち足りた豪奢な時間が、またとあ
ろうか。





カラスならカアで終りにする悩み  山下炊煙

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