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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ノックして下さったのでしょうか春  前中知栄






          「源氏物語図 真木柱」 (土佐光吉筆 京都国立博物館蔵)

お仕えする姫の魅力を、それとなく触れまわるなど女房たちには、気働
きが大切。ひとたび、素敵な貴族の男と結婚したとしたら、今度は姫が
不幸にならないようにも、心を砕いたという。




「恋はいつでも噂で始まる」
顔の見えない平安の恋愛は、男性が女性の噂を聞くことから始まる。
「音に聞く」と、いって、どこそこの娘は、器量よしであるとか、教養
があるとか、噂で情報収集してイメージを膨らませる。
噂を流すのは、お付きの女房で、彼女たちは、自分の仕える姫にすばら
しい男性が来るよう、しばしば誇大広告することもあったとか。
世の男性にアピールするため、年ごろの娘のいる家では、才気ある女房
をひとりでも多く抱えようとしたという。




タケヤブヤケタカと言えますか姫  酒井かがり





   清涼殿上御局の復元模型 (京都文化博物館蔵)





式部ー後宮の恋愛




「王朝の恋は恋文から」
顔を知らぬ者どうし、愛の手紙を交わすことから始まるのが、平安時代
の恋愛。そのため、印象的で女性が好感をもつような手紙を送ることが、
男性の嗜みだった。
書かれる和歌や文字の優美さはもちろんのこと、便箋(料紙)の選び方
にも、心を配っていた。
恋文には、厚いしっかりした紙よりも、薄く柔らかな紙が好まれたよう
で…『源氏物語』にも雁皮紙(がんぴし)を薄くすいた薄様、柔らかく
繊細な高麗の紙、もろさのある唐の紙などが、料紙として用いられた。




楷書よりすこし崩した字がやさし  荒井加寿





          「矢田地蔵縁起」

仏教が厚く信仰された平安時代後期から鎌倉時代には、仏や社寺の由来
を題材にした縁起絵が、数多く残されている。
これは満米上人が閻魔に招かれ、地獄見物に案内された説話。
満米上人は地獄で猛火の中の亡者を救っている地蔵を見る。




「王朝貴族は運命の恋に身を焦がす」
源氏物語には、宿世(すくせ)という言葉がしばしば登場する。
これは、現世での出来事は、前世からの因縁で決まっている…という
仏教の考えをもとにした運命感である。
「さるべき(そうなるはずの)契り」「さるべき宿世」といった言葉を
王朝人は好んだ。恋愛には欠かせない「運命の出会い」
王朝人は、宿世という仏教の教えを、ロマンチックな情愛に結び付け、
わが恋の炎を燃え上がらせていたのである。




飴色の竹の耳かきこする音  野口 裕





        貴人の御帳台
昼のひと休み用の間 夜はベッドルームに。
昼間は帳を巻き上げ、その代わり三方に几帳を立てた。




「帝の恋に、純愛はご法度」
は、つねに桐壺を手元に置き、寵愛の限りを尽くされる。
桐壺が「更衣」という女御よりも、低い身分の女性と承知の上だから、
まさに純愛のラブストーリーである。
しかし、たった一人の女性を愛することは、天皇にはあるまじき行為。
天皇は、後宮すべての女性に、満足を与える存在でなければならない。
仕える女たち全員に情けをかけることも、天皇の義務の一つなのである。
他の女御や更衣たちが、桐壺に憎悪を抱くのも、無理のないことだった。




風が煽ってくるわたくしの熾火  岸井ふさゑ




「帝のお召しのない夜は…」
毎夜のようにに呼ばれ、清涼殿へと向かう桐壺
そんな彼女に嫉妬心を燃やす後宮の女たち…。
しかし、そうかといって後宮を去り、違う男を探すわけにもいかない、
一族繁栄の期待を背負って入内した女たち…。
ライバルの動向に目を光らせ、不安と孤独に悩まされながら、帝に誘わ
れる夜を待つほかないのである。
夜の誘いが途絶えることを「夜離れ(よがれ)」といい、貴族の結婚の
場合は、そのまま離婚にいたることもあった。




淋しさを要約すれば小夜しぐれ  宮井いずみ





        朧月夜の姿を垣間見て見初める源氏
このあと二人は慌ただしく逢瀬のひとときを過ごし、その証に扇を取り
かえて「後朝の別れ」をする。




「後朝(きぬぎぬ)の別れ」
王朝貴族の女性は、初対面の男性に直に顔や姿をみせてはならなかった。
付き合ったり結婚する間柄になって、初めて顔を見せることが許された。
逢瀬は闇の中。
朝、明るくなってから男が出ていくのは、実に無作法とされ、夜が明け
る前に帰るのが習慣だった。
当時、脱いだ二人の衣を重ねて、布団代わりに体に掛けていた。
明け方重ねていた自分の衣を、身につけ帰って行く……なんとも切ない
情景である。




まだ少し未練が残りふり返る  山本昌乃





          「源氏物語絵巻 宿木二」
翌朝の匂宮と六の君




「三日夜餅が愛のあかし」
平安貴族の結婚式は、三日間かけて行われる。
初日は新郎が新婦の家を訪れ、初夜を過ごし、翌朝、新郎は家に帰って
愛の和歌を詠み、ラブレターを送る。
二日目も同じことをおこない、三日目の夜には、新婦の親が、「露顕」
(ところあらわし)と呼ばれる結婚披露宴が行われる。
このとき新郎新婦に「三日夜餅」が供され、夫婦として認められる。
結婚が成立すると、夫は妻の元へ通ったり、妻の家で暮らし始める…。




この先は何かありそな曲り角  靏田寿子



「夫が妻の家に通う結婚生活」
平安貴族のカップルの妻は、結婚しても、自分の実家から離れず、夫が
妻の実家に通った。この結婚形態を「妻問婚」といった。
やがて妻の実家に夫が同居することもあるが、夫の実家に妻が同居する
ことはない。妻にとっては楽なようだが、当時は、一夫多妻が一般的。
男性は複数の女性と結婚できるので、夫が来ないと思っていたら、別の
妻の家に通っていた、ということもあったようだ。




グルメ猫たまに草の葉食べに出る  松 風子

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茶助
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