川柳的逍遥 人の世の一家言
てのひらの雪の苦さを確かめる くんじろう
香炉峰の雪 (冷泉為恭筆)
『枕草子』の中でも有名な「香炉峰の雪」の場面を描いた作品。
中宮定子の「少納言よ、香炉峰の雪 いかならむ」との問いかけに、
それが白居易の漢詩「香炉峰ノ雪ハ簾ヲ揚ゲテ看ル」による謎で
あることを見抜いた清少納言は、即座に、御簾を高く巻き上げた。
同僚の女房たちは、さすがにこの中宮にお仕えするのにふさわしい
人だと清少納言を褒めた。
ふるさとの海にあふれる褒め言葉 福尾圭司
清少納言が、その豊かな教養を買われ、一条天皇の中宮・藤原定子に
私的な女房として仕えるようになったのは、993年(正暦4)の冬頃
のこと。博学で勝ち気な清少納言は主・藤原定子の恩寵を受け、互いを 認め合う、仲睦まじい関係に発展した。 清少納言が藤原定子の後宮で過ごした日々は、その生涯において、 最も華やかで輝いていた時期であった。 『枕草子』には、その楽しかった頃の思い出が書き記されている。 「枕草子絵巻」 雪山を作る役人と清少納言 (逸翁美術館蔵) 師走の10日ごろに大雪が降り、主殿司や中宮職の役人たちが集まって 大きな雪山を作った。その雪山がいつぐらいまで保(も)つかと中宮定 子や清少納言を含む女房たちが予想しあった。 遺したいものは私の笑い声 新家完司
式部ー枕草子ー「雪の山」 「雪の山」
十二月の十日あまりのころ、雪が大変降った。
女房たちが物の蓋に盛り上げたりしているうち、
「同じことなら庭に雪の山を作らせましょう」
ということになって、中宮定子さまのお言葉として侍たちに命じると、
大ぜい集まってきた。 主殿司(とのもりつかさ)の人々は、お庭の掃除をしていたが、その人 たちまで加わり、一緒になって、大へん高い「雪の山」を作り上げた。 中宮職の役人までやってきて、横からいろいろ指図などする。
非番の侍まで使者をつかわして、
「雪山を作る人にはご褒美が出るはずだ」
と、言わせるとみんな参上してきた。
雪の白苦心の跡の絵の具皿 佐藤正昭
たいへんな雪の山ができた。役人に命じて、絹を二括りしたものを、
みんなに褒美としてお取らせになる。 「この山はいつまであるかしら」
と、中宮さまが仰せになると、女房たちは
「十日ぐらいはありましょう」
そのへんの期間をみな申し上げた。
中宮さまは、「どうお?」と、私にお尋ねになったので、
「正月の十五日までは、ございましょう」
と、申し上げると中宮さまは、
<まさか、それほどまでは>とお思いになるようだった。
どうどうと嘘ついている雪の白 平井美智子
女房たちはみな、
「せいぜい年内いっぱい、月末ごろまでも保ちますまい」
とばかり言う。それで私も、
<あんまり遠い先のことにいってしまったかしら。
なるほど、皆の言うようにそれほど保たないかもしれない。
月のはじめくらいに言うのだったわ>
と内心思ったけれど、
<まあいいわ、それほどまでなくても、いったん言い出した以上は>
と頑固に押し通した。
明日のこと分かるはずない笑っとこ 高瀬照枝
「石山寺縁起絵巻」 出家姿の道長(石山寺蔵)
大雪が降った日に雪山を作ったのは、清少納言のいる中宮定子のところ
だけではなく、藤原道長の京極殿でも作っていた。 道長は、この後天下を握り、栄華をほしいままにする。
これは栄華を極めたあとの、出家したすがたである。
二十日のころに雨が降ったが、消えそうな様子もなかった。
すこし丈が低くなっていくようだ。
<加賀白山の観音さま、これを消えさせないで下さいませ>
と祈るのも、いつもの私らしくないことだ。
所で、先日、その雪山を作っている日、主上(おかみ)のお使いで式部
丞忠隆が来たので、敷物を出して話などしているのに、 「今日の雪山は、お作らせにならぬところはありません。
主上の御殿の中庭にも、作らせられました。
東宮にも弘微殿にも、作っていられます。
京極殿(道長邸)でもですよ」
などというので、私はふと歌をよんだ。
” ここにのみめずらしとみる雪の山 ところどころにふりにけるかな ”
春はあけぼのくらくらしてはおれませぬ 山本昌乃
忠隆は感嘆し、
「へたな私の返歌で、せっかくのお歌をけがすのはやめましょう」
としゃれて言い、
「御簾の前で、みなさんにご披露しましょう」
と立っていった。
忠隆は、歌が大層好きだと聞いていたのにおかしなことだ。
中宮さまはお聞きになって、
「とりわけ上手に詠もうと思って、却って出てこなかったのでしょう」
と仰せられた。
控え目な本音やっぱり上滑り 宇都宮かずこ
雪の山は、平気なさまでそのまま、年を越してしまった。
一日の日の夜、雪がたいへんひどく降ったのを、
「うれしいこと、またつもったわ」
と見ていると、
「これはだめ、初めのはそのままにして、新しく積もったのは、捨て
なさい」 と中宮さまはおっしゃる。
雪の山は、さらに越路の山のように消える様子もない。
黒くなって、見る甲斐もない姿はしているが、私の予想通り、勝った
気がして、何とかして、十五日まで保たせたい、と祈るけれど人々は、 「七日をさえ、過ごすことはできますまい」
とやっぱり言う。
ライバルがにやっと一度だけ笑う みつ木もも花
どうかして、最後まで見届けたいとみんな思っているうち、
急に中宮さまは三日の日、内裏へお入りになることになった。
「まあ残念、この山の最後を見届けないなんて」
と思っていると、
<ほんとうにそれが知りたかったわ>
などと言う。中宮さまもそう仰せられる。
同じ事なら、言いあててごらんに入れたいと思っていた甲斐もないので、
御道具運びにたいへん騒がしいのにかこつけ、木守を呼んだ。
俄雨わわわ さっきの話なんやった 河村啓子
彼は土塀の外に廂(ひさし)をさしかけて住んでいる。
「この雪の山をよくよく番をして、子どもたちに踏み散らさせず、壊さ
せず、十五日まで残しておくれ、その日まで残ったら、 すばらしいご褒美を下さるはずです。私からも十分なお礼はします」
などとねんごろに言い、いつも台盤所の女房が、下男などに与える物を、
果物やなにかと、たいへんたくさん与えたところ、
木守は喜んで、にこにこして、
「たやすいことです。たしかに番をしましょう。
子どもたちが、上ることでしょうからね」 というので、
「それを叱って止めてください。もし聞かない者があれば、
申し出なさい」 と、言い聞かせた。
白という理由でいじめられてます 月波与生
中宮さまが、内裏に入られたのについて私もお供し、七日まで伺候して
のち、里へ下った。 その間も、雪の山が気がかりで宮仕えの者、すまし(便器掃除の女官)
長女(女官長)などに頼んで、たえず注意させにやる。
正月七日の御節供(せっく)のお下りも与えたので、木守は拝んでいた、
などと使いは帰って言い、みんなで笑っていた。
ゴキブリ仰向き お天道様拝む 藤本秋声
里にいても私は、夜が明けるとすぐに、これを重大事として、
人をみせにやった。 十日の頃には、「五、六尺ばかりあります」というので、
うれしく思っていると、十三日の夜、雨がひどく降ったから、
<これで消えるのじゃないかしら>
と、たいへん残念で、
<もう一日なのを保たないで>と、
夜も起きて坐り、溜息をつくので聞いている人は、なんという騒ぎなの
と笑っていた。 早朝、人が起き出したので、私もそのまま起きて、召し使いを起こさせ
たが、一向に起きないから、憎らしく腹が立ってくる。 視野の端のアリ一匹を押しつぶす 前中知栄
京都御所の雪景色
京都は盆地であるため、夏の暑さ、冬の寒さが厳しい。
京都御所でも、時折こうした雪景色が見られ、その景色は
平安の時代と変わることなく、現代人の目を楽しませてくれる。
やっと起き出したのをつかわして見させると、
「円座ぐらいになって残っています。
木守が大そうきびしく子どもたちをよせつけぬよう番をしまして、 『この分ではあす、あさってまでありましょう。
ご褒美を頂きますよ』と言っておりました」
というので、私はとてもうれしかった。
早く明日になればよい。
早く歌を詠んで、何かに雪を盛って、中宮さまにお目にかけようと、
思うのも待ち遠しくじれじれする。
嬉しくてコップに頬をあてている 木戸利枝
当日は暗いうちから起き、折櫃(おりびつ)など持たせて、
「これに雪の白そうな所を入れて持ってきなさい。汚らしい所は捨てて」
と言って聞かせたところが、たいそう早いこと、持たせたものをさげて、
「とうになくなっていました」
と言うではないか。私はおどろいて呆然とした。
おもしろく歌を詠んで、世間の評判にもなりたいと、苦しんで創った歌
なども、全くその甲斐もなくなってしまった。
「いったいどうしたのかしら、昨日はあれほどあったものを……。
昨夜のうちに消えてしまうなんて」
ハンマーは愚痴向け 釘は寝言向け 中野六助
と、愚痴を言ってしょげていると、使いは、
「木守が申すには『昨日はたいそう暗くなるまでございました。
ご褒美を頂けると思っていましたのに』と、
手を打って残念がっていました」 と、残念そうに言いさわいだ。
そこへ宮中から、中宮さまのお言葉で、
「どうなの、雪は今日までありましたか」
と仰せられる。
たいそう残念で悔しかったけれど。 「年内、新年のはじめまでもありますまい、と申された雪は、私の予言
したように、昨日の夕暮れまではちゃんとございました。 われながら、これはたいしたことだと存ぜられます。
今日までは余分のことでございます。
夜のうちに、人が憎らしがって捨てたのではないかと推察しています… と、申し上げてください」
とお使いの人にいった。
希望的観測はさくら餅の葉 山本早苗
庭で雪遊びをする童女たち 土佐光起筆
『枕草子』と並び称される王朝文学の名作『源氏物語』にも、
雪は度々登場する。この場面は、光源氏が、童女たちを庭におろして、 雪遊びをさせているところ。
その後、二十日、参内したときにも、まっ先にこのことを中宮さまの前
でいった。 蓋だけをぶらさげて、使いの者が帰ってきた姿の意外だったこと、
物の蓋に雪の小山を美しく盛り、白い紙に歌をりっぱに書いて、献上し
ようとしたことなど申し上げると、中宮さまはたいへんお笑いになった。 御前にいる人々も笑うと、中宮さまは仰せられた。
泣き崩れる前に膝かっくんを 酒井かがり
「こんなに執心していたことを、食い違わせてしまって、仏罰を受ける
かもしれないわね。 あなたの推察通り、十四日の夕暮れ、侍たちをやって取り捨てさせた
のです。 あなたの返事に、それを言いあてていたので、おかしかったわ。 木守の老人が出て来て、たいそう手をすって、頼んだけれど、
『お上のおいいつけなのだ。清少納言の方から来る使いには、このこと
は黙って居れ。でなければ家を壊してしまうぞ』 と言って、 左近の司の南の土塀の外にみな、捨ててしまったの。
『たいへん高く、かさもありました』と言っていたから、ほんとうに
二十日まで保ったのでしょう。 どうかすると、今年の初雪も、その上に降り添ったかもしれません。
主上もお聞き遊ばして、
『どうも、誰も考えつかないほど遠い先の期日をいいあてて、争った
ものだね』と、殿上人にも仰せられました。 春だから面白がるを全力で 上坊幹子
それにつけても、その歌をご披露なさい。
今、こうやってほんとのことを言った以上は、あなたが勝ったのも
同じでしょう」 などと中宮さまは仰せられ、人々もうながすが、
「まあ、そんなことを承りながら、どうして歌が申し上げられましょう」
と、私はしんそこ、しょげて言った。
そこへ主上もお渡りになって、
「ほんとに、年来、中宮のお気に入りの人だと見ていたのに今度はふし
ぎに意地悪をなさる、とへんに思っていたよ」 などと仰せられるので私は辛く、泣けてしまいそうな気がした。
向こう意気もうこのへんでお茶にしよ 安土理恵
「まあ ほんとになさけない。
あとから降り積んだ雪をうれしいと思って居りましたのに…、
それは不都合だ。かき捨てよ…。などとおおせられましたっけ」
と申し上げると、
「それは、勝たせまいと思われたのだろうね」
と、主上もお笑いになった。
八代亜紀あした天気にしておくれ 田口和代 PR |
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