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川柳的逍遥 人の世の一家言
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うつ伏せで流れて行ったつらい過去 西美和子

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偉人とあらば、

すぐに「銅像」を拵えてしまうのが、わが国の”ならい”ならば、

どういうわけか、永く勝海舟の銅像はなかった。

いや、なかったといえば嘘になるかもしれない。

彼の生誕地に近い”墨田区本所の「能勢妙見堂」”には、

小さな銅像がポツン、昭和49年に建てられている。

彼が為してきた功績を考えれば、

それは、”江戸城の無血開城”交渉で勝と対峙した西郷隆盛が、

上野公園で威容を誇るのに比べれば、明らかに見劣りする。 

墨田区役所のすぐ裏手、隅田川に臨んで立ち、眼前にそびえるアサヒビール、

炎のオブジェを頂くビルとのコントラストが、

この勝の後姿を見ても、胸の思いを象徴しているようだ。 

昨日より今日を忘れているのです  神野節子

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夜景に映える、アサヒビールビル・炎のオブジェ

24歳までの青春時代を、

このあたりで過ごした海舟にとっては、絶好の場所となるだろう。

生前、彼はこんな句を詠んでいる。

”たちかえる わが古里の隅田川 昔忘れぬ 花の色かな”

『若い頃の勝海舟は、おんぼろの家に住んでいた』

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 海舟正面からの銅像

勝家は、もと農民の出身である。

勝麟太郎(海舟)の親が、

この子の出世のためには、武士の身分がいると考え、

財布の底をはたいて、下級武士の位を買ったのだった。

裏を返せば、下級武士も生活に困窮し、「左様な武士の位などいらぬ」 と、

カネで売ったのである。

バレたら両者とも打ち首となるところであるが、

武士の位売りは、頻繁に行なわれていた。

幕末も近くなると、そういう時代背景があったのだ。

飾り物さっぱり棄てて丸裸  黒川孤遊

海舟が、いろんなタイプの人間たちと交わり、親しみ、世を動かしていったのは、

まさに、身分を越えて人を見る目が、肥えていたからであろう。

その海舟は、江戸赤坂に居住していたのだが、

結婚した23歳のころは、赤貧というべきか清貧というべきか、

家禄41石で、かなりの貧乏暮らしであった。

女房のお民にも、1両2分で買った古着1枚を3年間も着させていた。

それにまだ職にありつけなかったから、アルバイトに精を出していた。

そのアルバイトとは、家庭教師で、勝とほとんど同年代の若者たちに、

蘭学を教えていた。

勝に近づけば、いろいろな知識が得られると、

その評判を聞きつけてきた若者たちが相手だったのだ。

注目の的で力は抜けません  森口美羽

幕臣たちは、41石取りの貧乏人と聞くだけで、寄り付かない。

したがって勝のそばには、常に学問を真摯に受け止めようとする、

若者たちで賑わっていた。

しかし、勝の教え方は、一つ一つ手にとって教えるやり方ではなく、

家の中庭に鉄砲作りの名人を連れて来て、兵学のイロハを学ばせたり、

図面の書き方を教えたりと、蘭学といえども、語学オンリーではなかった。

「ア・べ・セ(ABC)は、杉に任せた」 と言っているから、

オランダ語を教えるような、暇もなく、忙しかったのかもしれない。

オレ流に徹して悔いを残さない  吉川卓 

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赤坂にあった勝海舟の邸宅跡は今、

昼は喫茶店、夜は酒場・「ギネス」(赤坂6丁目)というお店になっている。

今では超高級の一等地となった赤坂に、

海舟の住居はあったのだが、わが国統計学の草分けとなり、

海舟の塾で、語学教師を務めた杉享二(こうじ)によれば、

赤坂田町の勝邸を訪ねたところ、

家の内にも外にも、つっかえ棒が縦横にしてあって、

ちょっとした風雨にも、耐えかねる様であり、

「いかにも貧乏暮らしであったことを、覚えている」、という。

ドーナツの穴が気休めばかり言う  たむらあきこ

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後に勝海舟は、4年間の長崎伝習所勤務を終えて、

江戸へ戻ってきたときには、

同じ赤坂でも、氷川神社の裏手にある盛徳寺の隣に引っ越した。

そこは、旗本屋敷で相当に立派な作りであった。

そして江戸の地図にも、名前が載るようになり、

勝麟太郎の名がそこに見える。

龍馬が訪ねてきたのは、こちらの屋敷のほうである。

花いちもんめカラスが連れてきた夕陽  山口ろっぱ

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      龍馬と海舟

勝は、アッという間に大出世して、軍艦奉行という職にあった。

対して、その頃はまだ、単なる剣客に過ぎない龍馬は、野次馬根性ではなく、

それなりの心構えを持って、訪れたのだろう。

剣豪の千葉重太郎を連れているところなど、

まさに、勝を一刀のもとに、斬るつもりだったのかも知れない。

しかし、勝の念力にねじ伏せられたのか、

龍馬が、屋敷を出るときには、勝の弟子になっていた。

ためらっていると信号青になり  井上一筒      

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にゃ~ん
暑くてげっそり、ぐったり。早く涼しくなってほしい。初めてのコメント、無事着くかな?では明日、編集会議でね。
y2010/08/19 22:31z NAME[あきにゃん] WEBLINK[] EDIT[]


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