アベカワになって黄粉をまぶされる 井上一筒
近藤長次郎
『オレは侍だ!』 という思いが伝わってくる長次郎の写真。(撮影・上野彦馬)
袴姿で椅子に腰掛け、腰には長すぎる刀を差し、右手にピストルを握る。
龍馬に心酔していた長次郎は、
髪形まで龍馬を真似決して髪に櫛を入れず、
びん髪の、そそけたつままにまかせている。
ウォンテッド僕に似ていて落ち着かぬ 早泉早人
「饅頭屋長次郎」
長次郎は、1838年生まれ、龍馬より3歳下である。
龍馬の生家からごく近い、水道町の大里屋という饅頭屋で、生まれ育った。
司馬遼太郎の”竜馬がゆく”では、
「饅頭屋の倅で、鼻まで商売物のまんじゅうに似ている」
と人物紹介している。
乙女姉さんも、長次郎が売る饅頭が、大好きだったという。
龍馬とは、3歳下でを敬愛し、
龍馬が立ち回る先々には、いつの間にか、姿を現してくる。
たいへん勉強家で、龍馬にとっては、学問の水先案内人であり、
ウンチクも各方面の情報も豊富で、龍馬もいつか”便利なヤツ”と思うようになった。
電柱は曲者流し目になった 壷内半酔
”サムライ”になりたかった、一介の饅頭屋を「侍階級」になる手助けをしたのは、
刀鍛冶・左行秀といわれる。
酒好きの多い土佐にあって、酒が飲めない行秀が、
長次郎との縁を結びつけたのは、饅頭であった。
行秀は、「饅頭屋にしておくのは惜しい」と、彼の才能を褒め、可愛がった。
行秀は、鉄砲工でもあり、江戸の砂村藩邸で、洋式銃を製造していた時期があり、
そこで長次郎は、2度目の江戸行きで、行秀の世話になっている。
漢学、洋学、砲術などを学び、その秀才ぶりに、驚いた藩が名字帯刀が許した。
「近藤長次郎」の誕生である。
土佐藩ほど、階級にやかましい藩が、
一介の書生を、その学問のゆえに”武士待遇”にしたというのは、珍しいことで。
そこに上士格だった、行秀の強い推薦があったという。
光る朝玉子の中に黄身二つ 松田俊彦
さらに、長次郎は勝海舟の門下となり、神戸で海軍術を学んでいる。
紹介したのは、行秀とも。
その時期は、龍馬よりも、早かったともいわれている。
その後、次第に「亀山社中」で頭角をあらわしていく。
長次郎の人生のハイライトは、長州の軍艦・ユニオン号の買い付けだろう。
薩長連合はまだ出来ていない。
薩長を利で結びつけようと考えた龍馬は、
軍艦と洋式銃が欲しい長州のため、
薩摩藩名義で購入することを提案する。
蓋取れば青い時代が立上がる 南 全彦
長崎の街を眺めているブーツ
実務をまかされたのは、長次郎だった。
長州の伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)を連れて長崎で交渉にあたり、
薩摩の家老・小松帯刀と連携をとりつつ、イギリス商人のグラバーとの交渉を、
手際よくまとめる。
長次郎は蘭学も学んだし、英語も話すことが出来た。
外国人には、慣れていたようだ。
交渉成立の夜、長次郎は伊藤と井上に語っている。
「幕府はばか者ぞろいだ。
京でいくら人を斬っても、変わるべき時勢はやがて変わる。
それも京で変わらぬ、長崎で変わるのだ」 (竜馬がゆく)
その後、軍艦の引渡しでごたごたはあったものの、功績は長州藩から高く評価された。
鍋の吹きこぼれは恋を知ってから 杉本克子
その一方で、長次郎は独断専行が、このころから目立つようになっていた。
土佐の秀才は組織の中で浮き上がっていく。
「長崎や下関で活躍し、外国とのやり取りで業績を残す長次郎は、
龍馬からみれば、だんだん追いついてくる感じがあったかもしれません。
しかし、長次郎には龍馬の持つ人間的な幅がなかった。
足元が見えなくなっていきます」 と小美濃氏が解析する。
竜馬が行くでは、相変わらず、『まんじゅう屋』 と呼ぶ竜馬に、
長次郎が、「よしてください」 と言う場面がある。
片足をとなりに入れて立ちばなし 神野節子
亀山社中の仲間
長次郎の野望は、さらに大きくなっていく。
縁ができた長州藩を頼り、イギリスへの留学が決まった。
亀山社中の仲間たちには、秘密の計画だった。
しかし、運悪く出航の日は、風雨で延期となる。
ついには秘密がばれ、亀山社中のメンバーたちに、詰問されることになる。
社中の規則で、事の大小にかかわらず、
自分勝手に利を求めて行動したものは切腹だという。
やがて皆死ぬとわかってても怖い 西山春日子
長次郎邸跡
「坂本さんがおれば・・・」
長次郎は、懸命に涙をこらえながら思った。
「きっと自分を理解してくれるだろう」
「こんな酷い検断の場に座らせるようなことはすまい」
龍馬は、
「薩長同盟」が、成立する大詰めの曲面で、下関から京都へ向かう最中だった。
慶応2年1月、長次郎は切腹して29歳の生涯を終える。
死刑廃止論春の夜のカタツムリ 山口ろっぱ
墓碑銘・「梅花書屋氏墓」とある長次郎の墓
龍馬の妻であるお龍は、後に回顧録「千里駒後日譚」の中で、
長次郎の訃報を聞いた龍馬が、
「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった」
とその死を悼んでいたという、証言を残している。
長次郎の墓は、亀山社中から遠くない、晧大寺(こうたいじ)にある。
薩長連合をまとめあげ、長崎に帰った龍馬は、墓碑銘をしたためたという。
「梅花書屋氏墓」
龍馬の背中を追い続けた生涯は、はかなく終わった。
「竜馬がゆくの世界」”近藤長次郎”より
棺桶から虫が一匹走り出る 大西將文
『龍馬伝』・第18回‐あらすじ「海軍を作ろう!」
勝麟太郎(武田鉄矢)の弟子となった坂本龍馬(福山雅治)と
長次郎(大泉洋)は、船で大坂へ向かっていた。
神戸に、海軍操練所ができるまで、大坂の専称寺の「勝塾」で、学ぶことになる。
龍馬と長次郎が、勝塾の訓練生を集めに、大坂の町に出ると、
龍馬とともに脱藩した沢村惣之丞(要潤)と出くわす。
龍馬は、一緒に海軍を作ろうと惣之丞を勝塾に誘う。
ええ格好して予定を改める手帳 島田握夢
一方、第14代将軍・徳川家茂(中村隼人)は京に入る。
武市半平太(大森南朋)は、
将軍に確実に攘夷を約束させようと、朝廷内で画策する。
過激な攘夷派を嫌う山内容堂(近藤正臣)は、武市の動きを封じるために、
土佐勤王党を分裂させようと企む。
怪しさはしきりに汗を拭いている 八上桐子
大坂で、龍馬と長次郎は、大和屋という商家に、寝泊まりしていた。
そこに、土佐勤王党の望月亀弥太(音尾琢真)、高松太郎(川岡大次郎)、
千屋寅之助(是近敦之)が現れ、勝塾の入門を希望する。
同志を得て喜ぶ龍馬と長次郎だが、
これが容堂の策略とは、気づかなかった。
さらに、容堂は、勤王党のナンバー2の平井収二郎にも策をめぐらし、
武市から離反させようとする。
岡田以蔵(佐藤健)は、武市に命じられ勝を斬りに行くが、
結局は、勝の護衛をすることになる。
武市は、いつの間にか孤立していたことに気づく。
噛みついたリンゴに前歯負け折れた 紙屋クミエ
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