川柳的逍遥 人の世の一家言
一幕四場の俺のドラマのあとわずか 大海幸生 近江屋に履き捨てられた下駄ー(この下駄に近江屋の刻印が残る) 『龍馬暗殺は、数ある幕末の暗殺のなかでも、もっとも手のこんだもののひとつといえる』 危険を感じていたはずの龍馬が、まんまと油断させられ、 何ら反撃できないまま、斃されたのだ。 うまく行きすぎると何か恐くなる 宮前秀子 慶応3年(1867)11月15日/午後8時過ぎ、 武士達は、「十津川郷士」と名乗り、名刺を渡し、龍馬に面会を求めた。 一説には、「松代藩士」を名乗ったともいわれる。 取り次いだのは、龍馬の従者・藤吉だった。 龍馬には、面識がある十津川郷士がいた。 藤吉も、そのことを知っていたので、 疑いを抱くこともなく、二階にいる龍馬のもとに名刺を持っていった。 藤吉は、龍馬に名刺を渡し、階段を下りてきた。 そこに刺客が待ち伏せていて、藤吉を斬り倒した。 二階の龍馬の耳にも、その倒れる音や藤吉の悲鳴が届いたが、 龍馬は、 「ほたえな!」 「ほたえな」とは、土佐弁で”暴れるな”・”ふざけるな”という意味だ。 龍馬は、元相撲取りの藤吉が、ふざけて相撲でもとっていると思ったようだ。 これが、最後の運命の分かれ目となった。 鼻血くらいでいつも救急車を呼ぶな 三好聖水 刺客らは、階段を駆け上がり、奥座敷の龍馬のもとに姿をあらわす。 そのとき、刺客らはいきなり戸を開け、襲いかかったという説もあるが、 刺客のひとりは、龍馬の前で、 「坂本様、おひさしゅうございます」 と丁寧に挨拶したともいわれる。 その説に立つと、刺客の挨拶に龍馬は、 「誰だろう?」 そのやりとりで、刺客は、どちらの人物が龍馬であるかを特定できた。 五分五分の可能性なら賭けてみる 嶋澤喜八郎 刺客は突如、刀を抜き、思案している龍馬に襲いかかった。 と、同時に別の刺客が、中岡慎太郎に襲いかかったという。 龍馬に襲いかかった刺客は手練であった。 最初の一撃は、龍馬の額を襲い、第二撃は、肩から背中を斬りつけてきた。 それでも龍馬は、刀の鞘をつかみ、 だが、龍馬の抵抗もそこまでだった。 刺客は、もう一度龍馬の頭を狙い、刀を振り下ろしてきた。 龍馬は避けることができず、 青い絵の中で激しく吠えている 阪本高士 そして刺客は、龍馬が絶命したことを確認すべく、龍馬の脚を刺した。 このとき、「さあよからん」という言葉を残している。 いっぽう、中岡慎太郎を襲った刺客の手際は、龍馬を斬殺した刺客ほどではなかった。 中岡の全身を斬りつけ、中岡に28か所もの傷を負わせたものの、 とどめを刺せないでいた。 龍馬を倒したほうの刺客は、それで十分と見なし、 中岡を相手にした刺客を制止し、引き揚げにかかった。 刺客の去ったのちも、龍馬には、かろうじて息があった。 龍馬は虫の息ながら、中岡慎太郎に呼びかけている。 中岡は、薄れていく意識のなかで、それを記憶した。 「挙動にくむべし、剛胆愛すべし。この剛胆ありて、初めて事をなすべし」 これは、自分を襲った刺客の実行力を、ほめての言葉だろうか。 つづいて、悔恨の言葉を吐く。 「遺憾なり。之をもって奴輩に斬らざりしことを」 龍馬は、迫る死を無念に思ったのだ。 「余は深く脳を斬らる。とうてい生くるあたわず」 これが、龍馬のこの世での最期の言葉となった。 ≪中岡は、このあと救出され、龍馬より2日ほど長く生き、11月17日に息をひきとった≫ どん底に居ても明日の設計図 村田己代一 PR |
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