すれすれを吹き抜けてゆく男の訃 たむらあきこ
エジャナイカの集団
冬の京都は、底冷えがきつい。
地面の下から這い上がる寒気が、骨を凍てつかせる。
慶応3年(1867)11月15日、午後8時頃、
先斗町の料理屋を出てきた”七人の男”が、辻々で踊り狂う
"エジャナイカ"の人波を避けて、急ぎ足に道をたどり、
河原町通蛸薬師下ルの「近江屋」という、「醤油屋」をめざして歩いていった。
数珠をもつ遠く近くの死を思う 森中惠美子
中央に近江屋の名前が見える名簿
男たちは、「京都見廻組」の一団だった。
新撰組と並んで、幕末の京都で活躍した”治安組織”である。
幕府旗本の子弟だけで、構成されていたので、
農民上がりと蔑む新撰組との対抗意識も強く、功名手柄を焦っていた。
この日も組頭の佐々木只三郎は、
配下の今井信郎・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・土肥仲蔵・桜井大三郎を呼び寄せ、
「これから重罪犯の逮捕に取り掛かる」
と差図を与えた。
耳よりも指揮振る人に目が走る ふじのひろし
龍馬が放ったピストルの弾痕(寺田屋)
「土佐藩の坂本龍馬に不審の筋があり、先年、伏見で捕縛しようとしたところ、
敵はピストルを発射して抵抗。
伏見奉行所同心2人を射ち倒して脱出し、残念ながら取り逃がした。
その坂本が、今夜、近江屋に滞在中である。
今度ばかりは、逃がさずに捕縛すべし。
万一手に余ったら、討ち取ってよろしい」
狙われた坂本龍馬は、幕府側から見れば、指名手配中の凶悪犯であった。
綿菓子の死角でちょっとしたスリル 山本早苗
龍馬を斬ったといわれている、小太刀の名手・見廻組・肝煎桂早之助の脇差
「室内の闘争を予期して、小太刀の名人のみを二階に闖入(ちんにゅう)させた」
実行者の間で、手筈が整った。
7人のうち、渡辺・高橋・桂の3人は二階に踏み込む。
今井・土肥・桜井の3人は、台所辺りを見張り、必要があれば助太刀する。
首領の佐々木は、家内に入らず、離れて立って成行きを見届ける。
近江屋はもう、大戸を閉ざしていたが、家内では人声がしていた。
表戸を叩き、出てきた男に
「拙者共は、松代藩の浪士でござる。
ごく内々の用件で、至急坂本先生にお目に掛かりたい。
夜分失礼とは存じながら推参致しました」
と取次を依頼する。
希望という名刺カオスへ散布する 唐木浩子
意外にも相手はまったく怪しまず、今井ら3人を店内に入れてくれた。
当の龍馬は、近江屋二階の奥座敷で、
同志の中岡慎太郎と国事を論じていた。
頑健な大男のくせに、寒がりの龍馬は、
その日、風邪気味で、真綿の胴着の上に舶来絹の綿入れを着込み、
さらにその上に、黒羽二重の羽織を重ねて、
火鉢を抱え込むように座っていた。
目の前にあるけど見たくない未来 岡田陽一
事件当夜の近江屋二階・間取り図と暗殺者の進路。
黒線は刺客の襲撃経路、右下が階段、上右が床の間
火鉢を真ん中に、龍馬・慎太郎へ刺客はまっすぐに忍び寄った。
応対に出た男は、藤吉といい、相撲取りをしていた肥大漢だった。
「松代の旦那でござんすかい」
と、人を疑わず、巨大な体躯を運んで取次のため二階に上がる。
それに付け入って、足早に階段を駆け上がり、
襖を隔てた奥座敷に、名刺を通じて出てくる藤吉を、いきなり斬り倒した。
バッタリ倒れる大きな音に、
奥から、「ホタエナ!」
と、土佐弁で叱責する声が聞えた。
暗殺の日-1-②へ・・・つづく
お茶室で太極拳をしています 井上一筒
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