土瓶蒸しすすり終えたら自首します 井上一筒
「阪本氏を斬りたるは拙者なり」と書かれた紙面
「龍馬暗殺の真犯人は」
龍馬暗殺の実行者が京都見廻組であるとわかったのは、
見廻組隊士であった今井信郎の自供によってである。
見廻組で龍馬暗殺にかかわった隊士は、
「鳥羽・伏見の戦い」でほぼ討ち死にするものの、
今井だけは生き延びて、会津で戦い、「箱館戦争」にも参加する。
ここで、旧幕府軍は完全に敗れ、今井の身柄は東京の刑部省に移され、
龍馬殺害を自供するにいたった。
レタス剥ぐ軽い秘密を剥ぐように 井上裕二
今井信郎
不思議なのは、その後の今井である。
本来なら、明治維新の立役者を暗殺したのだから、
その報酬として、厳罰が待っていそうなものだ。
ところが、今井に科せられた刑は、「静岡藩預かりの禁固」と軽かった。
時の刑部大輔・佐々木高行は、
土佐藩出身で、龍馬と面識があったにもかかわらずだ。
そして、明治5年(1872)には、今井は恩赦によって赦免されている。
手管なんだろうか本意なのかな 山口ろっぱ
そんな不思議な成り行きとなった背景には、薩摩の西郷隆盛がいた。
西郷が裏で動いたため、今井に厳罰を与える事ができず、
また早期に、赦免されることになったという。
≪西郷が動いたことについては、今井の子孫も証言している≫
このあたりから、"龍馬暗殺の黒幕に西郷がいた"という説が生じているだ。
≪なぜ西郷がそういう動きをしたのか、その意図はいまもよくわかってない≫
歳月やひとりの面の裏おもて 森中惠美子
今井はその後、静岡県の初倉村で、名を 「吉野五郎」 と変え、
キリスト教に入信、かつて人を斬った者とは思えぬほどの、
穏やかな人物となった。
今井は初倉村に学校を建て、晩年には村長までつとめ、大正8年(1919)に没している。
豆を煮る時間 童話を書く時間 本多洋子
その一方、今井は晩年、
龍馬暗殺について、かつての自供を一部ひるがえした。
明治3年(1870)の初の自供では、
今井の役割は、階下での見張り役にすぎなかったのだが、
その後、「龍馬を斬ったのは自分本人である」 と語りはじめたのである。
これにたいして、龍馬に私淑していた谷干城は、
「売名行為である」と非難している。
今井がなぜ自供の一部を変えたのかは、わかっていない。
死去する前に、真実を洗いざらい語っておきたかったのか?、
売名行為だったのか?
当人のみぞ知るところである。
満月へ喉の手入れを念入りに 浜 純子
坂本一家(龍馬姻戚)
「余談ー今井の暗殺者説の疑問」
明治11年(1878)、龍馬の養子・高松太郎(龍馬の姉・千鶴の子)から、
「父(龍馬)の法要をするから出席してほしい」
という手紙が届き、
出席すれば、「命はない」という覚悟で、今井は法要に足を運んでいる。
高松はこの出会いを喜び、
「過去を忘れて新しい日本のために働こう!と言われた」
と今井の妻が語ったといわれる。
もし今井が、龍馬暗殺に関わっていないのなら、
殺されるかも知れない法要に、出かけるとはとうてい思われない が・・・。
尖ってはならぬと花筏に学ぶ たむらあきこ
撮影クランクアップの龍馬・福山雅治と岩崎・香川照之
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呼んでごらんよ振り向いたのが犯人だ 八田灯子 [4回]