- 2026/01/25
- Category : ポエム&川柳
川柳・俳句と相撲と太鼓と
関とりの乳のあたりに人だかり 柳多留
『大相撲関取御江戸両国橋通行の図』(三代歌川豊国画)
殿さまのふんどしでとるいい角力 柳多留
越ノ戸浜之助の化粧まわし
藩揃いの化粧まわしが広く親しまれていた
藩揃いの化粧まわしが広く親しまれていた
江戸の上位力士は大名家に抱えられた。抱えられた力士は、藩ゆかりの
土俵入りを披露した。たとえば、小結・越ノ戸は松江藩や盛岡藩に抱えられて
おり瓢箪を意匠とした松江藩のもので、藩揃いの化粧まわしが広く親しまれて
いたことがうかがえる。

雷伝為右衛門の化粧まわし
ちなみに雷電は、初土俵からの引退まで、松江藩の力士として、活躍し通算2
ちなみに雷電は、初土俵からの引退まで、松江藩の力士として、活躍し通算2
54勝10敗(勝率9割6分2厘)という驚異的な記録を残し、史上最強の力
士と称されています。
川柳・俳句と相撲と太鼓と
うす闇き相撲太鼓や角田川 小林一茶
句は一茶が文化10年(1812)に詠んだ。
大相撲は太鼓の音にはじまり、太鼓の音で終了する。
興行のたびに建てられる櫓は、大相撲がはじまることを知らせてくれる。
広重『名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋』
元禄元年(1688)以降、晴天8日間を常とした江戸相撲は、安永7年に10日
間となる。その背景には、相撲人気の高まりがありました。
そして。相撲興行の時期には、「相撲櫓」が仮設されました。
広重『名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋』の左端に櫓が描かれています。
櫓には、興行中晴天が続くことを願って、竹竿の先に麻の出弊だしっぺいが
吊るされました。「櫓太鼓」は、早朝4時頃、関取の場所入りの時、打ち出
し後の3回叩かれ、相撲の季節の風物詩となりました。
し後の3回叩かれ、相撲の季節の風物詩となりました。
現在の相撲界では、三種類の太鼓が大切な役割を担っています。
朝8時から9時迄打たれるのが「寄席太鼓」。
朝8時から9時迄打たれるのが「寄席太鼓」。
客を送り出しながら打たれるのが「跳ね太鼓」。
呼び出しが太鼓を担ぎ、打ちながら街を巡回する「触れ太鼓」です。
一嵐吹きすさびたる相撲かな 松瀬青々
「寄せ太鼓」
本場所の一日は、寄せ太鼓ではじまります。
「いよいよ始まるよー。お客さん寄っといで寄っといで」と、その名の通り
客を寄せる太鼓である。バチさばきも「集客」の意味を込め外から内に向か
うように打つ。
(寄せ太鼓は「一番太鼓」といわれ、夜明け前に打っていました。そして関
取が場所入りする頃に打たれていたのが「二番太鼓」。)
バチ捌きは、羽織袴で大銀杏の関取衆が場所入りする様子を表現していたと
いいます。
気折れ顔にく/\しさの相撲かな 飯田蛇笏
気折れ顔にく/\しさの相撲かな 飯田蛇笏
それはどんなバチ捌きだったのか…、それは昭和初期に廃止されました。
どうして廃止されたのかというと
夜明け前の一番太鼓は、安眠妨害だとクレームがついたためでした。
結局、協会は「一番太鼓」の時間を、夜明け前から朝8時半に繰り下げるこ
とにしたのですこれが現在の「寄せ太鼓」です。そして2番太鼓は廃止して、
夕刻の「跳ね太鼓」と二回だけにしたのです。
玉錦塩を掴んで雪のように 野田別天樓
「国技館の櫓」
二回の太鼓の総称を「櫓太鼓」といいます。
国技館の櫓は、高さ約16m。その天辺に2・1平方メートルの狭い空間が
あり。呼出しはそこに座り、太鼓を打ちます。国技館の櫓は、常設だから
エレベーターがついています。が、地方場所は、その都度、櫓を組むため、
呼出しは、直角に近い梯子を昇り下りしているようです。
相撲甚句江戸の粋なり月見酒
「跳ね太鼓」
打ち出し後の夕刻に打たれる「跳ね太鼓」。
客をスムーズに外に出す役割もあり、寄せ太鼓とは逆にバチを内から外へと
散らすように打つ。その音が「テンテンバラバラ」と聞こえ、客の散って行
く様子を表現しているといわれています。
この跳ね太鼓には、さらにもう一つの役割があり「明日も見に来てね!」と
またの来場を願っているのです。
合弟子は佐渡へかへりし角力かな 久保田万太郎
「触れ太鼓」
「土俵祭り」は、初日前日に行われる。神事終了後、東花道から呼出しが出
てきます。二人は太鼓を肩に担ぎ、一人はその太鼓を打ち、もう一人が太鼓
の胴を打つ。こういう太鼓が二基出てきて、神事が終わって神が宿る土俵下
を三周します。三周したのち、二基ともそのまま街に出ていくのです。
そして太鼓を打ち「大の里にはァ高安じゃぞえェ」と贔屓の店々に触れ歩く
と、店内の大人たちが、蕩けるような表情で聞きながら。
「ああ明日から相撲だ!」と血が湧きたってくるといいます。
いくたびも押し戻されて相撲かな 正岡子規
「対相撲・プレッシャーバトル川柳」
春なれや名もなき山の朝霞 稲妻雷五郎
文政12年に7代横綱免許を受けた稲妻雷五郎は、
多くの歌を詠んだ風流人として知られます。ほかに、
多くの歌を詠んだ風流人として知られます。ほかに、
「青柳の風にたおれぬちからかな」など。
横綱不在が30年近くなり、相撲人気にも陰りが見えてきた文政の後半。
抜群の強さで頭角を現してきたのが小柳と稲妻であった。すでに三役力士と
して十分な実績を残した小柳は、文政10年に阿武松緑之助と名を改め実力
大関として活躍しました。一方、稲妻雷五郎は、阿武松より若く文政7年に
入幕してからは滅多に負けることなく阿武松に対抗し、一気に大関に上り詰
めました。両者の対戦は、人気を呼び相撲人気挽回の切り札として久しぶり
に大いに盛り上げました。
抜群の強さで頭角を現してきたのが小柳と稲妻であった。すでに三役力士と
して十分な実績を残した小柳は、文政10年に阿武松緑之助と名を改め実力
大関として活躍しました。一方、稲妻雷五郎は、阿武松より若く文政7年に
入幕してからは滅多に負けることなく阿武松に対抗し、一気に大関に上り詰
めました。両者の対戦は、人気を呼び相撲人気挽回の切り札として久しぶり
に大いに盛り上げました。
「令和の力士たちも負けてはおりません」
春場所前夜鯛の握りを十五皿 湘南乃海桃太郎
「春場所の前に、みんなでげん担ぎで回転寿司に行って、縁起がいい鯛を食
べて。十五皿は『15勝する』という気持ちで、あとは回転寿司らしさを出し
たかったので十五貫ではなく"十五皿"としました」と湘南乃海。
プレバト夏井先生の寸評
「春場所前夜"とやったら字余りになるんですが、この"前夜"が大事なんですね。
春場所への意気込み、げん担ぎの思いがよく出ています。俳人になったほうが
いいくらい」と絶賛され、才能アリを獲得した超有望力士は…俳人になるか!
春場所への意気込み、げん担ぎの思いがよく出ています。俳人になったほうが
いいくらい」と絶賛され、才能アリを獲得した超有望力士は…俳人になるか!
赤貝や 父のアガリの 緑濃し 御嶽海久司
「昨年、父が亡くなったんですけれども、その父とよく回転寿司に行ったんです。
父は貝が好きで、それを食べてアガリを飲んでいて。その風景を思い出して詠み
ました」と御嶽海。 思い出のこもった一句だが、高度なテクニックも忍ばせた。
父は貝が好きで、それを食べてアガリを飲んでいて。その風景を思い出して詠み
ました」と御嶽海。 思い出のこもった一句だが、高度なテクニックも忍ばせた。
夏井先生の寸評
「これはよく考えた句でしたね。頭に春の季語"赤貝"、これを詠嘆したあとに父が
出てきますから、お父様の好物に違いないとみんな想像し始めます。そして最後に
アガリの描写です。”緑濃し"で香りも一緒に上がってくる。"赤貝"と"アガリ"の韻、
"赤"と"緑"の色彩のさりげない対比させていますね。
相当俳句をやっていらっしゃるんじゃないかな、と。それぐらいの出来ですよ」と
こちらも高評価。
ざんばら髪の新弟子の背や朝の梅 輝大士
「春場所は新弟子が一番多い時期なので。ざんばら髪の新弟子の背中を見て、
自分も梅の咲く時期の初心を思い出すんですよ」とは輝大士。
自分も梅の咲く時期の初心を思い出すんですよ」とは輝大士。
休場明けの春や大関突き落とす 千代丸一樹
「春場所は"荒れる春場所"と言われていて、自分も横綱や大関を倒して、
懸賞金をいっぱいもらって、いっぱい遊びたいなと思って…」と千代丸。
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