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川柳的逍遥 人の世の一家言
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花園のところどころにある沼地  みつ木もも花





          『吉原遊郭娼家之図』 (歌川国貞画 栄寿堂西村屋与八板) 
原の妓楼の内部。上図を拡大すると。


        上三枚目と下一枚目は同じです





「流行・文化の発信地------、吉原」
吉原は江戸最大の観光地であり、ある意味文化の中心でもあった。
江戸見物に来た老若男女にとって、浅草の浅草寺に参詣したあと、原に立ち
寄るのは定番の観光コースになっていたし、藩主の参勤交代で江戸に出てきた
勤番武士がまず見物したがったのは「吉原」だった。
原の季節ごとのイベントには多くの女も見物に詰めかけた。
女もこだわりなく遊郭に足を踏み入れていたのである。
一種のテーマパークでもあった。




魂が地上五尺で燃えている  通り一遍






         いざ、吉原へ 新吉原の賑わい




原を題材にした浮世絵・錦絵・戯作・歌舞伎・音曲・工芸品は多数あるし、
遊女の髪形や衣装は、江戸の女の流行の発信源だった。
ほとんどの文人学者は吉原で遊び、情報交換の場となっていた。
吉原を抜きにして江戸文化を語ることはできない。
とはいえ、男たちにとって吉原はなによりも女郎買いの場だった。
男の道楽を「呑む、打つ、買う」といった。
呑むは酒、打つは博打、買うは女郎買いである。
その女郎買いっでも吉原は最高の場所であり、上級遊女である花魁は男たちの
憧れでもあった。
当時「男の女郎買いは仕方がない」という考え方が支配的であり、若い男が吉
原に入り浸っていても年長者は寛容だった。
たとえ亭主が朝帰りをしても、女房は憤懣を押し殺し、笑って迎えた。
こうした風潮のもと、男は身分や職業、年齢、独身既婚を問わず、恥じること
も隠すこともなく勇んで吉原に出かけた。




擦れ違いざま赤い舌が見えた  酒井かがり





           新 吉 原 一 覧
新吉原は約3万坪(10万㎡=東京ドーム約二個分)の広さを持つ特別区域
で周辺には、城郭のように堀があった。その堀で囲まれた廓の中に、遊女た
ちを抱えている抱え主が経営する傾城屋、女郎屋(妓楼)があり、そこで生
活する人のための商店や飯屋・床屋・銭湯など裏筋にある小さな町を成して
いた。




蔦屋重三郎ーいざ吉原へ 吉原の画像景色とともに




「吉原ってどんなところ」
江戸時代初期の元和4年(1618)、吉原(旧吉原)は、現在の中央区日本橋人形
町付近と江戸の中心地であったため、風紀の乱れを問題視をした幕府が、明暦
2年(1656)に郊外への移転を命令した。
翌明暦3年(1657)、4代将軍家綱の時代に千束村に移転して開業した。
現在の台東区千束4丁目一帯である。
以来、吉原遊郭(新吉原と呼ぶ)は、幕末までのおよそ2百年に亘ってこの地
で営業を続けた。




哀しみのかけらが落ちた水たまり  前田芙巳代













「新吉原」を俯瞰すると、直接内部が見えぬよう入り口を「く」の字”形に造り、
四方に堀(おはぐろどぶ)をめぐらし、遊女の逃亡と犯罪者の脱出を防ぐ為に要所
に9つの跳橋を設け、非常事に備え表裏の大門は、四っ時(午後10時)に閉じ、
夜明けに開いた。
尚、門脇に設置された「四郎兵衛会所」の番人が出入りを厳しく監視した。
そして陰陽道の占術に基づき、五つの稲荷神社を設け、遊廓街へ入る五十間道
曲がり方、見返りの柳、さらには、花魁道中における花魁の独特の歩行方までも
陰陽道のご託宣に従ったものという。
この隔絶された世界に約3千人、妓楼の関係者やその他の商人などを含めて1万
人近くが生活していた。




後ろからみれば裸の文化人  筒井祥文




         『新吉原江戸町二丁目』 (古代絵集 佐野槌屋内黛突出の図)
花魁道中。本来は年始や祝日、新しい遊女のお披露目の際に行うものだが
客に呼び出された花魁が、振袖新造、禿、妓楼の若い者を従えて、黒塗り
の高下駄を外八文字に歩く姿は、日常的に見られる花魁道中として人々の
目をひいた。





吉原の遊女といえば、最高位である「太夫」がよく知られているが、実はこの
太夫という呼称は、宝暦年間(1751~64)に廃止されている。
 時代小説や時代劇に描かれているのは、ほとんど宝暦期以降明治維新まで
のおよそ百年間の吉原である。
吉原というとすぐに「太夫」を連想するが、もっぱら時代小説や時代劇の舞台
となっている吉原には、太夫はいなかったことになる。
つまり、蔦屋重三郎が、「吉原細見」を手がけるようになった安永4年(1775)
にはすでに太夫の記載は「細見」になく、それに代わって記載されたのは遊女
の階級と揚代(料金)である。




昨日までなかった道が現われる  竹内ゆみこ





葛飾北斎娘・応為『吉原格子先之図』
「和泉屋」と記された妓楼の店先、艶やかな姿を見せる遊女たちの「張見世」
の様子。夜も更けて闇の色が深くなる中で、遊女たちのいる座敷だけは、煌々
と、昼間のような光で包まれている。




「呼出し昼三」
昼夜通しての揚題代が金三分。
遊女が姿を見せて客を待つ張見世はせず、引手茶屋を通した上客の指名のみ、
受ける。これに新造という、若い遊女が一緒につくと、一両一分(125,000)に
増額する。
「昼三」
昼夜通しの揚代が金三分(75,000)。夜だけなら、一分二朱。
「座敷持」
昼夜通しの揚代が金二分(50,000)。自分の起居する部屋と座敷を与えられた。
夜だけなら、金一分(25,000)
「部屋持」
昼夜通しの揚代が金一分(25,000)。
自分の起居する部屋を与えられ、そこで客を迎えた。
「振袖新造」
上級遊女の妹分で15歳過ぎの若い遊女。
「番頭新造」
上級遊女の雑用をつとめる年増の女性。
「禿(かむろ)」
10歳から15歳くらいの少女で、上級遊女のもとで雑用をつとめながら、
遊女としての躾を受けた。




ちょっと肩あんさん揉んでおくれやす  井上一筒





「吉原格子先之図 ②」 宮川長亀
この長亀の絵は、先に挙げた応為の作品の約100年前に描かれたもので、陰影
を付けず、妓楼の内外の様子を、フラットな光のもとで描いている。




※1 揚代が現在のいくらくらいに相当するかを換算するときは、時期を文化
文政期、11代将軍家斉のころにしぼり、一両を10万円とした。
※2 妓楼には通りに面して、格子張りの「張見世」と呼ばれる座敷があった。
男は、張見世に居並んだ遊女を格子越しにながめ、相手をきめる。
もし相手が下級遊女の新造で、酒宴も一切しない、いわゆる「床急ぎ」の遊び
をすれば、揚代の金二朱(12,500)で済んだ。
遊女や奉公人に祝儀をはずんだり、酒や料理の代金、宴席に呼んだ芸者や幇間
などの代金などを加算すると、最初の価格の数倍の金額になった。
その結果、一晩で百万円近い額が飛ぶこともあったというから、やはり吉原は
豪華な遊里であった。




ひとつ手前で折れると間違いなく迷路  松下放天





      『江戸新吉原八朔白無垢の図』 (東京都立中央図書館特別文庫室蔵)
徳川家康の江戸入城を祝して八朔8月1日)に諸大名・旗本などが白帷子を
着て登城したのにならって、吉原の遊女が白無垢を着た。(画は歌川国貞 )




「江戸っ子最大の見栄」
もっとも金がかかったのが、引手茶屋を通した遊びだが、もっとも分かり難い
遊び方でもある。その手順は次の通り。
花魁の最高位を呼出昼三といい、揚代は一両一分、12万5千円ほどだったが、
それだけでは終わらない。
客はまず引手茶屋の二回座敷にあがり、男の奉公人を妓楼に走らせ目的の呼出
昼三を予約する。しばらくして、花魁は、複数の新造や禿を従えて引手茶屋に
やってくる。ここで芸者や幇間を呼び、酒宴となる。
ころあいを見て、客と花魁は連れ立って妓楼に向かうが、このとき引手茶屋の
屋号入りの提灯を提げた女将や若い者が先導し、あとから、新造・禿に芸者や
幇間も従い、大人数で道中をする。
客は人びとの羨望の視線を集め、大尽気分を味わった。
妓楼でふたたび盛大な酒宴をひらき、深夜になって花魁と床入りした。
こうした遊びは一晩で、百万円ほどかかり、まさに豪遊だった。




不真面目なことば伏せ字にして愉悦  井上裕二





     『春遊十二時 卯の刻』 (三代歌川豊国画 国立国会図書館蔵)
午前6時頃、朝帰りの客を見送る遊女を描いている。




なにより吉原は男の歓楽卿である-----遊女は房事で男を悦ばせなければならない。
そのため、遊女はさまざまな秘技を身につけており「床上手」だった。
楼主の女房や遊女の監督役である遣手(やりて)、先輩格の遊女に、男を悦ばせ、
心をくすぐる手練手管を教え込まれた遊女に、客は迷わされ耽溺し、生気を吸い
取られ、ついには身を滅ぼす男も少なくなかった。
原の遊女は、「二十七歳まで、年季は十年」が原則だった。
年季途中で遊女の身柄をもらい受けるのが「身請け」で、膨大な金がかかった。
元禄13年(1700)、三浦屋の太夫薄雲が350両で身請けされた例は有名で、
およそ3,500万円である。
原の遊女を身請けするのは、男にとって最大の見栄であり、世間の人びとは
軽蔑するどころか、みな羨ましがった。
原の遊女-----とくに花魁は、当時のアイドルだった。




金は腐るほどある というのが口癖  新家完司

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