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川柳的逍遥 人の世の一家言
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暴君はヘリュムガスで浮かせよう  くんじろう


  
       武者鑑一名人相合南伝二牧の方と北条時政)


讒言の覚えもなく戦う意志もなかった畠山重忠を殺害した北条義時は、
集まる身内の御家人の前で
「こたびの件は稲毛重成の讒言によって起きたことであり、
 畠山父子を討ったことは、誤りであった」
と、認め、深く頭を下げた。
この一件によって、生じた御家人たちの不安や不満は北条氏へではなく、
時政牧の方に向いた。
政子の方でも、思うところがあったらしい。
政子は鎌倉へ連れてこられた重忠の妻を丁重に扱い、
亡夫の所領が、そのまま彼女に認められるよう取り計らった上で、
再稼先まで世話するつもりでいた。


実線も破線も べた凪のうちに  山本早苗





「鎌倉殿の13人」 牧の方の乱‐②
  
  
 「義時の計算」
 
 
 ー機を逃してはならないー
義時は父と牧の方の動きに目を光らせ続けた。
それから一月余り後、義時が行動を開始した。
「重忠の謀叛というのは、牧の方のでっちあげだった!
 牧の方の奸計は、それだけではない。婿の平賀朝雅を都から呼びよせ、
 将軍にするつもりだった! ーこれは明らかな謀叛である!」
現将軍・実朝に対して、牧の方は、陰謀をめぐらしていた。
義時の、懐から取りだされたピストルは、牧の方に向って構えられた。
さらに義時は、そのピストルを無言で父に突きつけた。
「あなたもですぞ、父上。若い後妻に籠絡されるとは…いやはや…、
 耄碌なされたものよ」


引き金が付いていそうな検温器  木口雅裕
 

ーーーーーーー
              北条時房      瀬戸康史
 
 ー経緯はこうで
あるー

元久2年6月、時政・牧の方の謀略により、謀反の疑いをかけられ、
畠山重忠が二俣川で最期を遂げてから一ヵ月余り、閏7月のことである。
「兄上、内密の話があります」
義時へそう言ってきたのは、弟の時房だった。
「どうやら父上は、平賀殿に北条家の次を託そうと考えているようです」
<平賀殿ならこれまでの功績から言っても、朝廷との関係から言っても、
 後継者として、非の打ち所がない。そもそも血筋で考えれば、将軍家
 にも引けを取らないし、亡き殿の猶氏でもあったのだから> と、
臆面もなく言い切る、時政の肚を、時房の侍女が伝えてきた。


肯定も否定もせずに聞いている  佐藤 瞳


<朝雅を後継者にしようというのか…>
「父上と継母上を、謀反の罪に問おう」
義時の言葉に、時房が目を見開いた。
「さようなことができましょうか」
「できる。すぐに姉上のもとに伺って、将軍実朝様を私の屋敷へお移し
 してくれ」
間もなく政子の命令で、三浦義村ら御家人たちが動き、そのとき時政の
屋敷にいた実朝の身柄が、義時の保護下に移された。
自分の屋敷に多くの御家人が集まり、実朝の警護を務めていることを、
確かめた義時は、満を持して父のもとへ向かった。


思い出はやさしく口惜しさは強く  魚住幸子
 


     北条時政
 

「どういうことだ。事の次第を申せ!」
いきなり実朝を力ずくで奪われた時政は、義時を怒鳴りつけた。
隣で牧の方が唇を震わせている。
「お静まりください。お2人には謀反の疑いがあります」
「何だと!」
刀を取ろうとする時政の身体を、義時の近習が押さえつけた。
「将軍様を廃し奉り、代わりに、平賀どのを据えよう画策していたとの
 こと、証言する者もおります」
「馬鹿な。…さ、さようなこと!」
<後継者として非の打ち所がない。血筋で考えれば将軍家にも引けを
 取らない> と、仰っていたそうではありませぬか」


うしろ手にくくられている立ちくらみ  魚住幸子


さて、義時のピストルは放たれたか…、 いや。
遂にその銃ロは火を噴かなかった。
おもむろに銃を構えただけで、時政牧の方も、
へなへなと腰をぬかしてしまったのだ。
時政は、即日出家し、権力のすべてを義時に譲り渡して伊豆へ隠居した。
牧の方が、渋々それに従わざるを得なかったのはいうまでもない。
(こういうのを無血革命という。閏7月20日、遠州禅室、伊豆北条郡
 に下向したまう。時政68歳だった)
この手並みのあざやかさ。
これだけの業師は、長い日本史の中で何人もいない。
革命はむしろ、流血の惨事のない方が高級である。
その点、血と炎の中で、比企一族を全滅させた時政より、
義時の方が上手だったといっていい。


引き算で最終章をさわやかに  指方宏子
 
 
 父親を鎌倉から追払った義時は、余勢を駆って都に兵をさしむけ、
平賀朝雅誅殺へ向かった。
(その6日後の7月26日、朝雅追討を伝える使者が京へ送られ、
 その日のうちに朝雅は誅殺された)
謀叛が事実だったかどうかなどは問題外だ。
牧の方畠山父子を陥れた手を、そっくり彼は使ったのだ。 
さて、こうなれば、いよいよ「ナンバー1」ということになる。
が….、ふしぎなことに、義時は、わざと「その座」に顔をそむける。
父に代って、執権になったのだからナンバー1であるはずなのに、
ここで彼は巧妙な手を打つ。


春風の誘いに乗ったのは黄砂  靏田寿子
 

父・時政に代って、姉の政子をかつぎだし、その座に据える。
何のことはない、義時は、わが手でナンバー1の首のすげかえをやって
しまったのだ。
父親は後妻に甘い顔を見せたりするから油断がならないが、
政子は母を同じくする姉だし、三十数年、それこそ緊密な連帯感をもっ
て行動してきた。
以来、政子は少年将軍の母親として、幕政に隠然たる発言力を持つよう
になる。
世間には、政子像が誤り伝えられており、最初から権力をふるったよう
に思われがちだが、政子の公的活動は、寧ろこれからなのである。
いわば政子は、キングメーカーである義時によって作られたクイーンな
のである。
(ロボットとまでいってしまえばいいすぎだが、義時と一心同体の幕府
 のシンボルと考えればいい)
 
 
炭坑節ブランコゆれて月ゆれて  通利一遍



     北条義時


「ではなぜ義時は、ナンバー1になることを避けたのか」

義時「ナンバー2」の醍醐味を知りすぎていたからである。
「ほんとうに権力を弄ぶのには、ナンバー1になるより、
 ナンバー2でいるのに限る」
43年の人生を経てきた男の、これが結論だった。
そう思ってみると、北条時政追落しのもう一つの側面が、
はっきり浮かび上ってくる。
義時が真に狙いをつけていたのは、平賀朝雅だったのではないか。


義理の義がつくから一歩引いておく  青木敏子


<親父は、本気で俺の代りに朝雅を推すつもりかもしれぬ>
強力なライバル朝雅を降すために、義時はまず、その庇護者たる時政
牧の方を撃ち落してしまったのだ。
その真相がわかってくると、朝雅が将軍の座を狙ったというのが
でっちあげにすぎないことが、より明白になる。
平賀氏はたしかに源氏の血はひいているが、頼朝一族とは格が違う。
父親の義信は、とっくに頼朝に臣下の礼をとっているし、
まかり間違ってっても、将軍になれる毛並みではない。
ただ、<将軍の座を狙った> といえば、誅殺しやすいから、
これを口実にしたにすぎないのだ。


言い訳の代りにビブラートを効かす  山本昌乃


だが、執権の座なれば話は別だ。
時政が先妻の息子義時をさしおいて、後妻の娘婿・朝雅を後継者にする
可能性は大いにある。
それを見ぬいた義時は、本命は、朝雅打倒にありながら、
その前段階として、父親を脅しつけて引退させ、朝雅の基盤にゆさぶり
をかけたのである。
義時はこの政子をナンバー1の座に据え、自分はあくまでもナンバー2
のままでいるという姿勢を貫いた。


最高のつっかえ棒にペイズリー  岩城富美代


この時政追落しには、ナンバー2がナンバー1を追い払うときの秘伝
のすべてがある。
肝心なのは、反逆のチャンスは「一度しかないない」ということ。
それまでは、ナンバー1には、絶対服従。
だらだらと、反抗の姿勢を示したりしてはいけない。
そして愈々 のチャンスに瞬発力のすべてを賭ける。
このとき大切なのは、ナンバー1に批判的な勢力を結集できるかどうか
ということだ。
義時のように、瞬発力と蓄積力、両者をかね備えて、決戦に臨まなけれ
ばクーデターは成功しない。
「何で朝雅なんかに肩入れするんだ。
 跡継ぎに俺がいることを忘れちゃ
困る。
 なんでもオヤジの言う通りにコトが運ぶと思っちゃ大違いだぜ。

 そろそろ引っ込んでもらおうか」
これが義時のホンネなのだ。


瓜の蔓がんばるという極意みせ  梶原邦夫

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