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川柳的逍遥 人の世の一家言
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できたての雲です湯気を上げている  加納美津子

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「秀吉VS家康」

天下人の実母であれば、その権勢を背景にした伝説めいた逸話の、

ひとつもあっていいのだが、

秀吉母・なか(大政所)に関しては、そのような話を聞かない。

なかは、尾張の国・御器所村の鍛冶屋兼野侍の、家の娘として生まれ、

信長父・信秀の足軽だった木下弥右衛門に嫁ぎ、

秀吉を産んだ。

(弥右衛門の病没後、信秀の同朋である竹阿弥と再婚する)

金の卵になりなさい勉強なさい  山口ろっぱ

ただ、さすがに天下人・秀吉の母としての、覚悟はできていたらしく、

再三にわたる上洛の誘いに、応じなかった家康を動かすため、

秀吉に言われるまま、

人質として、家康の居城があった三河の国・岡崎におもむいた。

これにはさすがの家康も翻意せざるを得ず、

上洛に応じたため、

なかは、1ヶ月後に大坂城に戻ることができた。

山ひとつ越えたか蝶の傷だらけ  高田圭子

実は、この間、家康の側近は、

なかの居室の周囲に薪を積み上げ、

なにかあれば、いつでも火をつける用意をしていたというが、

はたして、なかはどんな心地がしていたのだろうか。

過去形で話す私とさようなら  山口美千代

秀吉の正室であるね(北政所)とも、嫁姑関係が良好で、

穏やかな日々を送ったというが、

堅実で素朴で、賢明な女性であったようだ。

が、娘の旭姫、息子の秀長が病で没したときは、さすがに気落ちしたという。

このことからも、子どもに対する愛情が、

いかに深い母であったかが、うかがわれる。

泣くところできっちり涙出すひばり  河村啓子

秀吉が関白になったのを機に、なかは、大政所と呼ばれるようになったが、

秀吉は終生、母であるなかを大切にした。

第一次朝鮮出兵(文禄の役)の最中に、「聚楽第」で亡くなったが、

その報せを、九州に築いた名護屋城で聞いた秀吉は、

ショックのあまり、卒倒したといわれている。

酸欠の青大将であった頃  井上一筒

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「大河ドラマ・第17回・『家康の花嫁』 みどころ」

天正13(1585)年7月、関白の宣下を受けた秀吉(岸谷吾郎)は、

名実ともに天下人となった。

その翌月、羽柴軍は長宗我部元親を下して四国を従えた。

念願の栗きんとんになりました  赤松ますみ

更に、能登の前田利家を動かして、越中の佐々木成政を下し、

九州攻めを前に、背後をおびやかす有力大名は、

徳川家康(北大路欣也)だけとなっていた。

だが家康は、秀吉の何度もの上洛の呼びかけに、

応じることはなかった。

人喰った顔だ涼しすぎる顔だ  安土理恵

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年が明けて、天正14年、

秀吉は家康に正室がいないことに目をつけた。

正室だった築山殿を信長の命によって殺してからは、

正室を娶っていなかったのだ。

秀吉はさっそく自分の妹の旭(広岡由里子)を、家康の正室にと送りつけた。

秀吉にとって、『大事なもの』とは家族だったからだ。

空き箱にいつかをつめているようだ  杉本克子

旭には夫の甚兵衛(住田隆)がいたが、

秀吉は、甚兵衛には、「5万石の大名に取り立てる」という条件で、

強引に離婚をさせた。

その強引な秀吉のやり方に、甚兵衛は怒りを露にして、

城を飛び出して、行方をくらませてしまった。

捏ね回しひねくり回すいい逃れ  坂下五男

やがて、家康は旭を正室として、迎えて厚遇した。

だがそれは形だけの夫婦で、そこに情愛などは欠片もなかった。

  「・・・私を妻として・・・女子として扱って下さりませ。

      でないと、兄に従うたことになりませぬ・・・」

家康 「あなたは男をご存じない。

          そのようなことを言われて、ならばと応じたのでは、

          あなたはまさに人質ではありませぬか」

0と1限り無くあるその間  岡田陽一

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それでも、家康は動こうとしなかった。

秀吉は、旭より大物を人質に出さないと駄目だと思った。

すると、おね(大竹しのぶ)なか(奈良岡朋子)が、

「自分が人質になる」

と言い出し、結局、なかが行くことになった。

まさに秀吉にとって、一番大事なものは母親だったのだ。

さすがの家康も、大政所が人質として来たことで観念してしまい、

10月、京を経て大坂に入った。

山盛りのNOからひとつだけYES  桂 昌月

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大坂城の大広間で、万座の大名衆や家来衆の注目の中、

家康は上段の秀吉に向かって、

深々と頭を下げて、臣下の礼をあらわす。

家康 「不肖家康、関白殿下の御為に忠義の限りを尽くし、

            ご奉公致す所存にござりまする」

溜め池は残ったさらさらと小川  壷内半酔

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実はこれは前もって、秀吉が家康に頼み込んでいたことだった。

そのあと次に家康は、秀吉が着ている陣羽織を所望する。

それは秀吉が、信長から貰ったものだった。

これは打ち合わせになかったことで、

家康唯一の抵抗だった。

酒のさかなにすこうし疼くものを入れ  森中惠美子

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家康との対面も無事に終わると、

秀吉は、茶室に茶々(宮沢りえ)お江(上野樹里)を呼んで

茶を振る舞った。

そこで利休(石坂浩二)は、

秀吉が駿府の家康のところに、妹の旭を送った時から

茶断ちをしていたことを明かし、茶断ちが明けた最初の茶は、

秀吉自らが点てた茶を、

「茶々に振る舞いたかった」
のだという。

秀吉 「何より好きなものを断たねば、おのれを罰することにはならないからにござ

           います。

     ・・・それがしは、妹から夫を引き離して他の男にあてがい・・・

     年老いた母を人質に差し出しました。

            おのれの妹、母親までを政の道具として使うた男にござりますれば・・・」

泥臭く生きて無色に憧れる  吉川 卓

秀吉は泣いていた。

秀吉の点てた茶を飲んだ茶々は、

今度は、茶々が秀吉に茶を点ててやった。

いままでになかったことで、秀吉は感涙に咽ぶ。

利休は、秀吉は茶断ちだけでなく、

「茶々に会うことも、断っていた」ことも明かす。

深々とブドウの垂れて恋ひとつ  前中知栄

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茶々  「前に言うておったな。秀吉は大嘘つきだと・・・」

江  「はい!」

茶々  「でもその中に『まこと』があると・・・」

  「は はい・・・」

茶々  「悔しいが、私にも、それが分かった気がしたわ・・・」

  「だまされてはなりません! あれはあの者の手にござりまする」

これは、茶々が側室・淀殿になる前兆であった・・・。

衝動にかられて握手してしまう  竹内ゆみこ


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