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川柳的逍遥 人の世の一家言
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世の中を知らぬ証拠に腹を立て  山本五十六

『寸鉄釘を刺す底の痛烈な時代風刺は、短詩形の川柳が最も勝っている』  西田当百

「こんなこともあった、あんなこともあった」・・・

2010年の世界のニュースと風刺の効いた時事川柳をお楽しみください。

一月 

☆ 1月2日、カリブ海の島国ハイチで、マグニチュード7・0の地震が発生。

  普天間に止まったままの鳩時計        市村康郎

  沖縄の空を旋回するばかり           谷垣郁郎

  纒向で探す卑弥呼の赤い沓           井上一筒

  ほんとうに便利阪神なんば線          立蔵信子

  トラストミー信じたオバマが馬鹿なのよ     庵前久男

  マニフェスト消えるインキで刷っていた     楠本晃朗

  年金機構看板変えただけのこと         井丸昌紀

  ドバイショック投資マネーを吸った砂      上野楽生

  正月や国旗はどこへいったやら         森 廣子

  平成の世にびっくりの遣唐使           久米穂酒

  検査入院して政治家を休みます         森中惠美子

  羽根ついて宇宙にもきたお正月         小山紀乃

  カーレーサーも脱輪してる富士登山       谷垣郁郎

  千円をフルに活用した帰省            中田たつお

  坂の上の雲から降りてきた龍馬         奥山晴生

  赤星の盗塁神さまが奪う             泉水冴子

  道なき道郁夫とラクダ砂嵐            柴本ばっは

二月

☆ 2月12日 - 28日 - バンクーバーオリンピック(冬季)開催。
  
    元秘書が三人寄って防波堤           吉田わたる

   マニフェストで勝ってマニフェストで悩む    増田隆昭

  国民のみなさま俺も入るのか          井上じろう

   リコールでトヨタ神話が一つ消え        小林貞夫

  居酒屋で子ども手当を飲んでいる       脇 正夫

  紙切れに化けてしまったJALの株       矢次睦枝

  品格の二字に横綱押し出され         三宅未知子

  理事会へ風穴開けた貴乃花           一階八斗醁

  デジタルがバンクーバーを弾ませる      松山和代

  アニハセヨ言葉はひとつ国ふたつ       原 絵里以

  鶴瓶の「おとうと」よりも小百合さん      上原昭彦

  ガッツポーズして横綱が去る土俵        矢野春水

  レンタンの好きな女へとる車間          萩原三四郎

  豪雨禍のああマチュピチュが遠ざかる     浜田さつき

  エコポイント家電メーカー蘇る           北川ヤギエ

  大たこの足が市有地占拠する           小栗和歌子

  冬の海エチゼンクラゲだけ捕れた         井上一筒

三月

☆ 3月26日-黄海の韓国・白翎島沖で、演習中の韓国海軍哨戒艦が沈没。

  遅刻三兄弟舛添が叱る             正信寺尚邦

  算数で裏金つくり北教組             深川健治

  チリ津波遠い国など無い地球          萩原三四郎

  こする意味わからず見てたカーリング     永渕順一

  金ゼロの五輪やっぱり淋しいな         一階八斗醁

  キム・ヨナの金は掛け値のないトップ     中田たつお

  君が代が鳴らずに終わるバンクーバー    市村康郎

  学習院やんちゃ坊主がてこずらせ       佐原 肇

  皇族も人の子になる不登校           井上じろう

  今頃に内定白紙殺生な             川原章久

  ひたむきのちからみなぎる阿修羅像      吉川俊一

  蟹工船いまも昔も弱き者            小林貞夫

  ユニクロのパンツが物干し場で威張る     新家完司

  食いたい奴は黒マグロになればよい     壷内半酔

  撮り鉄ファン命大事になさいませ       北川ヤギエ

  啓蟄に行きつ戻りつ虫の穴          川原章久

  森伊蔵ウン万円というバブル         大西將文

四月

☆ 4月14日-アイスランド南部の氷河の火山が噴火。
   4月20日-米南部ルイジアナ州沖のメキシコ湾の深海油田で原油流出。

     新党に与謝野馨のみだれ髪         ふじのひろし

  地下鉄逆走政治は逆走ゆるされぬ     吉川俊一

  国会を突くと転げ出るコント          菱木 誠

  触れねばならぬ触れてはならぬ消費税   前田咲ニ

  普天間へハトの白日夢がつづく        たむらあきこ

  名古屋から議員半減狼煙上げ        糟谷尚遊

  脱藩はしたけどあての無い愚弟       庵前久男

  派遣切りワラ人形が売れている       正信寺尚邦

  牛丼の競争牛も疲れ果て           小栗和歌子

  平城の栄華が浮かぶ遷都祭         吉田わたる

  十五年経てもオウムの声がする       田岡 広

  島んちゅが力合わせて優勝旗        山田昭九朗

  魁皇に在位百場所総理杯           石田定雄

  才能が満ちあふれてるたけし殿       中野 稔

  シャボン玉持参でママは飛び立った    岩田明子

  電子書籍本棚はもう不用品         片山加代

  青春の夜行列車も消えて行く        森 廣子

五月

5月1日-上海万博開催。

   上海の万博言わばパクリ博           増田隆昭

    鴨緑江を渡るまっ黒い列車            前田咲ニ

    中国へ豪華列車で行く無心         楠本晃朗

  宇宙人面した鳩が苦苦と啼く        篠原昌之

  鉄人も人の子大記録をとめる         松田幸大

  ギリシャの赤字神殿神話も泣いている     井上じろう

  電源はすぐ切りましょうピンマイク         嶋澤喜八郎

  客を呼ぶ曲もコピーのお国柄            山田昭九朗

  こいのぼりと大阪維新に風が吹く         田口和代

  虐待死つづくこどもの日を待たず          小山紀乃

  老いも若きも訳もなく直ぐキレる        辻  葉

  水了軒好きやったのにこけはった       清水久美子

  北海道へ行った桜と一個の蟹缶         田中博造
   
  殿堂へ届くアニキのユニフォーム          杉谷和雄

  昨日は真夏今日は真冬と忙しい         山口ろっぱ

  高価落札ピカソも恋をしたんだな         内藤光枝

  これからのジュゴン遊び場高架下        浅野 一

六月

☆ 6月2日 - 日本の総理大臣鳩山由紀夫総理/小沢一郎民主党幹事長が同時辞任。

  6月8日 - 日本で菅直人が第94代内閣総理大臣に就任。

  代表選樽床さんて誰だんねん          井丸昌紀

  カイワレのようにオザワを食えますか      竹永広義

  総理の首に接着剤が欲しい           岩田多佳子

    福島を斬った刀で腹を切り           中島弘風

  友愛に道連れされて去る舞台         両澤行兵衛

  お遍路のご利益らしい総理の座       小栗和歌子

  脱小沢なんて孫まで知っていた        谷垣郁郎

  とてもやさしい人だったそれだけだった  片山加代

  墓場でヌード芸術は難しい          大森純子

  恐ろしい二歳でタバコ吸わす国        市村康郎

  たまり席で親分衆がVサイン         河津寅次郎

  魁皇は偉い我慢の1000勝         上田理一

  機密費をもらった記者が出世する       久保田半蔵門

  ミサイルのほかに魚雷もございます      前田咲ニ

  干拓の論議を嗤うむつごろう          杉谷和雄

  咲いた咲いた桜が咲いた職はない       吉川 卓

  円生の名跡粋に納め兼ね             萩原三四郎

七月
  
☆ 7月21日-世界の気温 史上2番目の暑さを記録。

  発火財さげて総理は沖縄へ            佐波正春

  削減と言うならまずは助成金         岩佐ダン吉

  さあ選挙どの別っぴんに入れようか      辻  葉

  黄砂ノー買い物客はいらっしゃい        嶋澤喜八郎

  にんげんに生れたかったと牛と豚      武友六歩

  はやぶさのカプセル耳かきでほじる      井上一筒

  ゆうパックペリカン便に嫌われる        本多智彦

  W杯ルールも知らず徹夜する          井丸昌紀

  ブブゼラが列島駆ける夏の夜          庵前久男

  ドイツ軍タコの暗示に引っかかり       日月英昭  

  愛子さまをさびしがらせる琴光喜        前田咲二

  角界の野球賭博は根が深い           松山和代

  大鵬の名前汚した娘婿              北川ヤギエ

  床山は髷だけ結えば良いものを         庵前久男

  一面でオグリキャップの死を伝え        油谷克己

  泣き明かしましたパク・ヨンハの自殺    一階八斗醁
 
  梅雨までも不真面目になってきたねえ   壷内半酔

八月

☆ 8月5日-チリ・サンホセ鉱山で落盤事故。

  地下七百メートル僕なら気が狂う        新家完司

  アジェンダで票を集めたみんなの党      橋本 康

  軽井沢へ避暑に来ました金賢姫        北川ヤギエ

  実話ですスパイ交換映画並み         徳島一郎

  死んでても死んだと言えぬ訳がある      中野晶平

  親の死を隠し受給の太い奴           浅野 一

  住民票だけで生きている長寿国        杉谷和雄

  温暖化札幌が那覇超えました         前田紀雄

  熱帯夜続きで地球不眠症           碓氷祥昭

  自己中の果ての子殺し親殺し         嶋澤喜八郎

  この国の横綱ですと泣かせるね        山田昭九朗

  二〇〇万円値がつくチャーチルの入れ歯 市村康郎

  パウルくん連れて行きたいラスベガス    了味茶助

  ゲリラ豪雨は地球の涙だろう          菱木 誠

  アナログがいじめに遭って泣いている    但見石花菜

  3Dのメガネ無しでもメタボ腹           吉川弘泰

九月

☆ 9月8日-北朝鮮で、金正恩氏後継に。

  金一家皆栄養が足りすぎる          油谷克己

  悪党の顔で代表選に出る            杉本克子

  続投か交代か直接選べない           山本早苗

  ハマコーの仮面すっかり剥がされる       田岡 弘

  暑い熱い円高株安熱帯夜           柿原昭一

  トロイカって馬と鹿でひくソリですか     酒井かがり

  若乃花ハンサムでした好きでした      水田トンボ

  関西電気保安協会から日本相撲協会へ派遣 くんじろう

  中国が足元を見るレアアース        片岡加代

  刑場の床にしみてる「生きたいな」      嶋澤喜八郎

  秋を探しにデパートをひとめぐり       杉本克子

  焼き鳥になって雀が落ちてくる        谷垣郁郎

  あの世まで昇る中年登山隊         新家完司

  ビール会社だけは猛暑に感謝する       中村牛延

  美女だって化粧直しは二度三度       靏田寿子

  新幹線ドクターイエロー西へ伸び      山本憲太郎

  恐縮ですレポーター生命終わります    水田トンボ

十月

☆ 10月8日、中国民主活動家にノーベル平和賞。

  粛々と領土侵犯なすがまま         植田斗酒

  検察に検察が要る法治国          妹尾昌美

  潮時だよチリンと小沢の首へ鈴       山口ろっぱ

  当て逃げを説明できぬ法治国        山田昭九朗

  廊下にて済ます国盗り物語          中野六助

  味噌あじがする河村市長の名古屋弁  田中博造

  どうやって貯める株安ゼロ金利        北川ヤギエ

  サラ金もティッシュの重さから崩れ      中村牛延

  万能細胞叡智が神の戸を叩く        萩原三四郎

  臓器摘出いのちをいのちに差し上げる  たむらあきこ

  断髪式未練残して土俵キス         前田紀雄

  いてまえの莫山さんがいてもうた      嶋澤喜八郎

  池内淳子の和服を偲ぶ秋である    本多洋子

  ノルウェーの森で見つけたビートルズ  赤松ますみ

     就活のスーツ婚活に着替え        みぎわはな

  ラララよりレレレより儲かるゲゲゲ     酒井かがり

  パンダ死ぬ四千万を払わねば        松本あや子

  暖簾くぐる時価だと書いてある秋刀魚 岩佐ダン吉

十一月

☆ 11月13日-アウン・サン・スー・チーさん(ミャンマー)7年ぶりの解放。
   11月23日-北朝鮮が韓国を砲撃。

  もう一度日露戦争やりますか       脇 正夫
  
     円だけが高くて腰は低い国          大西將文

  舌鋒のチャイナに負ける柳腰       八木 勲

  中露から見れば美しい日本国       内田孝博

  真実は尖閣ビデオに語らせる       水田トンボ

  死刑回避にすでにふたりは戻らない  立蔵信子

  鉄格子ごしに受け取る平和賞        本郷浩二

  神の手を信じて待ったチリ奇蹟       吉川弘泰

  干支に熊あれば親しみ持てたのに    前川全澄

  裏庭を掘れば出そうなレアメタル   新家完司

  妖怪を育てて文化功労賞        吉田わたる

  正倉院二時間待ちに足がつり      靏田寿子

  小澤さんのウィーンフィルは名誉職  吉村雅文

  早慶戦日本シリーズぶっ飛ばし   幸松キサ

  豊作の松茸ヘェーそうですか    杉本克子

  闘将がまた仙台を熱くする      碓氷祥昭

  占い師パウルは骨になりました   了味茶助

  ゆるきゃらと共にふんばる町興し  田口和代

十二月

☆ 11月29日-内部告発サイト「ウィキリークス」が米国務省公電を公開、機密情報流出。

  ウィキリークスひとの口には鍵は無い  みぎわはな

  極貧の国だが武器はたんとある   正信寺尚邦

    暴力装置陸海空に配備する     中島弘風

  あかつきが只今金星を通過     井上一筒

  氷河発見火星じゃなくて日本です  河津寅次郎

  日露戦争の頃のパワーが今ほしい  新家完司

  たばこ値上げ刻み煙草に火が付いた 井上じろう

  家族まで出席できぬ平和賞        立蔵信子

  鬱の字が常用となる国に住む      ふじのひろし

  不況やなんてどこどす祇園事始め   柴本ばっは

  ハンカチも仲間も大事にするエース  本多洋子

  龍馬より弥太郎目立つ終幕だ     本田智彦

  独り居の献体希望ふえている      たむらあきこ

   成田屋の跡目が酒につんのめる    笹倉良一

  米寿の老いも犬のきな子を見習おう 三宅未知子

  年末にトイレ磨くと言う娘        八木 勲

                                                                               「記載川柳は、『川柳瓦版』より」

 『時事吟には、一種の才が必要である。

  作例と首っ引きの、彼方の五字と、此方の七字を継ぎ合わす連中には、難しかろう。

  尚ほ、柳会の私事を素っ破抜いたり、陰口を叩いて喜んでいるなどは、

  愚にもつかぬ楽屋落ちで、時事吟と称すべきものではない』  西田当百

「上記川柳の参考に、日本の十大ニュースもどうぞ」

4月20日
 宮崎で口蹄疫が発生。(9位)

6月2日
 鳩山首相退陣、後継に菅副総理。(5位)

6月14日
 小惑星探査機・はやぶさ帰還。(6位)

6月26日
 サッカーW杯で日本は決勝トーナメントに進出。(10位)
    
7月12日
 参院選で民主大敗。(捻じれ国会へ)(7位)

7月4日(6月~クローズアップ)
 野球賭博に関与で琴光善ら解雇。(8位)

9月2日(6月~)
 113年間で最も暑い夏と、気象庁が発表。(4位)

9月7日
 尖閣諸島沖で中国漁船が保安巡視船と衝突、保安官がビデオ流出。(1位)

9月23日
 大阪地検特捜部検事を逮捕。(3位)
 
10月6日
ノーベル化学賞を鈴木章・根岸英一(2位)

ゼロ番ホーム月の兎が待ってます  山口ろっぱ

2011年が皆様にとって、いい年でありますように。

拍手[9回]

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人の手も杖も死ぬ日のためにある  森中惠美子

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閉塞作戦で戦死した日本兵の棺を、エスコートするロシア軍の水兵の一隊

「広瀬死す」

広瀬武夫は、慶応4年生まれの帝国海軍軍人。

豊後竹田(大分県)の人である。

海軍兵学校に通いながら、講道館で柔道も習った。

日露戦争の劈頭(へきとう)、旅順港を「閉塞」するため、

湾口に閉塞船を沈める作戦に、従事していたところ、

ロシア軍に発見され、撤退しようとしたが、

部下の杉野孫七上等兵曹がいない。

広瀬は閉塞船の福井丸に戻り、三度も船内を探したが発見できず、

カッターで母船に戻る途中で、ロシア軍の砲撃によって戦死した。

1904年3月27日、享年36歳であった。

友の訃を聞いて沈黙するばかり  堀尾すみゑ

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  広瀬ほか死亡報告書

それをもって「軍神」とたたえられ、「文部省唱歌・広瀬中佐」が作られた。

作詞から、具にその時の状況が浮かぶ。

① とどろくつつ音  飛び来る弾丸    荒波あらふ  デッキの上に
  
   闇を貫く中佐の叫び           「杉野はいづこ、杉野は居ずや」

② 船内くまなく  たづぬる三たび    呼べど答えず  さがせど見えず
   
   船はしだいに  波間に沈み          敵弾いよいよ あたりにしげし

③ 今はとボートに 移れる中佐            飛び来る弾丸に たちまち失せて

      旅順港外 うらみぞ深き                軍神広瀬と その名残れど

                                         
 (作詞作曲不詳)
思い出を削ってごらん歌になる  立蔵信子

「軍神・広瀬武夫の戦死の状況については、様々の本に描かれている」

『そのとき、広瀬が消えた。

 巨砲の砲弾が飛びぬけたとき、広瀬ごともって行ってしまったらしい。

 その隣に座って舵をとっていた飯牟礼ですら、気づかなかったほどであった』

                                司馬遼太郎ー『坂の上の雲』
 
『一巨弾中佐の頭部を撃ち、中佐の体は、一片の肉魂を艇内に残して、

 海中に墜落したるものなり』                  
                                 江藤淳
ー『海は甦える』

『その瞬間、『うーん』という声か呻きか、にぶいさけびが聞えたので、ふと顔を上げると、

 少佐の首が見えず、真っ赤な血がもくもくと首から溢れ出ると見るうちに、

 その胴体がころりと海中に落ち込んでしまった』   生出寿ー『知将・秋山真之』

笛ですかいいえ心の風の音  くんじろう

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ロシア船の甲板に横たわる広瀬中佐の遺体

軍外套を着た遺体は、ほとんど損傷もない状態で収容された。

この写真をよく見ると、不鮮明ではあるが、五体がちゃんと残っているように見える。

ということは、砲弾によって身体が四散したのではなく、

やはり頭部への銃弾か砲弾が、致命傷になったようである。

びしょ濡れになった名前のご冥福  井上しのぶ

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海軍葬ー軍の栄誉礼をもって行われた日本兵の葬儀

ところで、海中に消えた広瀬の、その後については、どの本も触れていない。

実は広瀬武夫の遺体は、

ロシア軍によって発見され、ロシア軍によって葬られた。

広瀬の遺体が敵軍の将校ながら、

名誉の戦死として、丁重に葬られていた事実に驚く。

そして、旅順のロシア海軍墓地に葬られた。

切り裂いた穴から青空が湧いた  井上一筒

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 右の二人がアリアズナの兄

ペテルブルグ時代に親交のあったゴヴァレフスキー子爵の2人の子息、

アリアズナの兄が、ロシア船の船上で遺体の確認に立会い、

広瀬の遺体であることを証明した。

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『葬儀の目撃者の証言―』

「旅順港閉塞作戦で戦死した日本人たちの葬儀が行われた。

 それは、完璧な軍隊の栄誉礼をもって行われた。

 それぞれの棺は、日本の軍旗で覆われ、

 水兵の一隊は、吹奏される葬送曲と合唱の中、

 多数の参会者によって行われた葬儀のあいだ、

 厳粛に名誉ある軍人の、エスコートを続けた」

海岸の位置が地図とはずれている  杉本克子

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  「アリアズナ」

アリアズナは、将来敵になるかもしれない異国の軍人・広瀬武夫に、

一途な思いを抱いた。

アリアズナは兄・セルゲイから、

「お前たちが、何かよからぬことをしたら、あの日本人を殴り倒すからな」

と釘をさされたこともある、・・・が、

彼女は負けず嫌いな性格だったので、兄の言いつけと反対の行動に出た。

広瀬が病に臥せっているとき単身見舞いに行ったのは、

その例だが、

”これは貴族令嬢として上流社会の常識から外れた行為だった” グザーノフ記)

大人ですが約束やぶることがある  安土里恵

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懐中時計(ドラマ使用小道具)

遺体を納棺する前に、広瀬の外套のポケットから、

アリアズナが贈ったパーヴェル・ブーレの懐中時計も発見された。

≪現在その時計の行方は不明≫

 置き去りにされて真っ白い時間  小山紀乃

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『明治ニュース辞典』―(1904年4月11日付毎日新聞)

”死体を収容しロシア軍が葬儀を営む”

4月1日、旅順に於いて日本海軍将校のために葬儀を営めり。

当時将校及び水夫、これを見送り、かつ楽隊を附せり。

この将校の死体は、福井丸の船首なる海上に浮かびしものにて、

頭上に砲丸にての大疵あり、その深さ一寸、外套の袖に金線あり、

頚には革紐にて望遠鏡をかけ、ポケットには短剣を差し居れり。

電報によれば、露人は該死体の広瀬中佐たる事は、

知らずして、葬儀を営みたるものならんも、

その広瀬中佐たる事は、当時船上に留めたる肉片が、

電報に伝へる頭部の深さ一寸の大疵と、符号する事、

並びに、外套の袖に金筋の入り居りし事だけにても、

疑ひなきがごとし。

凛として書は風雪を語り継ぐ  山本芳男

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別れがくることを予感していた広瀬とアリアズナ

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黄昏のなか二人のふる里を語り合う


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広瀬の死に祈るアリアズナ

水に映っている神様の居場所  岩田多佳子         

拍手[7回]

九条を棚から下ろす声がする  井上一筒

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閉塞作戦で沈められた報国丸

「旅順港を閉鎖せよ!」

ロシア海軍は、「極東艦隊」「バルチック艦隊」という、2つの艦隊を持っていた。

極東艦隊では、「旅順」「浦塩」という、

2つの基地を持っていたが、

この時期の浦塩港は結氷期にあるために、

極東艦隊のほとんどが旅順港に集結していた。

それを撃破しなければいけないものの、

要塞砲に守られている港内にいる限りにおいては、

攻撃の手段は、限られたものになってしまう。

柔軟にスナック豆のなかにいる  増田佐代子

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2月8日夜、まず駆逐艦による水雷攻撃が実行されたが、

確たる成果は上げられなかった。

翌9日には、二等巡洋艦ディアーナの挑発を受けて、

旅順港の外において、初めての主力決戦が行われた。

後に、「旅順口外の海戦」と呼ばれるものである。

しかし、両軍のダメージは小さなものである。

日本側から見ても、勝利には程遠かった。

そこで、次なる作戦は、旅順港から艦隊をでられないようにすること、

即ち『閉塞』となった。

目玉が光る右岸左岸の茂みから  井上恵津子

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 旅順港口閉塞方位図

「司馬氏のナレーション」

≪ロシアと戦う場合、当然海軍の第1期作戦は、「旅順港」との格闘になる。

 海軍司令部の案として「閉塞」ということは早くからあった。

 旅順口に船を沈めて、そのびんの口をとざしてしまい、

 港内の敵艦隊を物理的に、閉じ込めてしまうのである。

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 旅順の港口はじつに狭い、その幅は、《273メートル》で、

 しかもその両側は、底があいたために、巨艦が出入りできるのは、

 真ん中の《91メートル》幅しかない。

 そこへ古船を横に並べて5、6隻沈めてしまう。

 「それ以外にないのだ」 ということを、

 開戦の前から唱えていたのは、

 東郷の参謀のひとりである有馬良橘中佐と、

 戦艦朝日の水雷長である広瀬武夫少佐である。 

終わり方ありき画鋲にひかる海  富山やよい

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 ところが、「閉塞」の権威であるはずの真之は、実際には、にえきらなかった。

 彼は旅順要塞の実情がわかってくるにつれ、

 サンチアゴ港でこそ出来たが、旅順要塞はまるでちがう。

 サンチアゴ港の千倍の砲力をもっているし、

 第一、港内の艦隊がスペイン艦隊ではなく、ロシアの大艦隊だ。

 「やれば必ず死ぬ」

 と言い出したのである。

 真之は、「流血のもっとも少ない作戦こそ、最良の作戦である」

 と平素言い、閉塞には冷淡になった。

 しかし、自分の先任参謀の有馬が自らやるということを、まっこうから反対もできず、

 煮えきらなかった≫  「坂の上の雲」より

選択肢はどちらも同じ枝毛です  渡邉理沙

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【真之はアメリカ留学中、アメリカ陸軍の輸送船に観戦武官として乗り込み、

 スペインとの戦争でアメリカ艦隊がスペイン艦隊をキューバ島のサンチアゴ湾に、

 閉じこめる閉塞作戦を実見した・・・】

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天才・秋山真之にして決断できなかった「閉塞作戦」は、

やはりうまくいかなかった。

2月23日、薄暮、閉塞隊の5隻は、

円島の東南20海里の洋上に集合し、翌深夜作戦行動に出たが、

先頭の「天津丸」が、猛烈な砲火と探照灯に目が眩み、進路を誤ったこともあって、

2隻を除いて有効な閉塞は、出来ないままに沈没した。

期待した程でなかった出来ばえだ  大炭暁星

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3月26日夜、「第二次閉塞作戦」のための4隻が出発した。

今回も、海岸にある砲台と艦艇からの猛射に

よって予定位置の手前で沈没、完全な封鎖はできなかった。

おまけに、後に軍神としても謳われた広瀬武夫少佐が、

壮烈な戦死を遂げることにもなった。

広瀬はオーバーの上に引廻しを羽織り、

ボートの右舷最後部にすわって、

ともすれば、恐怖で体がかたくなろうとする隊員を励まし、

「みな、おれの顔をみておれ。見ながら漕ぐんだ」

と言ったりした。

負けいくさがチームワークを固くする  遠山唯教

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探照灯が、このボートをとらえつづけていた。

砲弾から小銃弾までがまわりに落下し、海は煮えるようであった。

その時、広瀬が消えた。

巨砲の砲弾が飛びぬけたとき、広瀬ごともって行ってしまったらしい。

その隣に座って舵をとっていた飯牟礼ですら、

気づかなかったほどであった。

波がしらふっーと白い花咲かす  小西カツエ

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    報国丸と広瀬

『坂の上の雲』・第9話‐「広瀬死す」-あらすじ

1904(明治37)年2月5日、

連合艦隊司令長官・東郷平八郎(渡哲也)のもとに命令が下り、

翌日、連合艦隊は佐世保港から出撃する。

真之(本木雅弘)は、参謀長の島村速雄(舘ひろし)とともに作戦を練る。

同日、日本はロシアに対して、国交断絶を通告。

夜のうちに、旅順港に停泊している敵軍艦を、沈めるという奇襲作戦を実施する。

これによって皇帝ニコライ二世(ティモフィー・ヒョードロフ)も宣戦布告を発する。

前へ進めそして兵士は還らない  西出楓楽

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 真之と有馬

一方日本では、騎兵第一旅団の旅団長をしていた好古(阿部寛)が、

出征を控え準備を整えていた。

三笠では、有馬良橘(加藤雅也)が、港内に閉じこもるロシア旅順艦隊に対し、

閉塞戦を試みることを提案。

真之は乗組員の生還率の低さから反対するが、

東郷は作戦を受け入れる。

広瀬(藤本隆宏)も指揮を執り作戦を実行するが、

最初の閉塞作戦は失敗する。

私の空を削ってゆく訃報  萩原三四郎

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二度目の閉塞作戦が実行されるが、

旅順口に達した閉塞隊は集中砲火を浴びる。

広瀬が指揮する福井丸の乗組員は爆薬を仕掛けた船を離れ、

短艇に乗り込み脱出を図るが、広瀬は砲弾を受けて落命。

海軍の閉塞作戦は、再び失敗に終わる。

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旅順監獄展示室に陳列される報告丸の錨

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広瀬の訃報を聞くアリアズナ

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広瀬の葬儀はロシア軍によって執り行われた


ヤッホーが向こう岸から戻らない  嶋澤喜八郎

拍手[3回]

しあわせは他人の家に住んで知り  森中惠美子

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「この人はいったい誰?」

「坂の上の雲」の出演者がみな、ほかのドラマなら主演を張るような名優が、

顔を揃えるなかで、軍神・広瀬武夫役だけが新顔。

それでも、その演技力と存在感は圧倒的で、

冒頭のような疑問を持った人も多かったはず。

藤本隆宏さん、40歳である。

ソウル五輪、バルセロナ五輪の水泳・200m・400m個人メドレーで活躍した顔である。

和尚さん和服で会うと只の人  秋貞敏子             

お茶を飲む手は、細く長い指ながら、その指を広げると短く見える。

見事な水かきが、びっしり張っているからだ。

水かきは、水中運動への適応のために、後天的に発達した主体作用とされ、

その手が持ち主がいかに、『努力の人』であるかを物語っている。

雑学も無駄ではないと信じてる  吉岡 民

この努力の人が、第9話・『広瀬死す』で壮絶に最後の演技を披露してくれる。

この旅順港閉塞作戦の場面は、マルタ島で撮影され、

実際の爆弾や濁流と格闘しながら、闇夜の中で10日間つづいたという。

撮影が終ると、若手俳優全員から、Tシャツと花束を貰った。

Tシャツにはこう書かれていた。

「隊長 ありがとうございました」

藤本には、この上ない嬉しいサプライズだった。

藤本の彼らに対する何気ない気配りが、脇役陣にそんな行動をとらせたのだ。

求めずにひたすら磨くことにする  田中新一 

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「彼らの気持ちが痛いほど分かっていましたから・・・、

 マルタにまで来て、命からがらの演技をしたのに、セリフがほとんどない。

 『自分も同じ立場の出身者なんだ』 ということを分かって欲しかったし、

 大きな役をいただいても、『みんなのお陰で自分が生かされている』 という

 感謝の気持ちを忘れたくなかった」

≪それにしても、秋山兄弟正岡子規を始め、広瀬武夫、東郷平八郎など、

 探せばきりがないが、明治の男たちのなんと魅力的なことか。

 建国という熱いエネルギーがあったにしろ、祖父や曽祖父が暮らした身近な時代が、

 あまりにも遠く感じられる・・・と藤本は思う≫

うしろの正面仲間がいてくれる  山本希久子

明治という時代に、どっぷりつかった藤本は言う。

「自分は日本人でよかった、とつくづく思いました。

 こういう祖先にもって誇りに思います。

 純粋で、他人のために自己犠牲もいとわない。理想の人たちです」

選手時代に日本を背負ったメンタリティーに通じるものを、藤本は感じたのだろう。

大という無限の空が僕にある  山本芳男

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     広瀬武夫

1868年(慶応4)、豊後(大分県)の岡藩士の次男として生れる。

西南戦争で自宅を焼かれ、飛騨高山を経て、明治18年に海軍兵学校へ入学。

日清戦争後にロシアへ留学。

海軍将官のアリアズナと恋仲になった。

帰国後、戦艦・「朝日」の水雷長として日露戦争に出征し、

旅順閉塞作戦の主導的役割を担う。

第二次・閉塞作戦で、

行方不明の部下(上等兵曹・杉野孫七)を沈没間際まで探して、

離船の瞬間、敵弾により爆死する。

1904年(明治37)3月27日、享年36歳であった。

港町かなしい匂いのするところ  宇治田志津子

広瀬は少佐だったが、戦死後中佐に昇進し、海軍で初めての「軍神」となった。

竹を割ったような気性で柔道の達人、男らしく豪胆だが、心優しく部下思い。

まさに理想的な日本男児の典型であり、国民的英雄だった。

≪真説―広瀬は砲弾に撃たれたのではなく、戦艦レトヴィザンから放たれた、

複数の内火艇による一斉射撃で戦死した・・・≫

こんにゃくも持てなくなったヘラクレス  井上一筒

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腹決める酒だ心がほろ苦い  碓氷祥昭

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「司馬遼太郎氏が語る日露戦争の成り行き」

『満州に居すわったロシアは、北部朝鮮にまで手をのばしている。

 当然ながら日本の国家的利害と衝突する。

・・・・・〈中略〉・・・・・  

 日本は、朝鮮半島を防衛上のクッションとして、考えているだけではなく、

 李王朝の朝鮮国を、できれば市場にしたいとおもっていた。

 他の列強が、中国をそれにしたように、日本は朝鮮をそのようにしようとした。

迷わないように歩いた獣道  佐藤后子

笑止なことに、維新後30余年では、まだまだ工業力は幼稚の段階であり、

 売りつけるべき商品もないにひとしいというのに、

 やり方だけはヨーロッパのまねを、つまり、手習いを朝鮮においてしようとした。

 そのまねをしてゆけば、やがては強国になるだろうと考えていた。

 自然、19世紀末、20世紀初頭の文明段階のなかでは、

 朝鮮は、日本の生命線ということになるのである』―「司馬遼太郎氏-坂の上の雲」

半分に聞いてもでかい夢を吐く  嶋澤喜八郎

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清国を牛耳る横暴なタコ(ロシア)

「なぜ日露戦争は避けられなかったのか・・・?」

ロシアは、満州の独占的支配をはかろうとして、清に対し、

「ロシアの合意なしに、満州の港や市を、外国に開放しないこと」

「ロシアが占領中に獲得した満州の権利は、撤兵後も有効とすること」

など、7ヵ条の要求を突きつけている。

当然、清はロシアのこの要求を拒否したが、

ロシアはそれを無視して、そのまま満州に居座ってしまった。

朝鮮から、さらに満州へと進出することをねらっていた

「日本の政府の考え方」 と、

この、「ロシアの動向」 が、

衝突するのは、ごく自然の成り行きであった。

どこまでも交わることのない議論  住田英比古

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 日本軍司令部

ただ、日清戦争以来、急速に海軍の増強をはかってきた軍部も、

ロシアと戦争に踏み切るだけの自信はなく、

軍事力が増強されるまでは、交渉によって、

何とかロシアの満州・朝鮮への進出を、くいとめようと考えた。

たとえば、明治36年(1903)8月、駐露公使・栗野慎一郎

「日本は韓国に、ロシアは満州の鉄道経営に、それぞれ特殊利益をもち、

  これを保護するための出兵権を、お互いに認めること」

「ロシアは、日本が朝鮮の鉄道を、延長させて満州の鉄道につなげるのを、妨げないこと」

「ロシアは、日本が朝鮮政府に対し、援助と助言の専権をもつことを、認めること」

などの内容を含む6か条の「日露協商案」を、

ロシア側に提示している。

 カギカッコをつけて闘ってることば  森中惠美子 

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   39度線

この日本提案に対するロシア側の回答は、

「北緯39度以北を、中立地帯とすること」

などを要求するものであり、結局、この「日露協商」は決裂してしまった。

「朝鮮を思うままに、支配下に置こう」

と考えていた日本政府の思案は、はずれる結果となり、

あとは、「大人しく引き下がるか」「ロシアと一戦まじえるか」、

の2つに1つの選択となったのである。

その後、政府は日露開戦の道を選ぶわけであるが、

決断の一番大きな要因というか背景は、

さきに締結していた「日英同盟」であった。

九条も腹をくくって鐘を聴く  井上一筒

「ロシア追い出すべし」・・・46ec7ffd.jpeg

「出て行ってくれないか!」と英国と米国を後ろ盾に・・・

ところで、日露開戦に至る経過の中で、一番気になることは、

政府がこうしたロシアとの交渉を、

「国民に秘密にして進めていた」

という点である。

「交渉しても、はじめから日本の要求通りの答えは、得られないだろう」

と判断していたことも理由の1つだろうが、

日英同盟を結んでる以上、

「ロシアとの交渉は、公にせず進める」

という方針にした理由がある。

そして結果、これが、ロシアとの開戦をあおる動きにつながった。

談合はヒソヒソ話するところ  辻 葉

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ロシアが、北清事変で出兵させた兵を明治36年4月に、

「第2次撤兵の期限がきても、撤兵させていない」

という状況が、新聞によって公表される。

すると、それを知った国民は、

ロシアへの不信感を抱くようになり、あげくの果ては、

「満州からロシアを追い出せ」

という要求となる。

大きい穴掘ってみましたさあどうぞ  古久保和子

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日本とロシアの軍事力を、冷静に比較してみる前に、

感情論で、
ロシア追い出すべしの大合唱が、まきおこってきたのである。

しかも、ここで注目しなければならないのは、

そうした国民の大合唱が、

むしろ、マスコミによって形成された側面があることだ。

明治36年に結成された対・露同志会や、戸水寛人ら、

東京帝国大学の7人の教授たちが、意見書を出し、

主戦論を唱えたことを新聞が大々的に報じ、

国民の意識を、開戦の方向にもっていく作用を果たした点は重要だ。

手のひらをそっと返してまわしもの  内藤光枝

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平民新聞だけは、戦争反対を唱えた

当時の新聞をみると、社説の中で、

”ロシアと戦うべし”との論調で、読者をあおったものもあり、

一般の記事でも、開戦を要求するグループの集会の模様を、

大々的に扱うなど、
とにかく、マスコミ総ぐるみで主戦論が、

展開せれていった。

そうした動きの中で、はじめ非戦論を唱えていた”萬朝報”ですら、

ついには開戦を主張するようになり、

マスコミは一斉に、熱狂的な論調でロシアに対する敵愾心を、あおったのである。

新聞だけではなく、雑誌も主戦論を展開していき、

戦争反対を唱えるのは「国賊的扱い」をうける状況が、

つくりあげられていった。

鬼退治本当の鬼は桃太郎  山田こいし

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