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川柳的逍遥 人の世の一家言
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真新しい言葉を包み手漉き和紙  北原照子





                                    『万載集著微来歴』(恋川春町画作 東京都立中央図書館蔵)

天明4年 (1784) 狂歌会の著名人を戯画化して平家物語の世界にはめこみ、
楽屋落ちに興じた作品である。天明狂歌の発想がそもそも極め戯作に近い
ものであったことが実感できる。画の場面は天明3年の狂歌会の様子。




江戸のニュース 
老中・田沼意次は蝦夷地の資源開発とロシアとの貿易で経済的利益を得ること
を目指す。
明和八年 (1772) 、ロシア軍に捕らえられて、カムチャッカに流罪となったベニ
ョフスキーらが軍艦を奪って脱走。逃走中に阿波や奄美大島に上陸し「ロシア軍
が来年、蝦夷地へ襲来する」という情報をもたらした。これはフェイクニュース
だったが、この話に触発された仙台藩の江戸詰藩医・工藤平助は「ロシアは交易
目的で蝦夷地に接近している。ロシアを警戒するとともに蝦夷地を幕府が経営し、
ロシアの求めに応じて貿易すれば、大きな利益を得ることができる」と記した
『赤蝦夷風雪考』を老中・田沼意次に献上した。
これに意次は喜び、なんとロシアとの交易を企図するようになった。
幕府は長年、オランダや清、朝鮮意外とは通商、通交を禁じていたので、外交
方針の大転換である。二百年余り続く鎖国政策を平然とぶち破り、ロシアとい
う未知の通商をしようというのだから、意次は大胆な行動の持ち主である。
蝦夷地について意次はロシアに侵略されるまえに手中に治めようと考え、天明
五年 (1785) 最上徳内らに蝦夷地探検隊を組織させ、開発の可能性を探らせた。
(探検隊は「蝦夷地を開墾して耕地化すれば、五百八十万石以上の収穫を得る
ことができる」と復命したが…。意次はこの翌年に失脚してしまう)




破る為障子があると孫が言う  下林正夫





         吾妻曲狂歌文庫・唐衣橘洲  (からごろもきつしう)
 世にたつハくるしかりけり腰屏風まがり なりにハ折かゞめども
(意味)
この世で生きていくことは難しい。まして出世をすることは苦しいことだ。
腰屏風のように、腰を折り屈めて、ぺこぺこお辞儀をしながら、どうにかこう
にか生きている。



蔦屋重三郎ー狂歌ブームを作った男・宿屋飯盛






        宿 屋 飯 盛




大田南畝とともに、書物に関する教養を持った人物として、蔦重が頼りにした
のが狂歌師の宿屋飯盛である。狂名の由来は、実家が宿屋だったことから。
石川雅望(まさもち)という、列記とした名のある国学者である。
蔦重は、世の狂歌ファンに納得される出版物を刊行するには、狂歌に精通した
人間の知恵を借りる必要があった。この点で、蔦重より三つ年下で、大田南畝
に弟子入りして狂歌を学んでいた飯盛は、非常に好都合な人物だった。
彼は国学者としての知識を生かし、蔦重が狂歌集を刊行する際の「撰者」とし
て、力を発揮してくれる人材と見込んだのである。





          『吾妻曲狂歌文庫』の歌①
宿屋飯盛 (やどやのめしもり)
などてかくわかれの足のおもたきや 首ハ自由にふりかへれども
鹿都部真顔(しかつべのまがお) 
思ひきや十ふの菅ごも七ふぐり 女にまけてひとりねんとは




迷ったが一か八かで六にする  栗原信一




天明6年 (1786) 、飯盛が撰者となって出版したのが『吾妻曲狂歌文庫』という
狂歌絵本である。その当時、活躍していた狂歌師50人を、平安時代の王朝歌
人風に描き、それぞれの歌を添えて紹介した。肖像画を描いたのは北尾政演
(きたおまさのぶ)こと山東京伝である。
続いて、「百人一首に」に見立てて、江戸の狂歌師たちの歌を紹介したのが、
『古今狂歌袋』という狂歌絵本。ここでも山東京伝が挿絵を担当するが、格調
高い平安文学風の体裁に、いとも簡単に再現するところはまさに国学者、石川
雅望の本領発揮というところ。
やがて飯盛は同時代の、鹿都部真顔(しかつべのまがお)、銭屋金埒(ぜにや
のきんらち)、頭光(かぶりのひかる)とともに「狂歌四天王」と称される。






           『吾妻曲狂歌文庫』の歌②
手柄岡持 (てがらのおかもち)朋誠堂喜三二の狂名。
 とし波のよするひたひのしハみより くるゝハいたくをしまれにけり
馬場金埒 (ばばきんらち)
 我心あけてミせたき折々ハ 腹に穴ある島もなつかし




喝采がなくても光星月夜  平井美智子




しかし、飯盛が最も活躍できたのは、風刺や皮肉を盛り込んだ狂歌を、自由に
詠むことができた田沼時代で、松平定信「寛政の改革」が始まると、世の中
を風刺した創作は規制され、狂歌師も作品を発表しづらくなってゆく。
飯盛の師匠・大田南畝は、田沼意次の家臣・土山宗次郎との関係、吉原での遊
興における疑惑、狂歌で定信を批判した疑いなどで、狂歌の世界から離れざるを
得なくなる。四天王の一人となっていた飯盛の立場は、どうなっていくのだろう。
それに定信からマークされている蔦重に近いことも気にかかる。
そしてついに寛政元年 (1791) 飯盛は、奉行所から呼び出しを受けた。






           『吾妻曲狂歌文庫』の歌③
紀定丸 (きのさだまる)(大田南畝(四方赤良の甥)
 大井川の水よりまさる大晦日 丸はたかでもさすかこされす
図南女 (となぢよ)
   蛤の珠とミがける月影に  ミるめをそへて吸物にせん




まあいいか灰汁もわたしの味のうち  高橋はるか





呼出しの理由は、狂歌師としての活動ではなく、すでに彼が店主になって営ん
でいた小伝馬町の宿屋に関する訴えで、訴訟を抱えて江戸へ出てきた農民など
を泊める宿屋への嫌疑であった。
「不当に滞在期間を延ばした、高い金銭を要求した」というのである。
結果「家財没収の上、江戸から追放」というものであった。
まったくべらぼうな話である。のちに飯盛は、自叙伝「とはずがたり」にこの
罪は濡れ衣だと訴えたが、幕府は聞く耳をもたない。持つわけがない。
幕府としては、人気のあるうるさい狂歌師を江戸から追放したかったのだから。





『吾妻曲狂歌文庫』の歌④
花道つらね (五代目市川団十郎。号白猿、俳名三升)
 たのしみハ春の桜に秋の月 夫婦仲よく三度くふめし
酒上不埒 (さけうえのふらち)  恋川春町
 もろともにふりぬるものハ書出しと くれ行としと我身なりけり




曇天を斜めによぎるトラクター  前中知栄




家業の宿屋を失い、狂歌も断念し、江戸の郊外で暮らすことになった飯盛を励
まし続けたのが蔦重であった。飯盛が江戸に戻れないまま、蔦重はその6年後
に世を去ってしまう。 その墓碑の文章を書いたのは飯盛である。
『為人志気英邁 不修細節 接人以信』
(意欲的で叡智に優れ、気配りができる、信用できる人物である)
「寛政の改革」の終わった文化9年 (1812) 飯盛は、狂歌の世界に復帰する。
それから18年、78歳で亡くなるまで作家活動を続けた。





            『吾妻曲狂歌文庫』の歌⑤
頭光(つむりのひかる)
 母の乳父のすねこそ恋しけれ  ひとりでくらふ事のならねば
平秩東作(へづつとうさく)
 辻番ハ下座のかた手のつくり松 日に十かへりもはひつはハせつ



生きとおすサボテンの刺の強さかな  服部文子



「べらぼう21話 あらすじちょいかみ」






      松前道廣(えなりかずき)

鉄砲を構える松前道廣の標的は、桜の木に括りつけられた武家の妻











べらぼうはこの21話から『上知』『抜荷』という言葉がキーワード。

絵師・喜多川歌麿(染谷将太)と手掛けた錦絵が、売れなかった重三郎(横浜
流星)。さらに、市中の地本問屋・鶴屋(風間俊介)が手がけた、絵師・北尾
政演(古川雄大)著の青本が売れていると知り、老舗の本屋との力の差を感じ
ていた。そんななか、勘定組頭・土山宗次郎(栁俊太郎)の花見の会に、大田
南畝(桐谷健太)が狂歌仲間を連れて現れ、重三郎は、変装した田沼意知(宮
沢氷魚)らしき男を見かける。
田沼意知「花雲助」という狂名を使って、幕府勘定所組頭・土山宗次郎(栁
俊太郎)が開く狂歌の会に密かに参加。その会で松前藩で勘定奉行をしていた
湊源左衛門という武士と接触を図り、「抜荷を行う場所を示す絵図」なるもの
があるという情報を得ての潜入である。
松前藩の抜荷の証拠を「花雲助」として掴もうとする田沼意知と、その抜荷の
事実を知っているかのそぶりを見せる「白天狗」こと一橋治済(生田斗真)
不敵な沈黙が未来を暗示する。




沈黙もひとつの言葉おしずかに  高橋はるか






       田沼意知吉原に遊ぶ




一方、老中・田沼意次(渡辺謙)は、幕府のため蝦夷地を召し上げたいと、将軍・
徳川家治(眞島秀和)に伝える…。彼の構想は、単なる政治的野望というよりは、
鎖国体制下で閉塞していた幕府の視野を広げる試みだった。
意次は、その延長線上に蝦夷地を「経済拠点」「資源基地」としての可能性と幕府
再生の策を深慮していたである。
※ 上知(あげち)とは領地を召し上げて天領にすること
  抜荷(ぬけに)松前道廣が蝦夷地でオロシャと行う密貿易




正解は一つじゃないよ生きる道  前中一晃

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