川柳的逍遥 人の世の一家言
凹と凸互いに照らし合うている 中山おさむ
かくはかりめてたくミゆる世中を うらやましくやのそく月影 訳)このように目出度く見える世の中を月までが羨ましがっているじゃないか 〔目出度いって?、そんなことあるわけないじゃないか〕 一見 肯定しながら逆説的比喩で世を皮肉ったいる。 『万載狂歌集』
天明3年(1783)正月、須原屋伊八版、太田南畝が編んだ天明狂歌の出発点とも
言える画期的な狂歌撰集である。題名は『千載和歌集』のもじりで、構成等、
造本全体が勅撰集のパロディとなっている。本書の出現によって、マスメディ
ア上の隠れない文芸となり、爆発的流行現象を巻き起こした。 平秩東作 (へづつとうさく)
天明狂歌のきっかけの人物ともなった平秩東作、南畝の師でもある。 本名、立松東蒙 (たてまつとうもう〕江戸中期の儒学者・狂歌師・戯作者。
名は懐之。通称、稲毛屋金右衛門。著「当世阿多福仮面」など。
国を思い、国益のために頑張れば、人はそれを山師だという。
知恵のある者が、知恵のない者をそしるときには、バカとか、タワケとか、
アホとか、いろいろな言い方があるけど、知恵のない者が知恵のある者を そしるときはその言葉が使えないので、山師といった。 「風雅人の儀故、対面いたし候処、いつか山師に成候」 画中の句 鴫の姿は見えないが、西行の歌ゆえに目につく秋の夕暮れ 新しい風ミステリーゾーンから 井上恵津子
「江戸ニュース」 (明和四年)
大田南畝が『寝惚先生文集』を著し狂詩ブームがなる この年、大田南畝(名は覃〔ふかし〕、多くの号を持つが、後半生以降に用
いた蜀山人が最も有名)が、19歳の若さで狂詩集『寝惚先生文集』を著わ
し、狂詩が文芸の世界で大きなブームを呼ぶきっかけとなった。
大田南畝は、幕臣の子として生まれたが、早くから松崎観海や内山椿軒(ち
んけん)に漢学、和歌を学び、その才を発揮して神童と謳われた。
のち独学で和漢の故事典則にも通じ、手なぐさみがてら狂文狂詩を同じ椿軒
門下の平秩東作(へづつとうさく)に見せたところ絶賛。
これを版元の須原屋市兵衛が聞きつけ、須原屋の熱心な勧めもあって『寝惚
先生文集』として出版の運びとなったもの。
(この書の序文は平賀源内が書いている)
代掻きを持ってタガメのひと泳ぎ 前中知栄 蔦屋重三郎ー天明狂歌・太田南畝
大田南畝(四方赤良)(国立国会図書館蔵) 狂歌の第一人者として、「天明狂歌」のムーブメントを牽引したのが、太田
南畝(四方赤良)である。南畝は幕府御徒・太田正智の長男として牛込仲御
徒町で生まれた。若い頃から文才を発揮し、狂詩『寝惚先生文集』を19歳
で著したことは、前述のとおり。
以降、南畝は幕府に仕えるかたわら、四方赤良の名で狂歌を詠み、天明3年
(1783) 『千載和歌集』のパロディである狂歌集『万載狂歌集』を発表。
唐衣橘洲(からころもきっしゅう=田安家家臣・小島源之助)とともに狂歌
ブームに火をつけた。
信楽のタヌキが僕を呼んでいる 下林正夫
四方赤良・朱楽菅江
四方赤良
あなうなぎいつくの山のいもとせを さかれて後のちに身をこかすとハ
朱楽菅江
紅葉々ハ千しほ百しほしほしみて からにしきとや人のミるら
「唐衣橘洲・四方赤良・朱楽菅江などを中心として、狂歌の会が誕生」
狂歌とは、簡単に言えば和歌のパロディである。
雅文学の極みである和歌の形式、手法をなぞりつつ、そこに卑俗な要素を盛り
込むことによって生ずる落差興ずる戯れである。
この同好の士たちの集まりは、徐々に輪を広げていった。
太田南畝の社交の巧さ、人心を惹きつける力と明るい詠みぶりとで狂歌の集ま
りの中心的存在となる。
狂歌は、当座の読み捨てを原則としていて、マスメディアにのって彼らの文芸
が市中に出て行くことはなかった。
しかし、南畝は、狂詩や洒落本などにおいても、注目を浴びている人間であり、
また、「会」という通人の集いには世間の関心も厚く、この狂歌の会が脚光を 浴びて、江戸市中に赤良人気が沸き起こるのにさしたる時間は要しない。
極論すれば、この文芸活動は、「会」すなわち、狂歌をダシにして楽しく集う
ことに本質があった。詠まれた狂歌そのものには、第二義的な意義しかない。
極めて自由な発想で、様々な分野の才人が、この世界に取り込まれていくこと
になる。
言葉遊びに疲れなどないようだ 青木十九郎
才蔵集
『判取帳』 (米山堂版複製)
天明3年より、太田南畝が来訪者の染筆をこれの乞うた帳面。
蔦重は「才蔵集、吉原細見、新吉原大門口、四方先生板本、つたや重三郎、
狂名蔦のから丸」と、商売っ気が真正面に表れた署名をしている。 「蔦重との出会い」
天明元年 (1781) 、南畝が自著の黄表紙評判記で蔦屋刊の朋誠堂喜三二作・
『見徳一炊夢』を絶賛したことがきっかけだった。
御礼を伝えるため、蔦重が南畝宅を訪れて以後、たびたび吉原で宴会を催し、
親交を深めた。南畝は、蔦重の狂歌本にも積極的に協力した。
一方で蔦重もまた狂歌師として狂歌の世界に参入する。
狂名は「蔦唐丸」である。もちろん『万載狂歌集』の成功によって、俄かに、 江戸狂歌の流行が顕在化、爆発的な人気を博し始めた様子を睨んだ上での挙 である。 滝沢馬琴は、その著『近世物之本江戸作者部類』に於て、蔦唐丸の歌を代作
であるとするが、「そうでもあるまい。代作なら、もう少しマシであっても よい」はずである。 天明狂歌の本質は、詠まれた歌そのものにはおそらく備わっていない。
狂歌はその「本質」を全うするための口実で、その本質は狂歌をダシにして、
様々な思惑を持ち乍らも、人が何らかの形で集まり、遊び戯れることにある。 歌は下手くそでかまわない。
極端な話、狂歌を詠まずとも狂歌師たりうるのである。 狂歌師・蔦唐丸が、欲心満々の本屋重三郎そのものであっても、迎え入れる
側に不都合はなかった。 迷うまい心の通う友がいる 柴辻踈星
『吉原大通会』 (恋川春町画作 東京都立中央図書館蔵)
天明4年正月岩戸屋源八刊。絵は喜三二(俳名月成)をあてこんだ「すき成」
を主人公とし、彼のもとに、狂歌の名人10名が顔を揃える場面である。
みんなそれぞれ狂名等にこじつけた、妙な有り合わせの扮装をしているが、 後から登場した蔦唐丸(正面左下)だけは普通の恰好である。
「このメンバーで作品を仕上げてくれ」との依頼をしている。
唐丸が商売に余念のない「狂歌師」であったことをうかがっているのである。
前向きなデンデン虫の富士登山 永野こずみ
「狂歌師蔦唐丸は、狂歌壇にとって大いに重宝な男でもあった」
彼の役割は、狂歌師たちが狂歌師を演じる舞台、すなわち狂歌を詠み合う場の
お膳立てである。当然、そのような場で生産される作品は、ほとんど蔦重版に 直結する。『俳優風』や『夷歌百鬼夜狂』は、内容にその間のいきさつが、
うかがえる格好の資料である。
蔦重の役割としてさらに重要なのは、狂歌の遊びの場として出版物という舞台
を用意したことである。南畝が『満載狂歌集』において示した、出版をも取り
込んだ遊びという行き方を最も強力に推し進める役割を果たした蔦重は、世に
言う「天明狂歌」を作り上げた人間の一人として数えあげられなくては ならない。
左面・酒盛入道(左坊主頭)(その横)紀定丸、朱楽菅江(上段・黒い被り
物)加保茶元成(下段右)蔦唐丸(下段中央)
右面・元木網(中央上)四方赤良(中央上チャイナ服)手綱岡持(上段右)
大屋裏住腹唐秋人(下段中央)
来た道はいつも楽しく跳ねていた 武内幸子
「連」
狂歌師たちは、それぞれ中心的な人物のもとに集まり「連」と呼ばれる集団を
作った。唐衣橘洲を中心とする「四谷連」、朱楽菅江の「朱楽連」、宿屋飯盛
の「伯楽連」、鹿都部真顔の「スキヤ連」、加保茶元就の「吉原連」など、
当時は、さまざまな連が組織され、一種のサロンとなって文化芸能の交流が行 われたのである。
また、唐衣橘洲編『狂歌若葉集』や四方赤良編『万載狂歌集』など、相次いで
狂歌集・狂歌本が刊行されたことが、狂歌熱をさらに拡大させていく。
天明2年では、わずか4種に過ぎなかった狂歌関連書の出版点数は、翌年には
19種まで増大しており、狂歌人気の過熱ぶりがうかがえる。
こうした狂歌人気に参入し、さらにブームを演出したのが、蔦重であった。
朱楽菅江撰『故混馬鹿集』や四方赤良編『狂歌才蔵集』は、好評を博し、天明
狂歌五人選集に数えられるヒット作となった。
さらに狂歌師と絵師を組み合わせ、独自の絵入り狂歌本を刊行するなど、斬新
なアイデアを次々に繰り出していった。
1ページだけの絵本に月が出る 井上一筒
「べらぼう20話 あらすじちょいかみ」
大田南畝(桐谷健太) 江戸城では次期将軍をめぐる話が進んでいました。
田沼意次は、一橋家の豊千代を将軍に、田安家の種姫を御台所にと家治の意向
を伝えます。豊千代には、すでに薩摩の姫との縁談がありましたが、意次は、
「正室でなければ側室にすればよい」と提案し治済も了承。
しかし薩摩藩主・島津重豪は激怒。
側室では収まらないと強く抗議してきました。
これにより、田沼と島津、そして西の丸巻き込む大騒動に発展します。 ハシビロコウも感情を持つ恋をする 加藤ゆみ子
平秩東作(木村了) そのころ吉原では、蔦重が出版した『菊寿草』が評判をよび江戸中の評判を集
めていました。
批評家でもある戯作者、大田南畝(桐谷健太)作の「菊寿草」で、喜三二によ
る「見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)」や、耕書堂が高く評価された
蔦重は、書物問屋の須原屋とともに、南畝の家を訪ねる。
そこで近頃人気が出ている狂歌を知った蔦重は、南畝から「狂歌の会」への誘
いを受けるのです。
今炎えよ今を生きろと曼殊沙華 宮原せつ PR |
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茶助
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