忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[919] [918] [917] [916] [915] [914] [913] [912] [911] [910] [909]

打倒の木村の中に不死身という木村 長宗白鬼




豊太閤の花見行列もコロナで中止になった醍醐の桜


コロナ・ミステリーは、20年2月3日に横浜港に到着したクルーズ船
「ダイヤ
モンド・プリンセス号」から始まった。3千700人の乗客の
うち10人から、新型コロナウイルスの陽性結果が出たというのである。
ウイルスは動物や人間に寄生しないと生きられないから、寄生先の細胞
を利用して自分を複製する。その時に性質が変わったり強化したりする。
毒が強くなりすぎて、自ら消滅してしまうこともあるが、ウイルスだっ
て存在してしまえば、もはやひとごとではない。ウイルスの好きにさせ
てはいけないのである。


京極で厄年の手を見て貰う  狭山かん一


そこで政府の感染症対策室は、横浜沖でクルーズ船が停泊中に菌を退治
してしまおうと考えた。それが1854年、黒船が品川沖に突如として
現れて以来の大騒ぎになった。クルーズ船を港に入れない鎖国再来の日
本政府にヤンヤの非難が飛びかったのである。当時の幕末の黒船から、
大砲が数発発射されたときと同じ状況である。ところがどっこい、コロ
ナは正体不明である。東京の屋形船、愛知県のスポーツジム、北海道の
雪まつり会場の仮設テントなど、各地に脈絡なく現れるウイルスの挙動
に専門家は悩んだ。そこで打たれた策が「不特定多数が集まって接触す
る場所」
自粛要請である。その「自粛自粛」の虚しい叫び声が街中に
響き渡れば、お花見もいろんなイベントも、そして川柳の各地の句会も
「春はのどかにして哀れ」とひねくれつつ自粛する。


太閤出馬天津春日の印具して  川村伊知呂 (小林一三)




(画面をクリックすると拡大されます)

江戸百川楼に催された天川屋俵平の百回忌記念句会


「句会の変遷」 昭和二六年番傘ゟ (岸本水府記)



川柳の団体は、その作品発表機関として雑誌を持ち、そして毎月一回の
句会を持っている。句会は作句道場という風にいわれているが、忙しい
人はまたそれを唯一の作句の日としている。句会もいろいろの変遷をみ
て来たが、今は全国のどこへ行っても大体において、同じような様式の
もとにも催されているようである。(何か特殊な機会でもなければ、写
真に撮っておくようなことはないので、その資料は集めにくかったが)
ここにある「四つの会」は、それぞれの時代の色をみせている。



口元は美空で唄う靴みがき 脇田梅子





 (拡大してご覧ください)
大正6年・大大阪句会


文政9年1月に四代川柳を中心に、江戸百川楼に催された天川屋俵平の
百回忌記念句会は、当時として珍しい機会だったという。会場の正面に
賞品を山と積んであるが、如何にも昔の会らしい。思い思いに座を占め
ているのも画工の技巧があるにせよ、今の緊張ぶりとは大きな差を示し
ている。
 時は過ぎて、大正6年の大大阪句会は、渓花荘の座敷を用いているが、
みな和服であること、今の会のように、出題のビラが掲げられていない
こと、20人くらいより集まらなかったことなどが見られる。
それが昭和12年になると、八十畳敷きの仏教講義所共済会で麦畑のよ
うな線を描いて、多い時は170人の作家が背中合わせで句箋を手にし
た。正面のビラは、この頃すでに選挙演説会のように貼りめぐらされた。



虚子の句を押し頂いた吉右衛門 三浦太郎丸 




 (拡大してご覧ください)
昭和12年・仏教講義所共済会での句会


今の会は、昭和26年11月の番傘例会の結果でみるように、みな洋服、
もう下駄を玄関に脱ぐような大正頃の趣は、夢にも見られなくなった。
最近の調べでは川柳家の平均年齢36歳強、サラリーマンが絶対多数を
占めているだけに、一日の仕事を終わって、その足で出席する。まった
く「働く者の詩」「街の詩人」としてのあり方を目の当たりにみること
ができる。一夜七十八題、一題三句づつ、各題に選者があって選評する。
大正頃は、集句を1人が披講して、出席者からいいと思った句に「頂戴」
の声をかけてもらう。いわゆる「頂戴互選」だった。
今は出席者も多いので、個人戦になって、司会者が進行させて能率的に
進む。以前のように、親しく楽しく研究しながら作る方がいいという人
には、別に小集を催してその要求を満たしている。




 (拡大してご覧ください)
昭和26年11月・番傘例会


心を洗う朝比奈を聞く茶房 大石文久 (朝比奈隆)


選をするということは、句の進路を示すことになるから大切なものにち
がいない。また課題のよしあしは、その句会の収穫にも影響するから、
吟味して出すべきで、その指導者の望む句境と句風は題を課す時に、す
でに定まったとみて差し支えない。
 句会でお互いが句三昧に入り、醍醐味に浸る一瞬の静けさは、尊いも
のがある。句は折にふれての感動から生まれるのを建前にするが、句会
の句にも日ごろの思いが、調子よくまとまって、天下の名吟を生むこと
があるのは言うまでもない。


洛北に歌聖たずねる老名妓 近江砂人 (吉井勇)


戦後、大会ばやりとなった。川柳大会がさかんに催される。中には30
人集まった大会も珍しくないようになった。大会には景品がつきものの
ようだが、おもに関東に流行り、西日本では、稀にあるくらいである。
一句の成績に市長賞がでる。これは関西にも年に一度ある。番傘社主催
のものには賞品や景品を出さない。創立以来出したことがない。昭和7
年以来、天地人さえ廃止した。


安吾の乗車券売場は知っている 磯野いさむ (坂口安吾)


その天地人廃止の言分は、すなわちこうである。
天地人五客軸吟という呼称は月並俳人の連座で用いた古くさいもので、
「天地人」とは、宇宙間の万物を分かったもの、作品価値をこの支那風
な呼び方で呼び方で評価することが時代にあわない。「五客」とは膳碗
などの五人前のことをいい、五つの佳句(客)という洒落から来ている。
「軸」というのは「自句」の洒落で、以上は、昔風の連座で出す、例の
「巻」と称する選者から入選者に送る月並な句帖に、松と鶴などの判を
捺してつくる時に用いられる宗匠好みの称呼である。だからやめたい。


馬主席に吉川英治小さく居る 塚越迷亭


よしそれが特選、佳作などとするにしても、これも、もう専門家の集ま
りには無い方がいい。ずらり肩を並べて同じレベルに選をして、あとは
その道の人と世に問うようにした方が、「選」という性質と時代感覚か
ら考えても、その方がいいというのである。
例会も小集も大会も提出された句を選者が選して、作者と半々の責任を
もって天下に示す。-だけでよい。スリルを味わうような気になっては
ならない。それでこそ、選者も初心者も共に作句できる。句会の理念は、
その方向に進むのが本当のようにおもう。
更に進んでは、句を清記したり、無記名にしたりしないで、雑誌へ本詠
の投吟する場合のように、堂々と記名して、選を経るようになってよい。
もっともっと、句会に磨きをかける必要がある。


京マチ子瞼の母にかくも泣く 平井与三郎



 (拡大してご覧ください)
水府還暦祝賀全国川柳大会(52‘1月15日)




番傘川柳創刊に関して

「番傘川柳」は大正二年一月十五日に創刊した。
創刊のコトバは「こんなものを出すことにした ト百」とだけ。
(ト百とは、西田当百のこと)とぼけたようなものがよいと、みな喜んだ。
月刊でなく、気の向いた時に出す。ほしい人にタダであげるという規則。
発行部数は200部、印刷費15円50銭なり。創刊号は131句が採録
されている。32の題と句。7人のエッセイ、楽屋落、規から成り立って
いる。とにもかくにも「気のむいたときに出す」とある会規から、今日の
令和2年4月まで107歳へと続いている。


圧巻は情婦杉村春子拗ね 岡田紘一郎


その創刊号に載った句は。(選評は蚊象がした)
上燗屋ヘイヘイヘイと逆らわず 当百
 この句は軽味の上乗なものであるが、豆百先生が上燗屋になりき
ったかのように、温情が滲みでている
鹿の餌を売る婆さんはもう死んだ  半文銭
 折々句会などの作句中に思い出す事さえある。
散文のようで、リズムが確かで、技巧の目立たぬよい句である。
気紛れに五重の塔へ独り者  五葉
真面目な顔をこちらへ向けた五葉が、全く別人のようにこの作者の名乗
りをする。人を笑わせる句を作りながら、己の侘しさが五葉にあった。
米俵ただ堂島の贔屓より  蚊象
うれしく逢い、楽しく作った番傘創刊号の句を見て、今昔の感に堪えぬ
ものがある。


「奈良」 奈良七重終日鐘の鳴る所  水府
「流連」 富田屋の客のつもりで風呂へ行き  半文銭
「紙屑」 軍服を出されて困る紙屑屋  五葉
「将棋」 王手飛車是で待ったの三回目  半文銭
「洗髪」 洗髪二人廓の朝湯から
「花道」 幕間の花道へ子が這い上がり  茶十
「糠袋」 糠袋入れながら直ぐ帰ります  当百
「身売」 いづれが不屈駈落と身売沙汰  縁天
「後朝」 後朝(きぬぎぬ)に番傘はチト重た過ぎ  五葉
「河豚」 よう顔を見といて呉れと河豚を食い  半文銭


「廊下」 人数の膳が廊下で勢揃ひ  力好
「鉢巻」 埋立地鉢巻のまま飯にする  水府
「南地」 逢状は嬉しく潜る法善寺  半文銭
「駈落」 死んでもと二人は追って困らせる  三日峯
「桟敷」 桟敷から誰かを招く手の白さ  水府
「床屋」 トロトロとすればおつむを洗いませう  茶十
「双子」 代書屋の双子ですかと問ひ返し  蘆村
「近道」 不案内傍目もふらず遠回り  とく松
「前垂」 前垂の儘普請場へ親旦那  当百
「酌」  独酌の財布を傍に投げた儘  奇萌
「俵」  逆まにとる炭はもう了ひなり  水府
「雑」  階級もなく敷島は売れて行き  水府


「お開き」 お開きに早やお俥の声がする 五葉
「守護霊」 旅戻りそれ安産のお守りだ 半文銭
「独り者」 配達に小言言われる独り者 常坊
「東西屋」 東西屋橋を渡ると三味を弾き 喜月
「裏梯子」 病人があるのかと聞く裏梯子 蚊象
「差向ひ」 いつの間に灯の消されたる差向ひ 縁天
「蓄音機」 変哲もないはお茶屋の蓄音機 水府
「頼母氏」 皆落しそうな初会の顔が寄り 半文銭


※ 楽屋落ち
① 「番傘」はこっそり発刊するはずが、言いたがりの水府が、
「つばめ」の川柳日記に書いたため、同人間から叱言を頂戴。
② 半文銭曰く「五葉と歩くと話しかけないと何にも言わない。
水府と歩くと飲みたいなぁと思い、力好と歩くと電車が気になる。
蚊象と歩くと芸者に声を掛けられたく思う。当百と歩くと、柳会の罵倒がしたいと思う」
③ コロナはいつ収束するのか誰にも分らない。たとえ収束したとしても、「ゼロになったかどうかは神様のみぞ知る」と馬鹿の壁の養老さんがおっしゃっておられました。くれぐれも気をつけてまいりましょう。



悪口が聞き慣れて居る上燗屋  当百

拍手[2回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開