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川柳的逍遥 人の世の一家言
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むしりとったイボがまたまた顔を出す  宮井元伸



真ん中の右奥で長い刀を振るっている女性が濃姫(帰蝶)


『信長公記』の著者・太田牛一は、織田信長の側近として仕えた武将で、
本能寺の変後一時隠棲するが、ほどなくして豊臣秀吉に仕え、晩年に信
長の一代記として84歳までに『信長公記』を書き上げた。
牛一は、戦国乱世にあって、見るべきものを、すべて見てきた男である。
この第一級史料としても有名な「信長公記」にさえ、信長の正妻・濃姫
(帰蝶)に関する記述は、ほとんどない。以って帰蝶は謎の多い女性と
いわれる。

諸説あります かのこりょうらん  酒井かがり


「麒麟がくる」 帰蝶は謎だらけの女性





   濃姫(川口春奈)


「濃姫」とは、「美濃から来た姫」という意味で、名前ではない。
でもってここからは、帰蝶の名で進めていきたいと思う。
数少ない帰蝶に関する記録を布いていうならば、日本滞在中に信長から
丁重なもてなしを受けたルイス・フロイスの一文である。フロイスは、
信長が帰蝶のために建てた「濃姫の館」を訪れ、、庭園を見た後、金で
彩られた濃姫の部屋を訪れ、「他を圧倒する素晴らしいもの」と率直な
気持ちを「日本史」に記している。

ちゃんと名はあります花も咲かせます 八田灯子





金箔御殿ニュースを報じる新聞

【朝日新聞デジタル2016年2月20日01時13分のニュースから】
織田信長が、かつて斉藤道三の居城であった稲葉山城(後の岐阜城)の
ある金華山のふもとに妻である帰蝶のために「金箔瓦の御殿」を建てた
裏付けとなる金箔瓦の破片や庭園跡が、発掘調査でみつかったと2016年
2月19日、岐阜市教育委員会が発表した。
ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、著書「日本史」の中で、庭園
を見た後、金で彩られた二階にある濃姫の部屋を訪れたと書いている。
この話を裏付けるような瓦の出土である。
また、造成時期の異なる石垣がみつかり、信長が当初の計画を変更して
まで、妻、濃姫の御殿を建てたのではないかと思われるという。1567年
に美濃を攻略した信長は、入城してすぐに工事を始めたが、途中で設計
を変更して、庭園に隣接するよう濃姫の御殿の敷地を拡張したとみられ
ている。(本当は、帰蝶と信長は仲睦まじかった?…)

四角い仁鶴ほんとはまあるい師匠やでー オオカダキキ




 
    濃姫のための居館


 残された池と、今回発見された池の形状が似ているから、庭園に隣接
する中心建物に濃姫の部屋があったと推定。市教委は「濃姫の部屋には
中国製の金の幕が掛かっていたとされ、(金箔瓦が使われていた点と)
豪華さという面でも符合する」としている。
今回の調査では、中心建物を建てるため大規模に敷地を拡張した痕跡を
発見。盛り土で高さ3.5m以上かさ上げするなど、大掛かりな工事を
行っていた。史跡岐阜城跡整備委員会委員長で滋賀県立大の中井均教授
(日本城郭史)は、「断定はできないが、フロイスの記述から、信長が
奥方のため、複数の庭が見渡せる一等地に御殿を築いたと想像できる」
と語った。(本当は信長は、恐妻家だった?)

意味深なふくみ笑いの片えくぼ  堀川正博




【名前】

濃姫の名は、帰蝶と先に書いたが、これは、江戸時代の『美濃国記』
いう書物に書かれた名前で、後世につけられたものであり、古文書群の
中心的な家伝史料である前野家文書『武功夜話』には、「胡蝶」と記さ
れている。また「あっち(安土)の方」という呼び名もある。
『美濃国諸旧記』では、斎藤道三(利政)が天文17年(1548)に
稲葉山城を子・義龍に譲って出家。鷺山城に居を移した翌年、この城か
ら古渡城の信長のもとに嫁いだため鷺山殿(さぎやまどの)と呼ばれた。

耳掃除ばかりしている春の欝  笠嶋恵美子





 土岐頼純(矢野聖人)

「帰蝶はバツイチ」
元々、美濃国の守護大名は、土岐氏、斉藤道三の主君であった。土岐
氏が家督相続をめぐり争っている隙に、道三は国主の座を乗っ取り土岐
氏を追放し、これにより事実上の美濃国の実権を握った。この事態に美
濃の治安は乱れ、国は荒れたが、道三は息子の義龍土岐頼芸の落胤で
あるとして、美濃国主に据えることで安定をはかった。その時に守護大
名だった頼芸は、織田信秀を頼った。それに応えて、斉藤軍と交戦中だ
った信秀は、頼芸の甥であり、朝倉孝景の保護にあった頼純(よりずみ)
を味方にして美濃へ侵攻。そして頼芸は甲揖北方城を奪い、頼純は革手
城への復帰をはたした。

真っ黒な貨車で戦がやってくる  嶋沢喜八郎

苦戦を強いられた道三は、頼芸信秀の切り離しを考え、信秀の嫡男で
ある信長帰蝶の結婚を約束し、朝倉家と土岐家の婚儀も整えて、和睦
することになる。和睦の条件に、土岐頼芸が守護職を頼純に譲ることが
盛り込まれ、頼純に道三の娘・帰蝶が、人質として(表向きは 美濃守護
土岐頼純の正室)嫁ぐことになる。 帰蝶はまだ12歳のときであった。
しかし、頼純と帰蝶が結婚して一年後、頼純は24歳で急死したために
帰蝶は、道三の元に帰されることになる。

どこか哀愁どこか投げやりハーモニカ  雨森茂樹





織田信長(染谷将太)

天文13年(1544)、道三信秀が和睦した条件の一つに「帰蝶
が信長に輿入れするという項目がある。天文16年から翌年にかけて、
道三と信秀は大垣城を巡って、相変わらず戦いを続けていた。
しかし、なかなか決着が付かず、再び和睦の話になり、先年の縁組の約
束が持ち上がる。それに奔走したのが、信長の傳役・平手政秀である。
道三方は「信秀は病気がちとなっていたために、誓約の履行を督促して
きた」(美濃国諸旧記)と書き、信秀方『信長公記』には、「政秀の胆
力と政治力で、和睦と信長と帰蝶との縁組みがまとめられたと書いて、
道三の息女は信長に降嫁した」と記している。
 こうして天文18年2月24日、媒酌人を明智光安に15歳の帰蝶は、
信長に嫁ぐこととなった。
(平手政秀とは、信長の教育係で、奇行の絶えない信長に切腹をして諫
めたという人物で、さすがにこれには参った信長も「政秀寺」を建立し、
政秀の霊を弔ったという記録が公記に残る)

うす墨のはがきに泣いたあとがある  桑原すゞ代

※ エピソード
帰蝶信長に嫁ぐことが決まって、父・道三「信長が噂通りのうつ
けならば、これで刺せ」と短刀を渡すと帰蝶は「もしかしたら、これで
父上を刺すかもしれません」と答えたという。これは創作で帰蝶の気の
強さを江戸の作家が、このように表した。
信長には、11男5女(長男・信忠は、生駒吉乃の子で帰蝶の養子)
いたと伝わる。が、帰蝶との間には、子はひとりも出来ていない。信長
は敵愾心を露わにする帰蝶に心を許さなかったのではないか、と江戸の
作家は二人の仲を推測したのであろう。
兄妹に当たる斎藤義龍の死後、義龍の妻が持っていた壺を信長がしつ
こく要求したとき、帰蝶は自害をほのめかして強く抵抗した。
斎藤氏時代からの家臣の美濃衆を代表し、夫に毅然とした態度をとった
という話もある。
信長帰蝶は、本当に不仲だったのか? 冒頭の信長から帰蝶へのプレ
ゼント「金箔瓦の御殿」は、何を意味したものだろう。謎である。

アインシュタインならここでベロを出す 中村幸彦

「帰蝶のその後」
信長と結婚後の帰蝶にはいろいろ説が飛び交っている。
例えば、離婚された説。若年での死亡説。
離婚した時期は、信長の側室・生駒吉乃が懐妊した弘治2年頃ではないか
と推察され、父・道三が死去し、信長家との婚姻同盟も、意味が失われた
ため、母・小見の方の実家である明智光安の明智城に離縁して、返された
のではないかと推測されている。その後、斎藤義龍は、明智家を5ヶ月後
に攻撃しており、明智城が落城した際に、濃姫22歳にして、明智一族と
運命を共にしたともいわれている。

ニトリで迷子になったアラジンのランプ  高橋レニ





  濃姫衣鉢塚

「一方、帰蝶長寿説」
実際のところ濃姫に子供がいたのかどうかは不明だが、公家・山科言継
が書いた『言継卿記』という日記によると、「信長本妻は女児を生んだ」
と記されている。(徳姫か、四女のうちの誰かわからないが…)
また、信長と吉乃との間の子である信忠を養子にして、信長の跡継ぎにし
たことも書かれている。これらのことから帰蝶22歳離婚の説は消える。
そして信長の次男・織田信雄の家臣団等を記した名簿『織田信雄分限帳』
には、「あつち殿(安土殿)」という記載があり、それが帰蝶ではないか
とされている。その安土殿には、600貫もの化粧料(領地)が与えられ
ていたとも記されている。安土城は、天正7年(1579)に完成した。
この時点で帰蝶は45歳である。
天正10年の明智光秀の謀反・本能寺の変で帰蝶は、信長と運命を共にし
たとも伝えられる。帰蝶48歳である。
また、信長一族の供養塔(京都大徳寺・総見院)にある養華院という女性
の墓とされる五輪塔が、帰蝶のものではないかといわれている。葬られた
時期は、慶長17年(1612)だとされており、それが帰蝶だとすると、
彼女は推定78歳までいきたことになる。

判断は多分他人がしてくれる  秋田あかり

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