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川柳的逍遥 人の世の一家言
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どこから切っても僕であるよな無いような 山口美代子




「田家茶話 六老之図」 歌川国芳画


詞書は次の通り
「しわがよるほくろができる せはちゞむあたまははげる毛は白くなる
 手はふるふ足はよろつく 歯はぬける耳は聞こえず 目はうとくなる 
 身におふは頭巾えり巻 杖眼鏡たんほ温石しびん孫の手 くどうなる 
 愚痴になる 心はひがむ 身は古くなる 聞たがる死とも ながる淋
 しがる 出しゃばりたがる 世話をしたがる 又してもおなじ咄に 
 子をほめる達者自慢に人は いやがる」 (たばこと塩の博物館)   


                                       
偏平足の話でしばし盛り上がる  竹内ゆみこ 


            
「清左衛門残日録」 藤沢周平




 清左衛門とその仲間



時代劇専門チャンネルでは北大路欣也が、NHKでは仲代達が清左衛門を
演じたお馴染みの藤沢周平「三屋清左衛門残日録」「日残りて昏るる
に未だ遠し」をテーマに「江戸時代の老いの実態」から現代に通じる何
かを、考えさせてくれるお勧めの一冊です。
(最新のドラマでは、北大路欣也、美村里江、優香、麻生祐未、伊東四
朗、渡辺大、寺田農、笹野高史、岡田浩輝、小林綾子、鶴見辰吾、金田
明夫、小林稔侍らが熱い演技を見せてくれています)



いいことが聞けそう耳を置いてくる  都司 豊



「清左衛門を読む」江戸時代の老いの実態
三屋家の隠居、三屋清左衛門(北大路欣也)は52歳。現役時代は家禄
120石から出世して320石という上士並の禄高を得て、亡くなった
先代藩主の用人を勤めていた。用人というのは、大名や旗本家で家老に
次ぐ役職である。藩主や旗本の政治顧問役や庶務・会計などに携わった。
かなりの重役であるから役料のほかに大きな屋敷をもらえたわけである。
隠居するにあたり清左衛門は、その大きな屋敷も出なければならないと
予想していたが、藩主は屋敷そのままで、さらに隠居部屋まで建ててく
れた。それは藩主が世子に決まる際、清左衛門が賢い弟の方でなく長幼
の序を守って兄のほうを推薦してくれた、その助言をありがたく思い続
けていたためらしい。



縦糸は夕陽 終の衣を縫いあげる  太田のりこ



最近隠居が許され、長男又四郎への家督相続を済ませた。隠居のあとに
は釣りや鳥刺しをする悠々自適の暮らし待っているはずだったが、そう
はならなかった。清左衛門の予想では、世の中から一歩退くだけだった
のだが、隠居は世間から隔絶されてしまうことだったのである。
…その安堵のあとに強い寂寥感がやって来たのは、清左衛門に思いがけ
ないことだった。勤めていたころは、朝目覚めたときにはもうその日の
仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居して
みると、朝の寝覚めの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいい
かということを考えなければならなかった。



人肌でゆるゆるパンツぬるい風呂  雨森茂樹



君側の権力者の一人だった清左衛門には、藩邸の詰め所にいるときも、
藩邸内の役宅に寛いでいるときも、公私織りまぜて訪れる客が絶えなか
ったものだが、今は終日一人の客も来なかった。妻の奈津(美村里江)
は3年前、つまり清左衛門が49歳のときに病死していた。それゆえ、
家の中での話し相手もない。嫁の里江(優香)は、清左衛門を何かと気
遣う優しいこころの持ち主だが、若い嫁とは思い出話をすることもでき
ない。そこで清左衛門は、空白を新しい習慣で埋めようと、日記をつけ
始めた。



たとえようのない孤独と向き合った  福尾圭司



嫁は日記の題名「残日録」の言葉に漂う、寂しげな感じを心配したが、
清左衛門はすこし気張って、「日残りて昏るるに未だ遠しの意味でな。
残る日を数えようというわけではない」ひまになったのを幸いに埃
をはらって経書を読み、むかしの道場ものぞいて見るつもりだ」
と説明した。



魚拓だと言えないこともないですね  竹内ゆみこ








「思い出は永遠に古びない」
隠居のひまの日々に、世俗の空気を持ちこんで来るのは、かつての道場
仲間で「政権が変わっても、かれほどの者はおらぬ」と、いまも町奉行
勤めている佐伯熊太(伊東四朗)である。佐伯は清左衛門が隠居してか
ら、はじめての外からの客で、その後もたびたび訪れてくる。昔の知り
合いが「ボケた」という噂を教えてくれるのも、かれである。しかし、
そういう隠居の身にも、華やいだ気持ちが蘇ってくるときがある。



でこぼこを埋めるでこぼこの片割れ  清水すみれ



菩提寺をたずねたとき、清左衛門は若い女性とすれ違うが、かの女が昔
の淡い恋の相手の娘だと知ると、その淡い恋の思い出がまざまざと心に
浮かび上がってくるのだ。思い出は永遠に古びない。清左衛門は日記を
ひらき筆を取り上げると次のように記した。
「寿岳寺に礼物・寺にて加瀬家の息女に会いたり多美女と申される由。
何かは知らねど、あるいは清光信女仏のひき合わせにてもあらむか」
そう書きながら、清左衛門は身体の中に若い血が蘇るのを感じた。



お互いの隙間に入れる接続詞  みつ木もも花



「落ちぶれた友人との苦い再会」
ある日、旧友の金井奥之助(寺田農)と30年振りに出会う。金井は、
150石の家禄があったが、与した朝田派が派閥争いで敗れて以来零落
し25石の貧乏暮らしとなった。出世を重ねた清左衛門への屈託をかか
える金井は、清左衛門を磯釣りに連れ出す。日が暮れかけた頃、金井は
清左衛門を海へ突き落そうとして、逆に自分が落ちてしまった。助けた
清左衛門に金井は、詫びも礼も言わず、清左衛門はひとり城下へ帰って
ゆく。



失った昨日を覗くマンホール  山本早苗



「寂寥感に浸かる間もなく、清左衛門に起る様々な出来事」
初秋の夕刻、清左衛門は野塩村での釣りの帰り道に、急流に取り残され
おみよとその子の命を救う。しかし、それを契機に清左衛門は藩内の
政治抗争に少しずつ巻き込まれてゆく。筆頭家老・朝田弓之助(金田明
夫)を中心とする朝田派と、元家老の遠藤治郎助を中心とした遠藤派と
の争いは何十年も藩を二分してきた。朝田家老は、自身の子どもを次期
藩主にしようと企む石見守と結託して、野塩村の富豪多田掃部から派閥
強化のための莫大な支援金を受け取っていた。清左衛門は形ばかりは遠
藤派に加わり、集会にも出ていたが、派閥抗争には距離を置いていた。



人の世はモヤモヤモヤの繰り返し  喜田准一







隠居して三年目の春、江戸から近習頭取の相庭与七郎(渡辺大)が藩主
に命じられて訪ねてきた。藩内の派閥抗争の現状を聞きたいといわれ、
清左衛門は、現藩主の自分への信頼に胸をあつくする。その相庭からの
頼まれ事で、城下の繁華街にある行きつけの小料理屋「涌井」で人と飲
んでいた清左衛門は、清次という男が女将のみさ(麻生祐未)に乱暴し
ているところに居合わせた。料理人で、みさの元恋人であるという清次
を追い払った後、みさの酌で飲み、ふたりの距離は急速に縮まってゆく。



今日の日を特別にするいいお酒  ふじのひろし



「涌井の女将みさとの恋と平八の勇気」
清左衛門は、若き日の同僚でライバルでもあった小木慶三郎を訪ねる。
むかし小木が突然左遷された原因は、自分が藩主にした告げ口にある
と長年思い悩んできた。そのことにけりをつけようと、出かけたが、
結局言い出せず、自己嫌悪に陥る。大雪のため自宅に帰り着けず清左
衛門は、涌井で一晩を過ごした。春同年の友人・大塚平八(笹野高史)
が中風で倒れた。歩く練習をしようにも、力が入らないと嘆く友人の
病気は他人ごとには思えず、清左衛門は、鬱然とする。



螺旋階段を後ろ向きに降りる  木口雅裕



一方、藩内の派閥争いは、藩主の息子の毒殺を企み始めた石見守を、朝
田家老が危ぶんだすえに殺害したことから急展開する。藩主は事態を収
めるために、朝田家老を免職、処罰し、遠藤派に政権を握らせる判断を
した。清左衛門の元には用人の船越喜四郎(鶴見辰吾)が訪れ、藩主の
命により、朝田家老の説得への同道を請われる。藩の執政府が一変した
秋の日、清左衛門は、親友の佐伯と飲む酒に酔っていた。帰りしな見送
りに出たみさと二人きりになると、突然の帰郷の決意を聞かされ別れを
告げられる。藩内人事の大幅な入れ替えが行われたころ、みさはひっそ
りと帰っていった。



お別れねニッコリドアを閉められた  森田律子



「平八の勇気」
そして旧友の金井奥之助は病死した。野辺送りにでた清左衛門は、冬の
間に風邪をこじらせた自分や現在も中風を患う大塚平八のことを思い、
老いを痛感する。重い気持ちのまま橋を渡った。そしてふと大塚平八を
見舞って行こうかという気になった。路地をいくつか通り抜けて、清左
衛門は大塚平八の家がある道に出た。そして間もなく、早春の光が溢れ
ているその道の遠くに、動く人があるのに気づいた。清左衛門は足を止
めた。
こちらに背を向けて、杖をつきながらゆっくりゆっくりと動いて
いるの
は平八だった。つと清左衛門は路地に引き返した。胸が波打って
いた。
清左衛門は後ろを振り向かずに、急いでその場を離れた。
胸が波
打っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。



夕焼けに焼いてもらって帰宅する  徳山泰子



ーそうか平八。いよいよ歩く修練をはじめたかー、と清左衛門は思った。
人間はそうあるべきなのだろう。衰えて、死がおとずれるそのときは、
おのれをそれまで生かしめたすべてのものに、感謝を捧げて生を終われ
ばよい。しかし死ぬるそのときまでは、人間は与えられた命を愛しみ、
力を尽くして生き抜かねばならぬ。そのことを平八に教えてもらったと
清左衛門は思っていた。家に帰り着くまで、清左衛門の眼の奥に、明る
い早春の光の下で虫のような、しかし辛抱強い動きを繰り返していた、
大塚平八の姿が映って離れなかった。
今日の日記には平八のことを書こうと思った。



新しい坂を栞にしておこう  西田雅子



【豆辞典】 「江戸時代の隠居」
当時の武士の誰もが、清左衛門のようなしみじみと力強い老後ー
めぐまれた隠居生活を過ごせたわけではない。幕府も藩も定年制がなく、
それだけに「隠居」を願い出る手続きも煩瑣だった。なにしろ、城内で
老眼鏡を掛けるにも「眼鏡願」、杖をつくにも「杖願」の提出が必要だ
った時代である。主君に身命を捧げたはずの家臣が、悠悠自適の日々を
送りたいという理由で隠居を願うことなど、少なくとも建前があり得な
かった。



誰も彼も見えないゴールめざしてる  石橋能里子



「隠居願を提出できる条件。弘前藩の場合」
70歳以上ー病気断りを出していなくても隠居願を提出できる。
60~69歳ー病気の期間に関わらず病状によって出願可能。
50~59歳ー病気期間が5カ月以上であれば勝手次第(自由。
50歳未満ー病気断りを出して10ヵ月を経過しなければ出願できない。


これによれば50代の清左衛門は、最低5カ月間病床にあるか、勤務不
能なほどの重態でなければ、隠居はできないことになる。とはいえ、清
左衛門のようなケースもあり得ないことは、断言できない。腰痛の持病
を抱えているとか、頻尿の症状がひどく長時間の会議や儀式に耐えられ
ないなどの、適当な理由をつけて、隠居する抜け道もある。




シュレッダーにかける積み重ねた吐息  赤松蛍子

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