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川柳的逍遥 人の世の一家言
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男の器量問われる腹の括りかた  前中一晃



          マ ク ベ ス
マクベス夫人・マリオン・コティヤール  / マイケルファスベンダー
夫が王になった時、2人の運命が狂いだす。

 
「わが世の春が来た!」
と、喜んだ人物が北条時政のほかにもう一人いたー
と、前頁の末尾に書いたーーそれは、時政の妻、牧の方である。

彼女は時政の後妻、義時の実母ではない。
牧の方、シェークスピアの4大悲劇の一つ「マクベス」に登場する、
王位を欲する夫に、王の暗殺を唆す夫人のような
「魔性の女」的なところがあった。


たま~に顔を出す殺人犯の性  蟹口和枝


「鎌倉のマクベス夫人」

北条時政牧の方の出会いは、まだ時政が北伊豆の豪族だった頃、
地方武士に課せられている大番役のために、京に上洛していた時にまで
遡る。
牧の方の父は、平頼盛の平家の要人に繋がる家であった。
当時、時政は、妻に先立たれた40過ぎのやもめ男。
東男にとって京女は、雲の上の存在であり、しかも、牧の方は時政より
20歳も年下、つまり娘の政子と同じ年頃の妻を娶ったわけで、3年の
大番役を終えて領地に帰途する頃には、すっかり彼女の虜になっていた。


信号の赤の出会いはほんまもん  市井美春


だがこの女性、ただの若くてたおやかな京女ではなかった。
政子頼家を産んだ時、頼朝が元愛人と寄りを戻していることを、
出産まもない政子に告げ口するなど、かなり、性格に問題がある。
やがて時政が、幕府の重鎮となると、牧の方は、自分の娘婿である平賀
朝雅に肩入れして、時政にさまざまな讒言を持ちかける。
ついには「実朝殺害」まで計画したというから…、
まさに「マクベス夫人」を地で行くような女性なのだ。
かなりの策謀家だった時政だが、老いの迷いか、この娘のような後妻に
は、手もなく翻弄されたのである。


ブルータスあんたも海鼠型の耳  井上一筒
  
  
  ーー   
マクベス夫人・マリオン・コティヤール  牧の方・宮沢りえ
 

「鎌倉殿の13人」 魔性・牧の方の乱ー①


牧の方は、駿河大岡の牧の豪族の娘で、若い頃は、どうやら都で生活を
したこともあるらしい。
この大岡の牧は、平頼盛の所領だったから、そのあたりにでも出入りし
ていたのではないか。
牧の方は、この都育ちをかなり鼻にかけていた。
しぜん、先妻の子である政子や義時とは、反りがあわなかった。
実朝が将軍になると、牧の方はさらに、都風を吹かせはじめた。
実朝が、「妻にするなら都人、それも上流貴族の姫君がいい」
といいだしたというのも、
どうも牧の方の罠にまんまと、かかったからではあるまいか。
 
 
やさしさに触れると折れる鼻ですの  佐藤正昭


そして多分、実朝、「都人を妻に.…」と言いだすより前から、
密かに候補者の目星は、つけていたのかもしれない。
なぜなら、それからの嫁取り工作があまりにも鮮やかすぎるからである。
候補に上ったのは、坊門信清という公家の娘であった。
姉が後鳥羽院の後宮に侍り、坊門局と呼ばれている。
「ですから将軍家は、上皇さまと義兄弟におなりになれるわけで……」
武骨な鎌倉の男や女は、そう聞いただけで腰をぬかした。
政子はひそかに、自分の縁続きの姪を息子の嫁にと思っていたので、
まんまとあてがはずれ、
「牧の方がいらぬ差出口をして」
と地団駄を踏んだ。
牧の方は、憎い義理の娘の鼻をへし折って、ますます意気さかんである。


ぬかるみにモンローウォークして春夜  上坊幹子



  王妃になったマクベス夫人


以後嫁取りの総指揮官として、牧の方は腕をふるいはじめる。
京都に駐在して、鎌倉側の窓口をつとめたのは平賀朝雅という武士だが、
朝雅の妻は、牧の方が時政との間にもうけた娘である。
牧の方は、この娘婿と密接に連携をとりつつ、たちまち嫁迎えの準備を
ととのえてしまった。
「都の姫君をお迎えするのですからね、こちらからも目鼻立ちの整った
 若武者をさしむけねば…ごつい田舎者ばかり行ったのでは、笑いもの
 にされます」
という意向で選ばれた若者の中には、もちろん、牧の方が時政との間に
もうけた自慢の息子16歳の政範も入っていた。
政範と朝雅を都で会わせ、<姫君の側近第一号>にしようという魂胆が
見えすいている。


それからを知れば敵にも味方にも  生田頼夫


ところが、牧の方は、思わぬ苦杯をなめることになる。
はりきって都へ向った政範が、なんと、かの地で病いにおかされ、
あっけなく死んでしまったのだ。
涙をこらえて、嫁迎えだけは、順調にすませたものの、牧の方の胸は霽
(は)れない。
怒りが渦巻くうちに、逆に彼女は、格好のはけ口をみつけだす。
狙われたのは、政範と共に嫁迎えに行った畠山重忠の息子の重保である。
この畠山一族と都にいる平賀朝雅とは、以前から仲が悪かったらしい。
都についた重保は、ささいなことから朝雅と喧嘩し、あわや大乱闘と、
いうところまでいってしまった。
その時は周囲の人々に止められて、無事におさまったものの、この噂は
たちまち鎌倉に伝えられた。


トンチンカン危険水位を突破する  井本健治
 


      畠山重忠像


「あの重保めが、婿の朝雅と…?」
<憎い重保め、政範が死んだのもきっとあいつのせいに違いない>、
牧の方の怒りはいよいよエスカレートし、遂に夫の時政を唆し、
重保に「謀叛の汚名」を着せて、虐殺してしまうことを計画する。
――そして、この際、
<親父の重忠もやっつけてしまったら>
牧の方はさらに、時政を煽りたてた。
時政としても、強大な畠山がいなくなることは、望むところである。


ちっぽけな意地でも今日は押し通す  津田照子


「じゃ、重忠親子が、<謀叛を企んだ>ということにするか」
そこで時政は、子の義時と弟の時房を招いて、この計画をうちあけた。
黙って聞いていた義時が、父の提案に、はじめて難色をしめしたのは
このときである。
「さあ、それはどうでしょうか。重忠は故将軍家以来忠節を尽してきた
 御仁ですし、それに当家とも縁が深い」
重忠の妻は、義時たちの妹なのだ。
畠山と平賀の対立の根も、このへんにあったのかもしれない。

(畠山は政子・義時たち先妻グループ、平賀朝雅は、後妻グループ。
即ち先妻グループは=政子・義時、時房、重忠・妻ちえと稲毛重成あき
は、時政の前妻(伊東入道の娘」子)である。後妻グループは=牧の方、
時政、子の北条政範、平賀朝雅・妻、三条実宣・妻、宇都宮頼綱(妻)、
坊門時親・妻、大岡時親・妻である)


太陽の塔も脊柱管狭窄症  八上桐子


が、このときの義時の発言はここまでだった。
今まで黙っていた息子に、思いがけず文句をつけられ、時政は鼻白んで
沈黙したが、義時もそれ以上強く、父を押し留める気配は示さなかった。
その様子を聞いた牧の方は、帰宅した義時に、早速、使いを飛ばす。
「重忠父子の謀叛はあきらかです。なのにあなたは、重忠を弁護したそ
 う
ですね。それは継母の私のさしがねだ、と思っているからじゃない
 の
ですか。この私がでっち上げをしたとでもおっしゃるつもり」
義時は、ゆっくり首を横に振る。
「いやいや、そんなことは。そこまで仰るならもう何も、申しあげるこ
 とはございません


考えること止めるのも生きる技  竹内いそこ


たまたま鎌倉に来ていた重保が惨殺されたのは、その直後であった。
時政、即ち幕府の命令によって、「重忠追討軍」が進発したのだった。
そうとは知らず、少ない手勢を連れて所領の秩父を発ち、鎌倉に向って
いた重忠は、まさに騙し討ちに会うような形で、武蔵国の二俣川の辺り
で戦死してしまう。
じつはこの追討軍の総大将は義時だった。
奇妙なことである。


淡彩で描くいのちのほろほろと  前中知栄



     畠山重忠


義時は鎌倉に戻って、父・時政の前に仁王立ちしている。
「強力な兵力をようする重忠が、百騎ほどの供しか連れず、それも通常の
 装備で、鎌倉へ出仕すべく、道を辿っていました。倅の重保殿が死んだ
 ことも知らないようだった。そんな重忠殿が、謀叛を企てるなど考えら
 れません!」
と、疑念と憤懣やるかたなく義時は、父・時政に言い切った。そして
「こ度は、思い廻らず彼を討取ってしまいました、が、年来の好よしみを
 思う
につけ、その首を正視することができませんでした!」
義時は後悔の目で時政を睨み、<ほんとうは何うなんだ>の言葉は呑んだ。

                    魔性・牧の方の乱②へつづく


はみ出してちょっくらくくっておいた  山本昌乃

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