忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[172] [171] [170] [169] [168] [167] [166] [165] [164] [163] [162]
男の罪を風の罪だと思わねば  森中惠美子

19e350e4.jpeg0fb1673c.jpeg

ガラシャと小笠原秀清(槍)と河北石見

「ガラシャの死」

細川ガラシャ(珠-タマ)は、永禄6年(1563)、

明智光秀の三女として越前国で生まれた。

文化人でもあった父の教育を受け、

聡明で美しい娘へと成長した珠は、

15歳で信長の家臣・細川忠興のもとに嫁いだ。

忠興とは、たいへん仲睦まじい夫婦であったが、

平穏な日々は長くは、続かなかった。

自画像のたそがれ華が欠けてくる  たむらあきこ

c0be4bc4.jpeg

珠が幽閉された味土野の山を望む遺跡

父・光秀が本能寺で主君・信長を討ち、

珠は、「逆臣の娘」の烙印を押されることになる。

そして、夫・忠興が羽柴秀吉側についたため、

本来であれば、離縁されるのが当然のところ、

珠を愛していた忠興によって、

丹後の山奥に味土野(みどの)に幽閉されることとなる。  

≪このとき、腹に子を宿していた珠は、男児を産む。 細川忠隆である≫

  

”身を隠す里は吉野の奥ながら 花なき峰に呼子鳥鳴く”

                        *(呼子鳥が何の鳥か解っておりません)

帯封を切って戻れぬ向こう岸  加納美津子

686b0091.jpeg

2年に及ぶ幽閉が解かれ、

大坂の細川屋敷に戻ることが出来たが、

そこに彼女を待ち受けていたのは、

忠興が側室を置いているという事実だった。

そのような辛い日々が、

彼女をキリスト教に向かわせたのだろう。

忠興が秀吉に従って、九州征伐に出向いている間に、

珠は洗礼を受け、「ガラシャという洗礼名」を授けられた。 

≪それを知った忠興は、執拗に棄教を迫ったとされるが、

   彼女の信仰が、揺らぐことはなかった≫

 

まどろみは浮世ばなれになっていく  山本昌乃

秀吉の死後、忠興は苦境に立たされる。

東西決戦の開幕だ。

こうした時、東西のどちらにつくか?

秀吉には妻の命をとらなかった寛大な恩がある。

また嫡男・忠隆が前田利家の娘婿だったこともあり、

家康から警戒される一方、前田利長の屈服後は、

加増を受けるなどして、取り込まれていたのだ。

風に従うほかはなかった。

「ガラシャの辞世」とされている句は、この時を歌っている。 

”ちりぬべき時知りてこそ 世の中の花も花なれ 人も人なれ”

 

「死なねばならないとしたら、

 その時に向かって、人生を全うして無駄に過すな。

 そして桜の花のように 散ってこそよいのです」

と関が原決戦の直前に、細川忠興の妻として、

夫を励ましている。

コロン一滴さっぱり捨てて始発駅  荻野浩子

604b20aa.jpeg


   田辺城の石垣跡

忠興と嫡男・忠隆が会津遠征中、

留守をあずかっていた忠興の父・藤孝(幽齋)は、

本拠の宮津ではなく田辺城(舞鶴)に籠城した。

そして、さんざん西軍をてこずらせたあと、

「古今伝授」の廃絶を心配した後陽成天皇の仲介で、

子も命も失うことなく、開城された。

あしたを唄うのど飴は買ってある  奥山晴生

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いが勃発する直前、

夫が徳川方につき、上杉討伐のため不在となったすきに、

伏見の細川屋敷にいたガラシャは、

「人質に」と考える西軍・石田三成の襲撃を受けた。

人質になることを拒んだ彼女は、自害を余儀なくされる。

キリシタンの教えでは、自害を禁じている。

彼女は、自らの身の処し方をどのようにするか、

神父・グネッキ・ソルディ・オルガンティノと相談し、

三成の使者が来ると、侍女たちを退去させ、

邸内の礼拝堂にこもって祈り続けた。 

俄雨隣の布団水浸し  馬杉としこ

 

その翌日、実力行使に出た三成の兵に屋敷を囲まれると、

ガラシャは家老・小笠原秀清河北石見を呼び、

槍で胸を貫かせた。
 
家臣らは、ガラシャに首を切り落とした後、

その遺骸を絹衣で覆い、火薬をまいて全員自害し、

細川邸は火の海と化した。

キリシタンとして、夫に仕えた最期であった。 

”先だつは同じ限りの命にも まさりておしき契と知れ”

 

すすり泣く帯は運河へ捨てにゆく  赤松ますみ

ce6dee13.jpeg

細川邸屋敷跡(大坂玉造)

こうした結果に対して、かねてから忠興は、

舅の藤孝らと、
その手はずを整えていたようだ。

忠興が、ガラシャを愛してなかったわけではない。 

「敵の人質にされるくらいなら、殺したほうがましだ」

 

という、少し歪んだ愛情だった。 

なにしろ、ガラシャの姿を垣間見ただけで、

庭師を殺したという忠興である。

 

着脱の善意の仮面持っている  岩根彰子

一方、忠隆の正室の千代は、逃げ出して無事だったが、 

「なぜ、ガラシャと運命をともにしなかったのか」

 

と忠興からなじられた。

このとき、妻をかばった忠隆は、廃嫡されてしまった。 

泣き言はお止し湿度が高くなる  オカダキキ

 

ガラシャの死の数時間後、

神父は、細川屋敷の焼け跡を訪れてガラシャの骨を拾い、

堺のキリシタン墓地に葬った。

忠興はガラシャの死を悲しみ、

慶長6年、オルガンティノにガラシャ教会葬を依頼して、

葬儀にも参列し、

後に遺骨を、大坂・東淀川の崇禅寺へ改葬した。

涙ぐむ小さな小さな草の花  時実新子

d82a66c8.jpeg 81a32002.jpeg

    勝竜寺城正面          細川忠興・ガラシャ像

忠興とガラシャが、

盛大な結婚式を挙げた場所でもある勝竜寺城は、

670年(1339年築城)の歴史があります。

JR長岡京駅東口から南へ、ガラシャ通りを歩いて約8分。

阪急・長岡京市駅からは、約12分で行けます。

谷垣郁郎さん主催の「川柳・たけのこ」は、

この長岡京で開催されています。

句会に寄られる前に、ガラシャの歌心の注入に、

一寸覗いて見られたらいかがでしょう。

入場無料です。場所ー京都府長岡京市勝竜寺13-1。

仏壇へ買った金魚も供えとく  谷垣郁郎

05b6229f.jpeg


大河ドラマ「お江」・第34回‐「姫の十字架」 あらすじ

迫りくる決戦は、徳川や豊臣の者ばかりではなく、

多くの人々の運命を変えていく。

いよいよ戦が迫り、江(上野樹里)には、

徳川と豊臣の関係のほかに、

もう一つ気がかりなことがあった。

それは、

上杉攻め先鋒の総大将を勤める夫・秀忠(向井理)のこと。

彼女には、夫が「戦に向いていない」と分かっていたからだ。 

アツアツの平行線を信じきる  前中知栄

 

そこで江は、今度の戦に不安はないか?

思い切って秀忠に聞いてみる。

すると彼は、驚くほど素直に、 

「自分が戦嫌いである」 

 こと、 

「徳川の跡取りであるがゆえ、戦をしなければいけない苦悩」

 

を打ち明けた。

そして、

「討ち死にすれば二度と戦をせずにすむ」

とまで言い出す。

夫が始めて、真情を明かしてくれたことがうれしく、

勇気を得た江は、秀忠に大胆な提案をする。

菜の花畑終日割箸割れる音  岩田多佳子

b74c7c10.jpeg

三成方と家康方の間に位置する交通の要衝、

近江・大津の地では、高次(斉藤工)、初(水川あさみ)、

そして龍子(鈴木砂羽)が、 

「家康と三成、どちらに組みするか」 
 
決めかねていた。

いざという時には自分信じよう  嶋澤喜八郎

家康は会津へ向かう道すがら立ち寄り、

事が起きたら、「自分に味方するよう」念を押していった。

だが、その家康が、天下を奪おうとしているのなら、

彼につくことは、恩ある豊臣家への裏切りとなる。

悩む初たちに、

残された時間は少なかった。

振りきれてしまうあしたを指す磁石  高島啓子

4184af2c.jpeg

また、家康につくことを明らかにした

細川忠興(内倉憲二)
・ガラシャ(ミムラ)は、

大坂の屋敷で、三成の兵に囲まれる。

三成は、家康方についた大名の妻子を、

人質にとろうとしていたのだ。

しかし、ガラシャは、

自分のために夫が、存分に働けなくなる
のを良しとせず、

事態を収めるため、

ある悲壮な覚悟を決める。

千手観音とジャンケンして笑う  井上一筒

拍手[4回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開