忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[173] [172] [171] [170] [169] [168] [167] [166] [165] [164] [163]

青空を回せば僕の逆上がり  前中知栄

8e6155e3.jpeg

       彦根城

≪大津城から移築されたといわれる三重の天守がそびえる≫

「初が驚いた夫の寝返り」

初の夫・京極高次は、はじめ三成派(西軍)についていた。

弟の高知は会津攻めに、すでに加わっていたが、

遅ればせながら高次は、三成が挙兵にあわせ、

大谷吉継らと、関が原に向かった。

ところが、

「岐阜城が落ちた」

「家康がいよいよ動き出した」

と、
いった中で、西軍から、 

「大津城を明け渡してもらって、使いたい」

 

という申し入れがあったのを機に、

高次は、 

「これ以上踏み込むと取り返しがつかなくなる」
 
と、思ったのか、湖北からこっそり大津城に戻って、

突然、「東軍に参加する」ことを宣言したのだ。 

風の男に女は念を押すばかり  森中惠美子

 

「運を天にまかすしかない」

というのだから、

高次には、よほど腹をくくってのことだったことなのだろう。

これには、おっとりがた初も驚いた。

しかも、高次は、 

「この戦いは内府(家康)さまの勝だ」 

 

だといいきる。 

一大事明日がどこにも見当たらぬ  岩田多佳子
 

takatugu7.jpg

     京極高次

会津に行く途中に立ち寄った家康は、高次に、

「味方に」と懇々と頭を下げて頼んでくる。

そして、 

「佐和山城にいる三成が、妙な動きをしたら教えてほしい」

 

と、こころを割って話してくる。

それにひきかえ、三成は、

もともとは、京極家の家臣の出身にかかわらず、

日ごろから態度が悪く、今回も何も言って来ない。

高次のどちらに付くかの結論は、

その印象だけで決まっていた。 

つらいのはお互いあの日からである  杉本克子

ef423164.jpeg

 

初もこうなっては、

小谷城や北の庄城での経験を思い出して、

一緒に戦うしかなかった。

初は、姉(茶々)と妹(江)の板挟みになることを、覚悟した。

大坂から説得の使者が来るが、高次は会わない。

夫が出陣した後、三成から, 

「城を明け渡して欲しい」 

 と申し出てきた。

だが、初は身体を張って断固として断った。 

コンニャクの隣に肉は座らせぬ  岩根彰子

 

いよいよ西軍は毛利元康を大将として、

立花宗茂、筑紫広門らの1万5千の兵が、

城を攻めはじめ、園城寺境内の高台から、

大砲を打ち込んでくる。

当時の大砲の玉は、ひょろひょろと飛んでくるものだから、

近在の町民は、これを見物しながら、 

「当るかどうか」

 

賭けたという。 

≪戦が始まる前に高次は、大津の町を焼き払ってしまったものだから、

   町民の間では、高次の評判はさんざんで、

   願いとして、「高次負け」方に賭けた人が多かったらしい≫

 

一言のジョークで悲劇から喜劇  牧浦完次

912edc8c.jpeg

城内では、

武闘派の赤尾伊豆山田大炊が出撃して、

攻め手をさんざん手こずらせたが、

二の丸が破られ、本丸だけになってしまう。

ついに砲弾が、京極竜子の近くにも落ち、

侍女が2人、木っ端みじんに砕かれて死んで、

竜子は気絶をしてしまった。

戦いは9月8日から14日まで続いた。

北政所から孝蔵主が来て、竜子を助けるためにも、

「開城を」といってくる。 

海のほう海のほうへと傾ぐ首  八上桐子

fd93597f.jpeg

 

これには、さすがの高次も、 

「これ以上頑張っても落城しかない」 
 
と悟り、
渡りに船とこれを受け入れた。

大津城に籠城し、毛利軍、立花軍の猛攻に耐え、

結局、落城するが、高次が毛利軍を足止めした働きは、

東軍勝利の要因ともなった。 

右足をあの世に出して失格に  筒井祥文

8a1361de.jpeg


この戦いは、「大津城籠城の戦い」として名が残る。

 

敗戦の将・高次は剃髪して、

宇治から高野山に向かい、

初と竜子は京都に引きあげた。

ところが、大津の城を開城した翌日に、

「関が原決戦」がはじまり、

一日で東側が勝利することとなる。

木漏れ日へピカソ逆立ちしてました  岡本久栄

拍手[3回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開