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川柳的逍遥 人の世の一家言
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俯いたままで過ぎゆくにごり酒  河村啓子

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佐治一成像

お江との離縁から、没落の一途を辿った一成だが、

晩年は、伯父・信包の仲介により、信長の末娘と再々婚。

子宝にも恵まれ、長寿を全うした。

送信を押すたびわたくしの欠片  籠島恵子

「一成の生涯」

秀吉信雄に下した指令、”一成への攻撃”は、

秀吉らしい、まさに、”いじめ”である。

信雄は苦しむ。

一成は信雄のために働いてくれた。

しかも、織田一族との思いが深かった。

信雄は拒否したかったが、秀吉の機嫌を損なえば、

改易の憂き目にあうことは必至だった。

信雄は兵を「大野城」に差し向けるしかなかった。

極月や悔いを焼いても煮しめても  嶋澤喜八郎

一成は妻(お江)を強引に奪われたうえ、

「今度は信雄が攻めて来る」

と聞いて唖然とした。

なぜ信雄なのか、怒りがこみ上げる。

だが美濃50万石に、大野6万石がかなうわけがなかった。

大野城を立ち退くしかなかった。

脳細胞の壊れる音がしてならぬ  宮前秀子

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                大野城

≪大野城城内からは、伊勢湾が一望できる。

 11歳で嫁いだお江も兄のように慕った一成とともに、

 その景色を見たことだろう≫

一成の地元大野に、

お江が「おきた」「おぬい」という、2人の女の子を産み、

そのひとりは、盲目だったという伝承がある。

しかし、お江と一成の間に、子どもがいた記録はない。

大野城を立ち退いた一成は、

知多半島の先端にある師崎(もろざき)の血縁のある千賀家に、

一時身を寄せた。

そして2人の娘をここに預けて、伊勢湾を渡り、

対岸の安濃津城の城主・織田信包のもとに、落ち延びたという。

≪娘2人の存在は虚説としても、一成が信包を頼ったのは事実である≫

背後から間合いを詰める砂時計  合田瑠美子

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「お城公園」として整備された安濃津城(津城)跡

≪昭和33年に隅櫓が復元された。

 公園の一角には天主台も残っている≫

この後の一成は、お江とはあまりにも対照的な人生を歩む。

一成は信包から、無役で5千石を貰い、信包の家臣の娘を妻にした。

しかし、子どものないまま妻に先立たれた。

向う岸にも極楽は無さそうだ  井上一筒

災難は信包にも降りかかった。

秀吉は織田一族の繁栄を喜ばず、信雄からも尾張を没収するが、

信包も伊勢50万石を取り上げられ、

丹波柏原(かいばら)3万6千石に改易された。

酒を呑むたびに悲しみ深くなる  新川弘子

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      織田信包

信包が没落しても、行く当てのない一成は、

柏原に同行するしかなく、小禄に甘んじた。

そして45歳のころ、信長の末娘・お振と3度目の結婚をした。

お振も不幸を背負っていた。

すでに信長の威光は地に落ち、

わずか1万石の水野忠胤(ただたね)の妻となっていたのだ。

ところが、夫が主催した宴席で刃傷沙汰があり、

その責任を取らされ、夫は切腹。

お振は、一男二女のわが子を水野家に残して、

叔父の信包を頼って、織田家に帰った。

生家もう青い電車は走らない  森中惠美子

おそらく信包の命令だろう。

一成とお振の哀れな2人は、夫婦となり、わずかな食い扶持で細々と生きた。

それでも一男三女が生まれ、

一成は老いて、初めて家族を持つ喜びを味わった。

一成はお江より8年永く生き、66歳で死ぬが、

かっての妻・お江が”将軍の御台所”となるのを、

あまりにも違いすぎる自分の人生と比べて、

どんな思いで、見ていたのだろうか。

月光が洗ってくれている凹み  たむらあきこ

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