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川柳的逍遥 人の世の一家言
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見たことを全部話しなさいトンボ  みつ木もも花





         石田三成検地 (太閤検地)




「アレが名言に」
「One for all ,all for one.」(ワンフォーオール、オールフォーワン)
この有名な名言は、日本ではラグビーの精神を表す言葉とされる。
意味は、「一人はみんなのために、みんな一人のために」である。
石田三成の旗印は「大一大万大吉」(だいいち・だいまん・だいきち)
「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は、
 幸福になれる」という意味がある。
ラグビーの名言と、なんとなく似ていて通じるものがある。
三成の心情であったことは間違いない。
もとはインドの天文学や占星術で扱われていた九曜紋で、吉兆を占った
ものとしたことから三成が用いたといわれる。
しかし三成の旗印は、江戸時代前期の史料には見ることができない。
(一説によると、関ヶ原の戦いで勝利し天下を治めた徳川家康が、
人気のある三成を悪者として貶めるために情報を操作したのではないか、
とされている)


お蔭様日本にこんないい言葉  宮崎勝義




       戦場にはためく大大大吉の旗印




家康ー石田三成とはどんな人


石田三成は、1560年(永禄3)に近江国坂田郡石田村で誕生する。
父は浅井氏に仕えた豪族・石田正継。母は浅井氏家臣の娘・瑞岳院。
幼名・佐吉、色白で目の大きな目の美少年であったらしい。
そして、少年期を隣町の大原観音寺で過ごしたと伝えられている。
米原市朝日にある観音寺には、寺の小僧だった佐吉(三成)が、鷹狩り
で立ち寄った秀吉に茶を献じ「三椀の才」で、秀吉に見出されたという
逸話は有名である。
初対面の相手に完璧なおもてなしをするのはなかなか難しいもの。
しかし佐吉は、初対面の秀吉の心を掴み、家来にしたいと思わせるほど
の「おもてなし」を披露したのは14歳のときだった。


飛び越えておいで焚火はもう仄か  くんじろう




          観音寺総門 (国の重要文化財指定)
惣門は桟瓦葺の重厚な門で長浜城の裏門を移築したものと伝わる。

「三献の茶」
『ある日、長浜城主となっていた羽柴秀吉が、タカ狩りの帰りに、大原
観音寺に立ち寄り、出迎えた小僧に一服の茶を所望した。
その小僧は、大きめの茶盌に七、八分目ほど入れたぬるめの抹茶を、
床几に坐す秀吉の前にひざまずき手渡した。
喉が渇いていた秀吉は、その茶を一気に飲み干すと、その小姓の立ち居
振る舞いに興味を覚えた秀吉は、もう一杯の茶を所望した。
すると今度は、茶盌の半分に満たない量で、前よりも熱く点てられた茶
を持ってきた。それを飲み干した秀吉がさらにもう一杯の茶を所望した。
次に小僧は、小ぶりの茶盌にさらに熱く点てた茶を差し出した。
秀吉は、客の要望に応えて機転を利かせるこの小僧の才知に驚き、寺の
住職に懇願してこの子を家来としてもらい受けたという』


一口ちょうだいもう一口ちょうだい  酒井かがり




         石 田 三 成




「事務方に就任」
1574年(天正2)三成は、15歳の時に秀吉に仕えるようになった。
武士としての実務よりも、外交を担当する事務方としての任務についた。
三成が20歳頃の書状・「石田三成発給文書目録稿」にこのことが記さ
れている。秀吉に仕え、三成はまず事務方としての才能を発揮していく。


天才を生成している落し蓋  通り一遍


「25歳の出世道」
1585年(天正13)、秀吉が日本初の武家関白へと出世すると、三成
は従五位下・治部少輔という高い官位を受け、出世街道を駆けのぼる。
三成は、25歳の若さで官僚になり、豊臣政権下の「五奉行」一人に数
えられ、司法や行政を担当し、豊臣政権の中核を担うこととなる。
またこの年、上杉景勝直江兼続のところに信じられない話が飛び込ん
できた。「墜水(落水)の会」と呼ばれる。
まさに破竹の勢いで勢力を広げていた羽柴秀吉が、越後の国境・墜水
に三成を含む僅かな供を連れて、自らやってきたというものである。
秀吉が天下統一をするために上杉家も協力してほしいというゴリ押しで
あった。


流木の下にソドムの焼け野原  井上一筒





           忍 城




「三成の30歳、秀吉に「NO」を突きつけた」
1590年(天正18)三成30歳。「忍城の戦い」は、秀吉が北条氏を
討伐するため、豊臣秀吉の家臣であった三成らに命じ、北条氏の支城・
忍城を水攻めにした戦いである。
この戦いで三成は、はじめて大将に任命された。
秀吉から出ていた戦略は、城を洪水で孤立させる水攻めだったが、現場
を見た三成は「この城は水では落ちない」と判断し、長浜城にいる秀吉
に「もっと積極的に攻めるのはどうか」と手紙で進言した。
しかし水攻めにこだわる秀吉は、戦略を変えることはしなかった。
秀吉が持つ強大な力を示すには、手間もお金もかかる水攻めが、パフォ
ーマンスとして最適だと考えたからである。
だが結局は、忍城は、水では落とせなかった。


人生を背負って濁流を渡る  市井美春





          佐 和 山 城




「忍城の戦い」の翌年、三成31歳。三成は、近江国坂田郡にあった
「佐和山城」の代官として着任した。この佐和山は、畿内と東国を結ぶ
要衝であり、軍事、政治、経済的に重要な地域である。
この4年後、三成36歳の1595年(文禄4)に。天守を備える近世
城郭としての佐和山城が完成すると、19万石を拝領する城主となった。
こうしたことから近江の地域で囃された言葉がある。
「石田三成の身に余る物は2つある。島左近と佐和山城」
佐和山の支配や猛将の家臣の島左近は、石田三成にはもったいないと
いうのだ。しかし、三成による佐和山の統治は、領民思いの「善政」
敷いたことで領民から慕われた。そして三成は、領内で「十三ヶ条掟」
「九ヶ条掟」という掟を定め、年貢の計算に関する規定を取り決めた。


耕した土は正直花のいろ  津田照子





                      




「島左近」
三成に仕えた部下として「もったいなくも」で有名なのが嶋左近である。
「忍城の戦い」から間もなくのことであった。
三成が秀吉から4万石の領地を新たに与えられたとき、秀吉は三成に、
「何人家来を増やしたか」と尋ねた。
「一人です」と三成は答えた。
「4万石もの領地をもらって何故一人しか家来が増やさないのか」
と、疑問に思った秀吉は、
「どういうことだ?」
と、追及すると三成は驚きの事実が語った。
「なんと左近に領地の半分2万石を与えた」
と、いうのである。
「主君と家臣の禄高が同じとは、聞いたことがない」
「だが、そうでもなければ、左近ほどのものが部下にはなるまい」
と、秀吉は驚きつつも理解し納得したという。
さらに三成が19万石の佐和山城城主になった時、三成が島左近の禄を
加増しようとすると、左近は
「もう禄は十分だから代わりに下の人々に与えて下さい」
と断ったという。


肩書を外すと猫も寄って来る  笠嶋恵美子






                          大 谷 吉 継




「お茶が繋いだ三成と大谷吉継の友情」
三成には大谷吉継という盟友がいた。
吉継はやはり秀吉に仕える戦国武将である。
ある時、大谷吉継は、豊臣家の茶会に参加していた。
参加者は順番にお茶を飲み回した。
吉継に茶碗が回ってきたときに不幸なことが起きてしまった。
当時の吉継は「らい病」を患っており、ただれた顔から落ちた膿が茶碗
に入ってしまったのである。それを見た他の参加者達が、気味悪がって
吉継から茶碗を受け取ろうとしなかったところ、助け舟を出したのが三
成だった。「喉が渇いた」と言って茶碗を受け取ると、平然とお茶を飲
み干し、「もう一杯欲しい」と申し出たのである。
三成の優しさと気遣いに心を打たれた吉継は、「この男に命も惜しまず
ついていってやろう」と、決心した、という逸話が残る。。
(お茶を通じて、主君の豊秀吉、盟友の吉継を得た石田三成。
その生涯は、お茶が取り持つ不思議な縁があった)


そんな時チョットヒントをくれた人  竹内幸子


「天下の基準 ・検地尺」
三成は、全国の土地の大きさを測る基準になる「検地尺」を考えた。
「太閤検地」といわれるものーそれを三成が推し進めたのである。
三成は「検地奉行」として部下たちとともに日本中の土地をめぐり測定
にあたった。この「太閤検地」によって、それまでは村人や領主からの
申告制で過小申告も多かった石高(米の量)がより正確なものになった。
年貢の徴収が安定。百姓を喜ばせ、さらに豊臣政権の収入が増え、秀吉
の力をより強大にした、三成の知恵である。




       関ケ原の戦 この中に大谷吉継の旗印がある


「やがて」
豊臣家の尺を測り損ねた三成は、やがて、その真面目さ堅さから、加藤
清正ら武闘派とのあいだに確執を生み。又家康には「三成は邪魔」と思
わせる行動や言葉が、文知派の彼をして関ケ原の道へと誘い込んでゆく
ことになる。

砂時計つづく流れを容赦なく  梶原邦夫

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