ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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戦国四方山話ー①
はさまった悔いを掻きだす糸楊枝 佐藤美はる
「戦国よもやま話」
「島左近とは」
石田三成
が、
島左近
を含む大名たちを引き連れて大坂城天守に登り、
そこから四方を見渡し、城下の繁栄を見て言ったとされる言葉がある。
「天下擾乱の時、大器で知謀に優れた秀吉公が出て群雄を次々と従え、
五畿七道を掌握なされた。
今もなおこのように繁栄し、民の喜ぶ姿が見られ、またその歓声を聞く。
秀頼公の永世を祈らぬ者などいるはずがない」
これを聞いた大名たちは口々に
「その通りだ」
と同調した。
金平糖ほどの角なら二つ三つ 山本早苗
しかし、三成の重臣・島左近は、佐和山に帰ってから三成に言った。
「そもそも権力者の所在地には、昔から身分を問わず人は集まって参ります。
つまり、たとえ繁栄していると言えども、必ずしもそれは権力者の人徳に
よるものとは限りません。
人々は利のある方に就くというだけなのです。
城下を二、三里も離れないうちに、雨も満足にしのげない茅屋が建ち並び、
衣食も十分とは言えず道に倒れて餓死する者も多くいます。
今、豊臣家は安穏としているときではなく、御家安泰の道を武備にだけ
頼るのはいけません。
流れ星だからって甘えるんじゃない 前中知栄
まず将士を愛し、庶民を撫してその心を悉く掴むときには、
二心を抱く者とて服従し、恨みを持つ者も疑いが和らぎ、たとえ力を頼んで
謀反する者が出ても、一檄を飛ばせばたちまち秀吉公恩顧の将士が馳せ
集まって逆賊は或いは降伏し、或いは誅されるでしょう。
これを頭に入れず、ただ城下の繁栄に驕り下々の憂苦を思わず、
武備にのみ力を注ぎ城壁塹壕の補修のみ行っても、徳や礼儀をもって、
その根本から培養していかないと、甚だ危険なことになります」
この言葉を重く三成が受け止めておれば、もう少し長く生きれた。
原罪のあさきゆめみし合歓の花 森田律子
「島左近とは」
しま きよおき
通称・島左近、実名・
島清興島
。
(勝猛、友之、清胤、昌仲とも名乗った)
筒井順慶、定次
に仕え、
豊臣秀長・秀保
に仕え、
関一政
に仕えた。
順慶の子・定次が酒色に溺れ、政治をかえりみなかったので、
左近はその元を去り、流浪の果てに近江に赴き、江南の高宮の近くに
草案を営み、引き篭っていた。
その後、武名によって羽柴秀長に仕える機会を得、
朝鮮の役では秀長の子・秀保に従って戦功をあげ、
秀保の死後、
石田三成
の家臣になる。
このとき三成が左近に出した驚きの条件は禄高2万石を用意するであった。
三成は自身の禄高の半分を与えるから家臣になってくれと頼んだのである。
左近の実像は史料的に見えず、石田家臣としての存在自体にも懐疑的で
あったが、
近年発表の
『石田三成文書』
によって、
島左近が三成の重臣だったのは間違いない事が明確となった。
視野狭いわたしにも欲しいトンボの目 内藤光枝
「本多正信」
本多正信
は、元亀元年
(1570)
の「姉川の戦い」に参戦してのち、
家康の側近として抜群の信頼を得る。
その関係はしばしば「水魚」に例えられ、
家康は正信を「友」と呼び、
正信が帯刀して家康の寝室に、
入ってもいいと言われたほど。
また、正信には家康の考えていることが手に取るように分かり、
家康が欲しい反応を即応で見せることから、
海外の文献では、正信を
超能力者
であると指摘していることもある。
その活躍は、家康が豊臣政権によって与えられた新領地・関東の経営から、
秀吉没後から徳川家康が天下人になるまでに行われた謀略まで。
毛筆のかすれに悪意忍ばせる 嶋沢喜八郎
「方広寺鐘銘事件」
のほとんどは正信が献策したものともいわれている。
1603年、徳川家康が初代将軍として江戸に幕府を開くと、
正信は家康の側近として国政に関わり、さらに二代・秀忠が将軍となると
秀忠付の年寄として幕政をリード、大坂の陣でも高齢の身をおして、
数多くの策を立てた。
とにかく家康は過剰なまでに信頼しており、
関ヶ原の戦後処理・家臣の叱責についても正信の助言に従っていたという。
その功績は大きかったが、一方、謀略・内政に携わるものの常として、
武将たちからの評判は悪く、彼らの嫉妬を避けるためか長く加増を望まず、
晩年にようやく2万2千石を受け取っただけだった。
権謀術数に精通し世渡り上手であった正信は、
「出る杭が打たれる」
ことを、身を持って熟知していたからである。
語尾ひとつ昨日の距離が加速する 桂 昌月
[3回]
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y2016/08/20 09:30 z
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