川柳的逍遥 人の世の一家言
「龍馬・空白の4ヶ月」 元治元年11月頃から約4ヶ月、龍馬の所在が不明になっている。 「龍馬はその時、何をしていたのか?」 と多くの人が龍馬を探している。 例えば、武田鉄矢氏は、「龍馬は外国に行っていた?」 と推測し、 テレビ特番(10CH)では、「グラバー邸に潜み、商いの勉強をしていたのでは?」 またこの頃、中岡慎太郎は、長州におり、役割分担で、 「龍馬は薩摩にいた」 という人もいる。 そして今回、 実際に龍馬はどこにいたのだろうか? どれが正しくて、どれが間違っているのか? 私なりに探してみた。 「元治元年(1864)」 7月ー「禁門の変」 特に、京は酷かった。浪士と分れば新撰組などに、片っ端から殺されていく。 8月ー龍馬の世話で、お龍は寺田屋の養女となる。 ≪この頃から、お龍も龍馬のために、京都の情報を集めたりして協力している≫ そんな時期、海舟の使者として龍馬は、西郷と会い、時勢について語っている。 「幕府、長州、薩摩と三者がいがみ合っている場合ではない。 このままでは日本は、清国のように外国の食い物にされる」 熱く西郷を説く。(NHK6月27日放送・”薩摩の怪物”は、この時期のこと) このとき西郷は、「家老の小松帯刀と相談すればいい」 ≪龍馬の薩摩行きは翌・慶応元年5月のことで、龍馬の薩摩滞在説は消える≫ 10月ー海舟の軍艦奉行が罷免されたため、操練所訓練生がばらばら帰国を始める。 龍馬ら脱藩組は、帰国の危険を避け、 11月ーしかし、外国船の借り入れがうまくいかず、 ≪武田氏の渡航説もまた、ここで消える≫ 余談だが、 ”龍馬のブーツ”について、 『高下駄を履く上士と草履を履く郷士の身分さを嫌って新しい履物を求めた』 という。 (^▽^笑) ≪お龍の回顧録によると、元治元年(1864)に龍馬と結婚したとあるが・・・、 そして、岡田以蔵や半平太の取調べが、日増しに厳しさが増していた。 「元治2年(1865)」 2月ー京都・薩摩藩邸で龍馬、中岡慎太郎、土方楠左衛門会見。(5日) 3月ー神戸操練所閉鎖(18日)。 [高杉晋作の長州藩内クーデター] この年12日に、操練所の閉鎖が決定し、 すでに訓練生200人のうち、ほとんどが帰国していたため、 大坂薩摩藩邸にいた龍馬は、 ≪2月~3月、龍馬は大坂か神戸に居た≫ 「慶応元年(1865)」 [四月、元治から慶応に改元されている] 4月ー龍馬は、薩摩へ向かう。約20人の仲間と、大坂薩摩藩邸を出発。(25日) 小松帯刀、西郷隆盛らと、薩摩藩船の胡蝶丸に乗り込み、瀬戸内海を経て、 5月ー鹿児島に着いた。(1日) 鹿児島に10日ほど滞在した後、長崎に向かう。 ≪龍馬が、グラバーと密接な関係を持ち出したのは、このときである≫ 泥を吐く順に消えていくしゃぼん玉 小西カツエ このように見てくると、 この期間に、大河ドラマ・『龍馬伝』でいう、龍馬はふるさとに居たのか・・・? 「ところが、慶応2年(1866)秋のことである」 龍馬は、土佐の同僚・溝淵広之丞と長崎で再会し、一夜酒を共にした。 その酒の席での会話が、手紙に残っている。 「人間なら父母の国を、誰が忘れるものか、 忍んで国の人を無視してきたのは、大願を果たすためだった」 と、龍馬の心の奥にある孤独感を、思わず吐露している。 「トマス・グラバーとは?」 安政6年(1859)、スコットランドの生まれのグラバーは、 開港後1年の長崎に、グラバー商会を設立。 幕末の激動の中で、米欧の貿易商人たちと競合しながら、 西南雄藩に、艦船・武器・弾薬の類を売り込み。 1860年代半ばには、長崎における、外国商館の最大手に仕上げた。 慶応3年(1867)、 早速、弥太郎をグラバー邸に招き、商談に取りかかる。 坂本龍馬や後藤象二郎も出入りしていた。 グラバーは、貿易にとどまらず、事業にも乗り出した。 慶応4年(1868)、 イギリスの最新の採炭機械を導入し、本格的な採掘を開始した。 また、ほぼ同時期、グラバー邸から1キロほど南の小菅に、 薩摩藩と共同で、日本初の洋式ドックを建設した。 いわゆる、”そろばんドック”で、設備はすべてイギリスから輸入した。 きっと咲く一つ残っている蕾 森 廣子 そういうグラバーだったが、 皮肉にも、グラバーが肩入れした西南雄藩は、 怒涛の勢い討幕の兵を進め鳥羽伏見の戦いで、一気に勝敗を決してしまう。 グラバーの思惑は、はずれて大規模な内戦はなく、 グラバー商会は見越で仕入れた大量の武器や艦船を抱え込む。 おまけに、時代変革の混乱の中で、雄藩への掛売りの回収は滞り、 明治3年(1870)、 『龍馬伝』・第27回-「龍馬の大芝居」 あらすじ 神戸を離れた龍馬(福山雅治)たちは、 長次郎(大泉洋)の妻・お徳(酒井若菜)の大坂の実家・大和屋に身を寄せていた。 そこへ1人の男がやってくる。 かつて龍馬の初の江戸行きの際、 ともに旅した溝渕広之丞(ピエール瀧)だった。 彼は、土佐藩邸に届いた弥太郎(香川照之)からの手紙を、 龍馬に届けにきたのだ。 そこには、土佐で半平太(大森南朋)や以蔵(佐藤健)が、 居ても立ってもいられず、 ひそかに土佐に入った龍馬は、坂本家を訪れた。 龍馬の突然の帰宅に、喜びを隠せない乙女(寺島しのぶ)たち。 だがそんな家族に、龍馬は縁を切ってほしと伝える。 半平太らを救うため、龍馬は一芝居打つことを決意。 その影響が家族にまで及ばぬようにという、龍馬の苦渋の決断だった。 残された命いろいろ夢がある 奥田みつ子 PR |
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