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川柳的逍遥 人の世の一家言
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もうちょっと大人になれと月が言う  一階八斗醁

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「龍馬とおりょうを結びつけた寺田屋事件」

寺田屋騒動で、あやうく命拾いをした龍馬

それは寺田屋の養女・おりょうの手助けによるものであった、

と、龍馬は土佐の実家に書き送っている。

「此の養女が居たればこそ、龍馬の命は助かりたり」

寺田屋は、薩摩藩士の常宿であったが、勤皇の志士も多数出入りするなど、

奉行所の捕り方に、マークされていた旅籠であった。

その寺田屋が、龍馬捕縛の捕り方に取り囲まれたおり、

おりょうは、京の凍りつくような夜道を、

近くの薩摩屋敷まで素足で走り、危急存亡の龍馬を救った。

そして、甲斐甲斐しく龍馬を看病した。

この一件があって二人は、めでたく結ばれる。

春はそこ女襟足剃っている  たむらあきこ

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仲人は西郷隆盛。

龍馬は180cmを超える大男であったが、

お龍もそれにおとらず、背丈の高い女で、

彫りが深く肌も白いので、西洋人に見えたという。

彼女の気性は男まさりで、

龍馬の姉・乙女と気の合わないところもあったようだが、

龍馬は、お龍を大層かわいがっている。

お龍の教育のためにと、小笠原流の礼法を習わせたり、習字をさせたりと、

いろいろと女房教育に尽力したが、

当の本人は、これらの習い事には、とんと関心を寄せようとしない、

型破りな人間で、貞女の作法など、ほとんど身に付かなかったようである。

型破りな人間同士”似たもの夫婦”であった。

玄関で転けたときから決めていた  井上一筒

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龍馬の友人、佐々木三四郎によれば、

「同人の妻は有名なる美人の事なれ供、賢婦人や否や知らず、

 善悪共に、為し兼ねる様に思われたり」

と、おりょうについて書き綴っている。

妻は美人後顧に憂いなどはない  井上恵津子

≪龍馬が京都近江屋で再度狙われ命を落としてから、

 お龍は行商人の男に一目ぼれしてしまい、

 その男の妻に収まったという、話まである≫

煙へとあなたもわたくしもやがて  杉本克子

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慎蔵と龍馬

「三吉慎蔵とは」

龍馬が寺田屋で捕り方に襲われたとき、居合わせたのは、

三吉慎蔵という侍だった。

そのとき、龍馬と慎蔵は、まだ知り合ったばかりだったが、

その後、親友として深くつき合うことになる。

三吉慎蔵は、長州藩の支藩・長府藩の出身で、龍馬より四歳年上。

槍の名手であるとともに、頭脳明晰な人物だった。

龍馬が薩長同盟締結に向けて、奔走しているとき、

同じ長府藩士の印藤聿(いんどうのぼる)の紹介により、

下関で、ふたりは知り合った。

やんわりと結んだ紐がほどけない  神野節子

その後、龍馬は、印藤にたいして、

「薩長同盟が締結されるのは確実だから、

支藩からも使者を上京させ、締結の現場を見ておくほうがよい」

とアドバイスする。

慎蔵は、そのアドバイスに従がった長府藩から、

京都の情勢を探るようにと命じられ、龍馬とともに上京していた。

≪薩長同盟締結に奔走する龍馬の身の危険を、心配した高杉晋作が、

  護衛役として、槍の名手である慎蔵を付けたという説もある≫

ぽっかりと割れた西瓜の氏素性  山本早苗

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慎蔵が龍馬とともに、寺田屋で襲撃されたのは、

まさに薩長同盟締結の現場に立ち会った、直後のことだった。

そして、この事件をきっかけに、龍馬と慎蔵の仲は、一気に深まっていく。

寺田屋事件から、1ヶ月あまりのちの3月5日、

薩摩藩の藩船三邦丸に龍馬とおりょう、慎蔵の三人が乗り込み、大坂を出港。

龍馬とおりょうは、鹿児島への旅に向かったが、

慎蔵は下関で下船し、藩に京都の情勢を報告した。

人生の出口さがして風となる  熊谷岳朗

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また、6月に第二次長州征伐がはじまると、

慎蔵は、長府藩の報国隊軍監に就任。

奇兵隊らとともに戦い、幕府軍を破った。

翌・慶応3年(1867)、龍馬は、長崎から土佐に向かう途中、下関に寄港。

龍馬のパトロンだった廻船問屋の、伊藤家におりょうを預けた。

そして、慎蔵に、

「万一のご報知仕候時ハ、・・・略・・・愚妻おして尊家に御養置可被遺候よふ」

という手紙を送っている。

≪同年11月15日、龍馬が暗殺されると、慎蔵は約束どおり、

 おりょうと起美(君江)姉妹を長府の自宅に引き取り、

 3か月間面倒を見たあと、土佐の坂本家に送り届けた≫

そう言えば名前にダブルお人柄  吉富ひろし

拍手[3回]

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次の世へこの世を脱いでいるところ  吉野成子

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ナポレオンもそうだが、懐に手を突っ込んだ同様の肖像が、

坂本龍馬にもある。

上野彦馬という写真家が、写した一枚がそれである。

舶来のブーツを履いて、得意になった龍馬が、

高杉晋作からもらったピストルを、懐に隠し持っているとか、

いや、あの姿は、旅籠で戦い傷ついた右手を、いれているのだとか、

はたまたあれは、スタイリストの龍馬が、ポーズを取っただけのこと、

など、諸説紛々である。

取り替えた鼻がときどきはずれます  松原末湖

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『坂本龍馬が使っていたとされる刀』

刀鍛冶・左行秀(さのゆきひで) の作で、龍馬の親友・甲藤馬太郎から伝わる業物。

ある日のこと、

すでに天下にその名を轟かせている龍馬のもとに、

志士を名乗る男が訪れた。

男は、

「これからは、これがものを言う時代だ」

と、朱鞘の長刀を差し出して見せた。

龍馬は冷ややかに眺めながら、

「そんな長いものなど、いざというときに役にたたんぜよ」

と、龍馬は懐から短刀を出した。

明日もまた朝が来るとは限らない  井丸昌紀

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男はいったん引き上げ、ふたたび龍馬を訪れた。

「先生、やはり持つべきは短刀ですな」

と、言って自分の脇差を出した。

「お前ンは、それで国の大事に、立ち向かえるのか」

「先生は、いざというときに役立つと言われたが」

「なあ、これからはこれよ」

龍馬は懐からピストルを取り出し、縁側に向けて轟然とぶっ放した。

弾丸は松の木に深く食い込んでいた。

「ぶったまげました。これは何というものですか」

「これは西洋の武器ナ、よく見ちょけ」

「西洋の・・・・・」

龍馬は、畳の上にピストルを置いた。

瞬きの間に風が入れかわる  大楠紀子

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       「万国公法」

「しかしナ、世の中は武器では、勝てぬ時代になりつつある」

「なぜですか?」

「学問が大事ぜよ。僕はいま、これを読んじょるが非常におもしろい。

 ”万国公法”という本だ。

 今からはこれナ。

 西洋の決まり事が書かれておる。

 これからは、しっかとコレを読まんといかんぜよ」

懐の奥から取り出したのは、

「万国公法」
と筆書きされたちょっと分厚い本であった。

上海から渡ってきた万国公法が、

江戸の昌平坂学問所で翻訳され、刊行された内の一冊だ。

龍馬の懐は西洋の夢で、パンパンに膨らんでいたのである。

逃げ腰の男は討たぬ夕焼けよ  森中惠美子

【万国公法】 ヘンリーホイートン著

アメリカ人宣教師・ウイリアム・マーチンが漢文に翻訳。

慶応2年(1866)頃、返り点などを付け加え、

読みやすくしたものが、日本に出回った。

龍馬は、慶応3(1867)年4月、紀州船との衝突で、

沈没した「いろは丸事件」の賠償交渉で、これを役立てた記録がある。

行合の風におしゃれを馴染ませる  上村隆

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寺田屋事件で龍馬使用?・・・回転銃を公開…高知

龍馬が所持していたのと同型の”S&W社製・回転式拳銃”

龍馬が、寺田屋事件で難を逃れるため、

使用したとされる米国スミス・アンド・ウエッソン社製の

回転式拳銃と同型の拳銃が、高知県内で見つかり、

佐川町立青山文庫(同町奥の土居)が11日、公表した。

善意ということにしてピストルを持つ  前中知栄

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不自由な右手で木戸(谷原章介)が送ってきた密約の文書に裏書きをする龍馬。

『龍馬伝』・37回ー「龍馬の妻」 あらすじ

寺田屋で襲撃された龍馬(福山雅治)は、

深い傷を負いながらもどうにか脱出し、薩摩藩邸に担ぎ込まれた。

意識が混濁し、死の淵をさまよう龍馬を救おうと、

必死で看病に当たったのが、おりょう(真木よう子)だった。

龍馬が意識を取り戻してからも、献身的に世話をするおりょう。

そのおかげで、龍馬は体を動かせるようになる。

背中の傷に 縫いこんであるむかし 井上一筒

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そんな折、龍馬は西郷(高橋克実)から、薩摩へ行くことを勧められる。

龍馬が奉行所に、目をつけられていることが判明した今、

このまま京にいては危ない。

彼らの手の及ばない薩摩で、しばらく療養したほうがいいと言うのだ。

西郷の申し出を受け、薩摩に向かう龍馬だったが、

気がかりなのは、おりょうのこと。

京を離れたら、二度と会えなくなるかも知れない。

そう思った龍馬は、おりょうに、

「夫婦となって、ともに薩摩へ行こう」

と告げた。

龍馬の思いをおりょうは受け入れ、二人は薩摩へ向けて旅立つ。

背のボタンは自分で外すものじゃない  八田灯子

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 おりょうを紹介する龍馬

旅の途中、二人は長崎へ立ち寄る。

龍馬は、亀山社中の面々に、おりょうを紹介したものの、

すぐ忙しく今後の相談を社中と始め、

次は一人で、グラバー邸に出かけてしまう。

置いてけぼりにされたおりょうは、

「自分は龍馬の役に立っているのか」 と不安になる。

グラバー邸には、海外へ密かに行こうとする高杉(伊勢谷友介)がいて、

「これから2人で一緒に面白いことをやろう」

と誓うが、

実はこのとき高杉の体は、病魔に蝕まれていた。

昨日という脱ぎっぱなしが帰らない  山本早苗

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 おりょうと龍馬の結婚式

引田屋で、龍馬の結婚の祝いが開かれる。

お元(蒼井優)は、龍馬が結婚したことに驚き、また、そんな自分にとまどう。

おりょうは、そんなお元の想いを気づいていた。

おりょうは龍馬に、

「本当にこれでよかったのか」と不安を打ち明ける。

龍馬は、

「一度死にかけて、時がもうないと気が急いている」

と謝り、そして今、

「心の支えはお龍だ」 と、

生母・幸(草刈民代)からもらって、

肌身離さず付けていた”希(のぞみ)”の文字の入った首飾りを、

おりょうに渡すのだった。

サヨナラをひとつコンニチワをひとつ  山口ろっぱ

拍手[9回]

慎ましいエビ天は着痩せする  山口ろっぱ

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[龍馬が、寺田屋で捕り方に襲撃される寸前、

おりょうが、龍馬の部屋に駆け込んで、急を知らせたエピソード]

おりょうはその日、寺田屋に3回も伏見奉行所の与力、見廻組の隊士が、

宿改めに来ていること心配していた。

龍馬の人相書きが、市中に出回っていることも知っている。

しかし、龍馬は変装もせず、

相変わらずその日も、京に出かけていたので、

真夜中に無事に帰ってきた時は、ほっとした。

女将の登勢とお膳と酒を2階に運ぶと、おりょうは風呂に入った。

枕の中のネズミ花火がとまらない  岩田多佳子

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おりょうが入ったとされる風呂(寺田屋) 

風呂は表通りに面しており、窓を開ければ外が見えるようになっている。

窓が開いているのに気が付き、表を見たおりょうは、息を飲んだ。

表通りに槍を構えた捕吏が数十人、息を殺して立っている。

「一刻も早くあの人に知らせなくては」

おりょうは、”全裸のまま”、2階に駆け上がると、

捕吏に囲まれていることを知らせた。

龍馬は、おりょうに逃げるよう伝えると、

おりょうは着物を着ると、裏階段から外に逃げた。

うす衣まるい乳房がはねている  桜 風子

そのとき、入浴中だったおりょうは、

全裸で2階の部屋へ駆け上がった、と伝えられる。

当時、おりょうは25歳。

本当に、

全裸で梯子を駆け上がり、龍馬に危険を知らせたのだろうか?

夜逃げするときのポーズを考える  福力明良

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寺 田 屋

明治時代になってから、おりょうは、龍馬と過ごした日々について、

何件かの取材を受けている。

「寺田屋遭難事件」についても、

書籍や新聞、雑誌の記事としてまとめられているが、

それらを見ると、『千里駒後日譚』では

「わざと平気で、あなたこそ静かになさいよ、・・・中略・・・

 と悠々と衣服をつけて」

と言うように、衣服を着ていた、ことになっているものもあれば。

おつき合いで笑うソプラノで笑う  山本希久子

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龍馬・慎蔵が襲撃を受けた部屋(寺田屋)

『阪本龍馬未亡人』では、

「急いで風呂を飛び出したが、

 まったく着物を引っ掛けておる間もなかったのです。

 じっさい、全裸で、恥じも外聞も考えておられない」

とみずから、全裸だったと証言している、ものもある。

≪一方、おりょうの姿を見たはずの龍馬や慎蔵は、

 その後の手紙や日記のなかで、

 おりょうが全裸であったかどうかについては、まったく触れていない≫

ばあちゃんの裸は許される残暑  井上一筒     

だがひとつ、貴重な証言がある。

その夜、おりょうと一緒に入浴していた寺田屋の娘・力(りき)が、

龍馬が寺田屋から逃げ出すとき、

「お春(おりょうの変名)もつづいて、男の浴衣に男の帯をしめて」

逃げたと話している。

常識的に考えて、

おりょうと力が風呂場へ持っていく着替えは、女物だろう。

恥ずかしいところに貼ってある木の葉  木本朱夏

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 寺田屋秘密の階段

とすれば、風呂場で身につけたなら、

おりょうは女物の浴衣や帯で、逃げているはずである。

ところが、力は、おりょうが男の浴衣を着ていたという。

それならば、その浴衣と帯は、

龍馬たちの部屋にあったと、考えることができる。

つまり、部屋に駆け込んだおりょうが、とっさに羽織ったというわけである。

そう考えれば、宿の裏にあった秘密の梯子を駆け上り、

龍馬の部屋へ駆け込んだとき、

おりょうは全裸だったことになる・・・のだが・・・。

あなたより先には逃げぬ非常口  森中惠美子

拍手[5回]

出入口は味方ばかりのものでない 森中惠美子

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汗血千里の駒」・寺田屋遭難の図

慶応2年(1866)1月24日未明、

京都・伏見の「寺田屋」で、龍馬は捕り方に襲撃され、

負傷するという事件が起きた。

世にいう、「坂本龍馬・寺田屋遭難事件」である。

当時、政局は、第二次長州征伐へと向かっていた。

次期将軍と目されていた徳川慶喜が、

みずから京都より出陣するという話も流れ、

京都では、幕府側の警察行動が厳しくなっていた。

京都から底冷えのするラブレター  浜田さつき

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龍馬は、遭難2日前の1月22日、相国寺の薩摩屋敷で、

「薩長同盟」を締結させるという”大事業”を成功させ、

23日の夜、定宿としていた寺田屋に戻ったばかりだった。

警戒中の伏見奉行・林肥守配下の捕り方約20人に、襲われたのは、

ひと風呂浴びて、

寝ようとしていた午前3時ごろのことである。

階下で忍び足の音がし、さらに物音が聞えたが、

龍馬は、薩長同盟の成り行きなどを、三慎蔵吉に話している最中で、

物音に気をとめなかった。

難破船セピア色した雨にあう  稲村遊子

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その二人の部屋へおりょう

宿の裏にあった”秘密の梯子”を上がってきて

「敵が襲ってきました! 槍を持った捕手が、梯子段をのぼってきます」

と告げた。

龍馬は、とっさに袴をつけようとしたが、

隣の間に置いていることを思い出す。

そこで、袴を着けず、浴衣の上に綿入れを羽織った

だけで大小を差し、ピストルを構えて腰掛けに座った。

慎蔵は袴をつけ、大小を差し、槍を構えて、

龍馬と同じように腰掛けた。

言い足りぬ形のままで二歩三歩  山口ろっぱ

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すると、大小を差した男が廊下から障子を開けて、中をうかがった。

龍馬が、

「何者だ!」

と怒鳴ると、男は出ていったが、次の間で、ミシミシと音がする。

龍馬が、おりょうに命じて、襖をはずさせたところ

槍を手にした10人ほどの、男たちが構えていた。

龍馬は、

「薩摩の藩士にたいして、無礼ではないか」

と叫んだ。

≪寺田屋に泊まるときの龍馬は、「西郷伊三郎」という名で、薩摩藩士を偽装していた≫

呼ばれたら返事くらいはしなさいよ  岡田陽一

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捕り方は、

「上意である。座れ!」

という怒声を放ち、じわじわと間を詰めてくる。

慎蔵が槍を中段に構える。

龍馬は、右端の捕り方めがけて、ピストルの引き金を引いた。

相手が逃げたので、

隣の捕り方に向けてピストルを発射すると、その男も逃げた。

捕り方は槍を投げて攻撃し、龍馬と慎蔵は火鉢と槍で応戦する。

そのあいだに、龍馬は三発目を発射した。

力づくでくるなら受けて立ちましょう  中村酔虎

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次の瞬間、障子の陰から躍り出た捕り方が、脇差で斬りかかってきた。

龍馬はピストルで、脇差を受けたが、

右手の親指を削がれ、左手の親指と人差し指も、切り裂かれた。

だが浅手だと思ったのでひるまず、

その男にピストルを向けると、相手は障子の裏へ隠れた。

そこで龍馬は、今度は壁を背に槍を構える男に、狙いを定めた。

慎蔵の肩を台にピストルを構え、ゆっくりと引き金を引くと、

男はまるで眠ったまま倒れるように、ひっくり返った。

このピストルの威力に、捕り方たちは、

怖気づいてるように見えた。

逆境に立つほど燃えている拳  あいざわひろみ

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ドンドンと障子や襖を叩いて、大騒ぎするが、攻撃はしてこない。

そのあいだに龍馬は、弾を込めようと回転式弾倉をはずした。

六連発のピストルに、五発の弾が込めてあったが、

すでに、五発とも発射していたからである。

ところが一発込めたあと、龍馬は弾倉を取り落とす。

両手の指を負傷していたため、思うようにあつかえなかったのだ。

しかも、火鉢を投げ捨てて戦っていたため、床は灰だらけで、

弾倉のありかがわからなくなってしまった。

救急車口笛吹いて乗ってくる  井上一筒      

龍馬が、

「ピストルを捨てた」

と告げると、慎蔵は、

「ならば、敵陣に突撃するのみですな」

と応じた。

しかし、龍馬は、

「いや、違う。いまのうちに逃げる」

といって、ふたりは、宿の外の梯子を使って逃げ出した。

おりょうが、危急を報せに上がってきた秘密の梯子である。

つま先と踵夜っぴて揉めている  河津寅次郎

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    おりょうが走る

捕り方は、宿の外に梯子があるとは気づかず、

宿の中を懸命に探している。

そのあいだに、龍馬らは、隣の家の雨戸を破ってなかへ入り、

家の裏へ抜けた。

その家の者たちは、すでに逃げたあとだった。

ふたりは闇夜を駆けたが、龍馬は指からの出血がひどいことと、

浴衣の裾が脚にからまって、思うように走れなかった。

しかたなく、川端の材木小屋に身を隠し、慎蔵が薩摩藩邸に走った。

薩摩藩邸には、すでにおりょうが事件を報せに来ており、

急を聞いた薩摩藩士が、材木小屋に駆けつけ、

龍馬を藩邸まで連れ帰った。

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   龍馬の脱出ルート

左上太線の囲み「薩摩藩邸」

そのまま下へ右へ曲がった所が、龍馬が避難した「材木小屋」(囲みの斜線部分)

その右下が、「寺田屋」

右下の囲み斜線は、「伏見奉行所」

天と地のはざま儚い戯画を舞う  岡部幹和

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『龍馬伝』・第36回ー「寺田屋騒動」 あらすじ

薩長同盟を成し遂げた龍馬(福山雅治)は、

新撰組に捕らえられていた弥太郎(香川照之)を連れて、

寺田屋へ戻る。

龍馬は弥太郎に、薩長が手を結んだこと、

そして日本の仕組みが大きく変わり、幕府の時代が終わりを告げるであろうこと、

その中で弥太郎が、「何をすべきかを考えてはどうか」と勧める。

弥太郎は、驚きをもって土佐へ帰っていく。

町並みが変わり迷うた久し振り  宮前秀子

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西郷(高橋克実)が、密約を文書にしなかったことを危ぶむ木戸(谷原章介)が、

それを文書化を主張。

龍馬は、証明の裏書きを書くまで、寺田屋に残ることになる。
 
それを終えたら龍馬は、

「もう京うぃ訪れることはない」 という。

今生の別れになるかも知れない龍馬お龍(真木よう子)は、

複雑な思いを抱く。

ジェラシーが繁る人間の小鉢  たむらあきこ

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京都守護職・松平容保(長谷川朝晴)は、薩長の裏に龍馬がいることを知り、

伏見奉行に龍馬を捕らえよと命じる。

捕り方が寺田屋を囲む。

深夜、風呂に入っていたお龍が捕り方に気づき、

風呂を飛び出して、龍馬三吉慎蔵(筧利夫)に知らせる。

外に出されたお龍は薩摩藩邸へと走り、

龍馬と慎蔵は捕り方と激闘。

高杉(伊勢谷友介)から以前にもらったピストルで応戦するが、

右手を斬られ慎蔵と寺田屋を飛び出る。

しかし、龍馬はひどい出血で材木置き場で動けなくなり、

慎蔵を伏見薩摩藩邸に行かせる。

傷物にされたと泣いていたのは男  井丸昌紀

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絵に描いた餅がぺらぺらよく喋る  嶋澤喜八郎

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同志社大学今出川・二本松の薩摩藩邸

薩摩藩邸は、京都/錦小路東洞院(現在の大丸百貨店の場所あたり)にあったが、

文久3(1863)年に、二本松にも新しく建てられた。

「薩長同盟」は、この薩摩藩二本松藩邸で締結された。

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薩長同盟への道筋を作った中岡慎太郎と龍馬

裏表無い友と飲む旨い酒  杉岡東丘

【薩長同盟の裏話し】

小栗上野介の台頭により幕威が上昇し、

長州再征伐の準備が進む慶応元年10月。

龍馬は長州にいた。

桂小五郎との面談のためである≫

打ち合えばいい納得ができるまで  前田咲二

龍馬・「兄さん(桂)、薩摩名義で高杉さんとこに7700挺の小銃も買い付けてもろうた。

   確かに、こん前は薩摩にこけにされたちゅう格好じゃったが、

   一藩の面目如きは、こん際こらえてもらえんじゃろうか。

   日本を救わんがためじゃ。和議結着の件、今度は必ず西郷を説得してみちゃる。」

桂・「孤立無援のために我が長州が幕軍と戦い焦土となっても、

   薩摩藩が後に残ってお国のために図ってくれるんじゃったら、遺憾はない。

   ただし、和議・盟約を願うのは哀れみを請うちょるのも同然、

   士道の意地としてそれはできん」

桂の悲壮感のある表情には、この同盟が上手くいかない場合、

腹を切る覚悟が見えた。

正面から挑む桂馬にある勇気  田井中藤重

龍馬・「もしや兄さんが自害したら、俺は西郷どんを刺して死ぬ。」

そんな決意を秘めて龍馬は、

長州の腹を探るのに懸命な西郷と対峙する。

龍馬・「足下(貴殿)が、無情なんじゃ。

     長州は薩摩との和議を渇望し、ともに手を組んで、

     幕府を打ちのめして、皇国を興さんと目論んじょる。

     しかるに窮乏の極にある長州から、和議の件、持ち出すのは、士道が許さぬところ」

西郷・「薩摩は体面にこだわり過ぎもうした・・・桂どんの決意のほど、どがん意味か、

     よく分かりもうした。

          坂本どん、いますぐ桂どんのところへ案内お頼みもうす」

武装とくようにイヤリングをはずす  森中惠美子

かくして、西郷・桂の間に首脳会議が開かれ、

慶応2年1月22日、京都伏見の薩摩藩邸で、

薩長同盟が成立する。

そして、場面は西郷が席を引いて、龍馬と桂の二人きりになる。

桂・「薩長の盟約がなったのも、坂本君のお陰じゃ。

   この際、証しを立ててくれまいか」

と、朱のインキがたっぷり含んだ筆を差し出す桂。

桂・「もし薩摩が裏切った場合を想定し、なんとか証しを書いてくれ」

龍馬は、黙って、

‘盟約は、毛(すこし)も相違これなく候。

 将来といえども決して変わり候事は、これなきは神明の知る所にござ候‘

と、朱筆でしたためる。

大らかに男の海が凪いでいる  吉川卓

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『 表に御記被成候六条ハ、

小・西両氏及、老兄・龍等も御同席ニて論談セシ所ニて、毛(わずか)も相違無之候、

後来といへども決して変り 候事無之(なきことそうろうこれ)ハ、神明の知る所ニ御座候  

丙寅二月五日  坂本龍 』

≪※文中、小は小松、西は西郷、老兄は木戸、龍は龍馬≫

いわゆる、この「裏書き」の一件で、桂を、「兄さん」と慕ってきた龍馬としては、

「男がチーッとばかし小せえのう」

と、興ざめした。

薩摩が裏切るとしたら、こんな紙切れ一枚では、済まないだろう。

桂は、剣術に優れて男前のわりには、肝が小さいと言われていたが、

ここ一番に地を出したのである。

≪慶応2年1月21日、龍馬立会いのもとに薩長両藩の盟約成立。

 桂小五郎が、龍馬に裏書を求めた。

 2月5日、朱で裏書をし大阪に居た小五郎に届けた≫

斜めから見ればつまらぬ人になる  杉本克子

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茶助
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非公開