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川柳的逍遥 人の世の一家言
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逆らえぬものが空から降ってくる  新家完司
 



  石橋山の戦いで平家方に大敗し、臥木(ふしき)に身を顰る頼朝主従

 左大庭景親と弟・俣野景久頼朝が居そうな場所を中央梶原景時
指し示している。頼朝主従の顔が臥木から、その様子を見ている。

『吾妻鏡』によると、頼朝討伐の兵を率いる大庭景親は、相模国の豪族・
梶原景時「何としても、頼朝を探しだし、清盛様の前に引きずり出す
のだ」と、檄を飛ばす。大庭と梶原の兵は、蟻一匹見逃さぬように、
頼朝とその残党を、山中く
まなく捜索した。
一方、頼朝は「人数が多くてはかえって見つかりやすい」という
土肥実
の進言を受け、散々に別れて逃げることにした。
そして、ひとまず、臥木の陰の洞穴に頼朝とわずかな兵らが身を隠した。
その頼朝が隠れている洞穴近くへ梶原景時の探索隊がやってくる。
景時は、臥木の陰の洞穴に頼朝が潜んでいることを察知する。
「もはや これまで」
と、頼朝の命運も尽き自刃を考えた時、景時が「早まるな」と、制した。
そこへ大庭がやってきて「どうだ 頼朝の気配は…?」と、景時に訊く。
景時は「ここらより 向こうの山の方が、怪しいのでは」と、応えて、
大庭景親らを、臥木の穴から遠ざけ、頼朝の命を救った、という。


僥倖とは濁世に浴びる花ふぶき  大葉美千代


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             大庭景親(國村隼)

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             梶原景時(中村獅童)


「鎌倉殿の13人」・ドラマを面白くみるために‐⑤


源頼朝と姉の政子が結ばれた小四郎義時15歳の頃のことである。
頼朝は、意外なことを小四郎に言った。
「入道殿はわれの命を助けて下された。その入道殿を討とうなどとは、
 思ったこともないわ。われは政子と心静かに生きていきたい。
 それで十分満足なのだ」
小四郎には、信じられない言葉だった。
「しかし、入道殿は道を間違われたようだ」
と、頼朝は付け加えた。


なにもかも「人間だもの」で逃げるなよ  木口雅裕
 
 
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              平清盛(松平健)
 
 
小四郎のその15歳の頃の、清盛入道を少し振返ってみよう。
治承2年(1178)、高倉天皇に皇子(安徳天皇)が誕生した。
高倉天皇の中宮・徳子は、清盛の娘であった。
誕生した皇子は、清盛の孫である。
このことにより、清盛は朝廷での揺るぎない発言力を確保した。

治承3年7月、清盛の後継者に決まっていた重盛が死去。
それを機に、後白河法皇は、重盛の知行国を召し上げ、
平家一門が相続することを認めなかった。
さらに重盛の喪中にもかかわらず、遊興に耽り、平氏の体面を傷つけた。
度重なる法皇の挑発的な振舞に、清盛の堪忍袋の緒は切れた。


右手には刀左手にはりんご  和田洋子


同年11月14日、清盛は兵を挙げる。
数千の大軍とともに、自ら後白河法皇の館に向った。
20日、清盛は法皇を捕え、幽閉した。
武士として、初めて政権を奪い取った清盛は、平氏政権を打ち立て、
江戸時代まで600年以上つづく武士の世の、礎を築いた瞬間である。
年が明けると清盛は、後白河法皇に代わり甥で娘婿の高倉天皇を上皇に、
その息子を安徳天皇とした。上皇19歳。天皇は3歳だった。


もう誰も反対しない咳払い  美馬りゅうこ



     厳島神社に納められた「平家納経」

その第一巻,栄華を願う金色の願文は、清盛の直筆と伝えられている。
「来世の妙果宜しく期すべし」と、記す。


平氏は全国の半分以上の国々を支配し、一門の者が言い放ったのは、
「此一門にあらざらむ人は、皆人非者人なるべし」 (『平家物語』)
さらに清盛は、都を京から日宋貿易の拠点にと開いた福原へ移した。
「福原遷都」である。治承4年6月のことであった。
しかし、新しい都で清盛たちを待っていたのは、次々と起きる干ばつや
要人の病気であった。とりわけ、高倉上皇を襲った病は深刻であった。


突然に前に回った背後霊  井本健治
 
 
愈々、小四郎義時が18歳の時、頼朝が伊豆で旗揚げした。
平家は、義時の成長にあわせるごとく、高度成長を遂げた。
その平家政権にも、息切れの気配が濃厚になってきた。
その機を窺うように、後白河法皇の第三皇子・以仁王「平家討伐」
令旨を全国の源氏に発した。
令旨を受け取った頼朝は、しばらく静観していた。
ところが平家が諸国の「源氏討伐」に動き出し、伊豆目代も頼朝を襲う
気配が濃厚だった。
正直のところ頼朝には、手勢もなければ財力もない。
周知のごとく義時の姉の政子が、彼の妻になっている関係で、
北条氏がまずは親衛隊になったが、その武力は貧弱そのもの。
これが歴史の舞台を大転換させる起爆力になろうとは、彼ら自身も考え
ていなかったのではあるまいか。


未解決のままで集めた綿ぼこり  郷田みや


   
    『頼朝旗起八牧館
山木兼隆夜討図』 (歌川国芳)
 
 
平治の乱の後20年間、伊豆の蛭ヶ小島で流人生活を送っていた頼朝が、
平家打倒のために蹶起し、まず手始めに伊豆国の目代(代官)山木兼隆
の館を急襲したのは、治承4年(1190)8月17日のことであった。
目代の山本館急襲には、時政はもちろん、兄の宗時もこれに加わった。
18歳になる小四郎義時の初陣である。
小四郎は初めて人を斬った。
その興奮は、その後の「石橋山の戦い」の間も、消えることはなかった。


受けて立ちますと剣山のやる気  川畑まゆみ
 

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             畠山重忠(中川大志)


「小四郎、しっかりやれ。畠山や梶原に負けるな」
さて、このときの合戦は、最初はうまくいったが、まもなく平家に味方
する武士団に囲まれて惨敗する
。 「石橋山の戦い」だ。
北条一族も、頼朝と離れ離れになって戦場をさまようが、このとき血路
を開くべく、父と別行動をとった長兄の宗時は、討死をしてしまう。
これは、当時の武士の宿命のようなものだ。一族全滅を免れるために、
父と子、または兄と弟は、必ず二手に別れて行動する。
父に従っていた小四郎は、お蔭で討死をしないですんだというわけだが、
この間、彼がみごとな武者働きをしたという記録は全くない。
大体、彼は、戦場でのあざやかな戦いのできるタイプではないのである。


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一度は敗けた頼朝が勢力を盛り返し、鎌倉に本拠を定め、さていよいよ
「木曽攻め」「平家攻め」にとりかかったときも、
これに従軍した小四郎には、これといって手柄になる話は全くない。
たとえば、一つ年上の梶原景季は、佐々木高綱と宇治川の先陣を争った。
一つ年下の畠山重忠も大活躍をしている。
熊谷直実は、平敦盛の首を挙げた。
熊谷直実などは、北条よりも、もっと所領の少ない小領主にすぎない。
こういう連中の武功が伝えられるにつけ、父親の時政は、やきもきした。


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このとき時政は、鎌倉に残って頼朝の側近に侍している。
鎌倉の御所様の舅殿というので、少しずつ発言力は増しているが、何し
ろ小豪族の悲しさ、足利、千葉、小山等の大豪族には、睨みがきかない。
このあたりで小四郎がめざましい働きを見せて、
「さすがは北条殿の御子息」と、
褒めそやされ、鼻の穴をふくらませたいところだ、が、情けないことに、
小四郎は戦功には縁がない。
駄馬は先頭集団から遙かに遅れて、のこのこと、ついてゆくのみである。
それでも幕府の記録である『吾妻鏡』には、頼朝は、戦功を賞する手紙
を与えた十二人の中に、小四郎を加えている。
但し、大体『吾妻鏡』は、北条氏寄りの立場で書かれているから、
あてにならない。
とにかく『平家物語』などに語り伝えられるような武功物語は、小四郎
義時には皆無なのだ…。


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 最初、頼朝挙兵を決意させたのは僧・文覚


「知恵蔵」
頼朝が挙兵の計画を行動に移したのは、治承4年4月、以仁王の令旨を
受けてからのことであるが、彼が、平氏打倒を意識したのは、これより
3年前の治承元年頃で、頼朝にその覚悟を決めさせたのは、神護持の
覚上人、だといわれている。文覚は、俗名を遠藤武者盛遠といい、
かつては院に仕える北面の武士であった。


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後白河法皇の怒りを受けて、伊豆韮山の奈古屋寺に流されていた文覚は、
頼朝の配所を訪れて挙兵をすすめた。文覚は、
「早く謀反を起こし、平家を打ち滅ぼして、父の恥を清め、また
国の王ともなり給え」と、
説いたが、頼朝は、警戒して応じなかった。
すると文覚は、懐中から白い布の包みを取り出し、
「これは、故下野殿(頼朝の父・義朝)の御首である。それがしが獄門
 から盗み出して隠しておいたが、伊豆へ流される際、そなたに進めよ
 うと頸にかけて持ってきた」と、
父・義朝のしゃれこうべを頼朝に手渡した。
頼朝は泣き泣きこれを受け取り、その後、2人は深く信じあったという。
(『源平盛衰記』)
『吾妻鏡』や『愚管抄』などにも、2人が、伊豆で親しく交友していた
ことが記されている。
                            つづく
 
妖怪がブランコを漕ぐ午前二時  武良銀茶

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