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川柳的逍遥 人の世の一家言
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足跡が消えることなどないのです  市井 美春





『万載集著微来歴』 恋川春町画作黄表紙(東京都立中央図書館蔵)
天明4年正月刊。絵は天明3年時の狂歌の会の様子を描いている。
本の内容は、狂歌会の著名人を戯画化して平家物語の世界にはめこみ、
楽屋落ちに興じた作品。天明狂歌の発想がそもそも極めて戯作に近いもの
であったことがわかる作品である。






" 世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜もねられず "

松平定信「寛政の改革」を皮肉った狂歌。作者は、四方赤良(太田南畝)
「狂歌」は、その「狂」の文字に現われているように、最初から正統でない
ことを意識した短歌で、諧謔や滑稽を旨とする文芸。
こうした内容の誕生は古く『万葉集』の戯笑歌や『古今和歌集』などもこれ
にあたる。のち中世に入っても行われていたが、それは正統な和歌に対して、
あくまでも、戯れのものとされていた。これが江戸期に入って、上方を中心
として生白童行風(せいはくどうぎょうふう)、豊蔵坊信海などの狂歌師が
登場して盛んになり、文芸の一隅に位置を占めるようになっていた。



おもしろい空だいろいろ降ってくる  新家完司




そんな折の天明のはじめ、画期的な狂歌会が催された。
江戸では武士グループの唐衣橘洲、萩原宗古、飛塵馬蹄、朱楽菅江らと、
町人グループの平秩東作、大根太木、元木網、知恵内子、大屋裏住らが、
それぞれ狂歌を作っていたのだが、この両グループが、唐衣橘洲の呼びかけで
橘洲宅に集まり、狂歌会を催し、大きく盛り上がったのだ。
このことに当初は、「狂歌、ひとりで勝手に詠み捨てる程度のもの。わざわざ
集まって読むのは、愚の骨頂」と、嘲笑っていた狂歌師の重鎮・太田南畝も仲
間が次々と参加していると知って、「我もいざ、痴れ者の仲間入りをせん」
して参加。この集まりの盛会ぶりから主流が江戸に移り、狂歌時代の幕が上が
った。



正座して言葉の沼に沈み込む  中野沙千湖 






            『愚人贅漢居続借金』 (東京大学総合図書館)

狂歌仲間連れ立って吉原に遊びにいくところ。
右から、蓬莱山帰橋、四方赤良、清水燕十、朝倉雲楽斎、朱楽菅江、



蔦屋重三郎ー狂歌時代の幕開け






        大 田 南 畝





「同世代人・南畝との出会い」
「黄表紙」というのは、狂歌師ととりわけ縁が深い。
落語が狂歌師から出てきたように黄表紙も狂歌師から出てきたのである。
狂歌師が関わることによって、「赤本・黒本」の幼児的世界は、「知的な大人
の笑い、都会の笑い」に変質したのだった。
ちなみに、蔦屋が狂歌会最大のネットワーカー太田南畝と出会うのは、恋川春
朋誠堂喜三二が蔦屋に移ってすぐの、天明元年 (1781)12月17日のこと
である。この時は、春町が同行している。朱楽菅江も一緒だった。
南畝と菅江はもっとも親しく、ともに幕臣、つまり、国家公務員としては同僚
である。この時は、この3人の武士、重三郎と一緒に吉原の大文字屋に遊んだ。
重三郎はこのころまだ、、吉原大門口にいる。
大文字屋は、重三郎のご近所であるばかりでなく、狂歌・吉原連のリーダー、
加保茶元成{かぼちゃのもとなり)と秋風女房が経営している妓楼である。
重三郎はやがて「蔦唐丸」として吉原連のメンバーになり、歌丸は、「筆綾丸」
としてメンバーになる。




時には夢を食べてみるのもいいもんだ  北川拓治




次に南畝と出会うのは、天明2 (1782) 年の3月10日の朝である。
前の番、幕臣・土山宗二郎の招待で大文字屋に宿泊した南畝は、次の日の午前
中、菅江とともに大門口の蔦屋に寄って宴会をしている。
「午後、書肆肩與(しょしけんよ)を命じ舎に帰る」と南畝の記録にあるから、
蔦屋は、駕籠を呼んで帰宅させている。かなり気を使った扱いかただ。
(書肆肩與=本屋が駕籠を呼ぶこと)
さらにこの年の秋、歌麿が上野で宴席をもうけて、南畝、朱楽菅江、恋川春町、
朋誠堂喜三二、清水燕十、南陀伽紫蘭(なんだかしらん・絵師の窪俊満)市場
通笑(表具師)、芝全交(大蔵流狂言師)、竹杖為軽(蘭学者)、北尾重政、
勝川春章、鳥居清長、朝倉雲楽斎など、約20人を招待している。
新人の歌麿を主催者にして、パーティーを開くことによって、戯作・出版界と
浮世絵に歌麿を売り出す考えもあったものと思われる。
ここに集まった人たちの多くが、後に歌麿と組んで仕事をすることになる。





ようこその入口やけに上機嫌  下谷憲子






                                                       『百千鳥』 (日本浮世絵博物館蔵)

『画本虫撰』の予告にあった「鳥の部」がこのような形で実現された。
歌麿の写実的な相変わらずすばらしい。
 鳥とともに泣きつ笑ひつ口説く身をそれぞと聞かぬ君がみみづく
市仲住(いちのなかずみ)
 うそと呼ぶ鳥さへ夜は寝ぬるものを止まり木のなき君のそらごと
笹葉鈴成(ささばのすずなり)
狂歌は、奇々羅金鶏の撰であるが、このポッと出て派手に振舞う狂歌師の入銀
(出版経費の負担)は、相当なものであったと思われる。



もやもやが晴れる引き摺ることはない  佐藤 瞳






                                   『夷歌連中双六』(歌麿画)

天明5年の四方側の歳旦狂歌集は道中双六の体裁で出されている。
狂歌に遊んだ歌麿は「筆綾丸」の名で、蔦重こと「蔦唐丸」のものと並べて
右下に狂歌を寄せている。



戯作も浮世絵も、芝居や映画と同じで、ひとりでは作れない。
プロデューサーの手腕と、優れた人材と、スター性とが組み合わさって作品と
なる。それをコーディネートしてゆくのが、蔦屋の仕事だった。
天明元 (1781) 年、志水燕十と組んで戯作を作った歌麿は、この連の亭主を務
めた後、南畝とも、狂歌連とも組んで仕事をするようになり『夷歌連中双六』
など三冊の狂歌本、そして (1788) 年には、南畝をはじめとする30人の狂歌
師とともに、あの狂歌本の傑作『画本虫撰』(むしえらみ)が出来上がる。
この狂歌本の系譜が、1790年代 (寛政年間)の歌麿の大首絵時代を準備
するのである。



新刊が拓いた脳の新境地  北出北朗






      『狂歌百鬼夜行』



「天明狂歌」の集まりは南畝を中心としていた。
しかし南畝が、常にその仕掛け人だというわけではない。
連にはまとめ役はいるが、ボスはいない。
後に「咄の会」を生みだし、落語発祥のもととなる天明3 (1783) 年の「宝合わ
せの会」は、竹杖為軽によって主催され、その記録である『狂文宝合記』は、
上総屋によって刊行されている。ここには、蔦唐丸も参加している。
そして連の典型例として、かつて、石川淳が注目した天明5 (1785) 年の「百物
語の会」は、蔦唐丸によって『狂歌百鬼夜狂』として、蔦屋に寄って発刊されて
いる。主催とは「亭主」をつとめることである。
連の亭主は、それだけの存在でなければならない。
重三郎は天明に入ってから、狂歌連の中で重要な存在になっていた。



声上げて夢の芝居をつづけよう  佐藤正昭




重三郎にとって編集とは、めったに会わない著者に適当に並べた目次を見せて、
「金をやるから原稿を書け」と、注文することではなかった。
編集人が自ら、その連のただ中で生き、自ら創作し、著者や絵師と同等になっ
て時に亭主をつとめ、時代の運命を共に引受けていくことだったのである。
蔦屋重三郎は、「天明狂歌の運動」と共に生き、「浮世絵の変遷」に巻き込ま
れて生き、「人間の連」を編集することが、そのまま本の編集となっていった
編集人だった。



一番の褒め言葉です地味な人  山下由美子




「べらぼう29話 あらすじちょいかみ」(「江戸生蔦屋仇討」)









江戸の町にひとりの男が倒れていました。
倒れていたのは、なんと平秩東作(木村了)、命からがら蝦夷地の松前家から
戻ってきたのです。東作が持ち帰ったのは、松前家の裏帳簿でした。
そこには、幕府に黙って私腹を肥やしていた証が残されていました。
「これを利用すれば、幕府は松前藩の領地を没収できる」
この帳簿、実は、田沼意知(宮沢氷魚)が命と引き換えに手に入れようと動い
ていたものでした。
「今すぐ、上知願いの書状をしたためよ。ここが勝負どころだ」
田沼意次は意知の意志を継ぎ、家臣の土山宗次郎(柳俊太郎)に命じます。




折りたたみの梯子でこの世を渡ります  福光二郎










一方、重三郎の店では、戯作者たちが集まり、新たな企画会議がはじまっていま
した。蔦重(横浜流星)は、政演(まさのぶ)(古川雄大)が持ち込んだ手拭
いの男の絵を使った黄表紙を作りたい」と戯作者や絵師たちに提案します。
政寅や春町らが案を出し合うなか、鶴屋(風間俊介)「これは二代目近々先生
にぴったりだ」と意見を出します。しかし、政寅は気が進みません。
それでも重三郎に推されて、しぶしぶ執筆をはじめました。
ひと月後、完成した原稿を囲み、春町・喜三二・南畝・小田新之助まで参加して
試し読みが行われました。春町は高評価、南畝は「まずまず」といい。
ていは「世間知らずの若者が騙される話は笑えない」と指摘します。



草案はすでに五色沼の模様  岩田多佳子

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