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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ひとりにはひとりのドラマ枯葉舞う  佐藤正昭





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「麒麟がくる」ー大河ドラマを面白くする豆知識


天授 4 年(1381)足利将軍義満が、北小路室町の崇光上皇の御所跡
と今出川公直の邸宅(菊亭)を併せた敷地に、足利家の邸を造営し一大
第館を営んだ。庭内には鴨川から水を引き、各地の守護大名から献上さ
れた四季折々の花木を配置したと、伝わり「花の御所」と呼ばれ、人々
「室町殿」「室町第」と呼び。のちに「室町幕府」と呼んだ。
ほぼ200年続くが、ほとんどが乱世であった。政治は、常に不在で、
民を治めるという政治思想が少しでも現れるのは、室町末期、戦国の世
の領国大名・北条草雲の出現からである。



夢追ってドングリ一つ転げだす  津田照子



応仁元年(1467)に始まる応仁の乱で室町体制は衰弱する。もとも
と将軍家や有力守護家の相続問題のもつれが争いを生み地方に及んだ。
それが10年続く争乱へと発展する。京都における最初の市街戦では、
一方が16万、一方が9万という人数を集めた。このとき<足軽>とい
う異風の者たちが登場する。彼らは、正規の武士たちの前列にあって、
いわば戦争を請負う者たちだ。農村のあぶれ者というべき存在で、甲冑
すら身につけていなかった。室町の社会の底をなす者たちが、暴力の形
をとって表層に浮か出たといえる。



戦いも避けて通れぬ時がある  広瀬勝博



 
「明智光秀に係る人々」






【麒麟】
麒麟とは「王が仁のある政治を行う時に、必ず現れるという聖なる獣」
姿は、牛と鹿の間に生まれた神獣で、鹿のからだに馬の足、そして尻尾
が牛で、頭には一本の角がある。
オスが「麒」で、メスが「麟」と呼ばれる。
穏やかな性格で、義理堅く、裏切り行為をしない。また、他者をけっし
て傷つけず、踏みつけてしまわないように宙を歩き、命あるものを食べ
ることもしない、という伝説がある。



僥倖とは濁世であびる花ふぶき  大葉美千代



 



【明智光秀】 長谷川博己
光秀の生誕地にはいくつもの説がある。室町時代に美濃国の守護を務め
土岐氏の一門で、自称、可児郡明智城を本拠とする明智氏の出身とさ
れる。実際に同時代の人々も光秀を「美濃国住人、とき(土岐)随分衆
なり」と呼んでおり、周囲もそれを認知していた。
只、土岐氏一門の明智氏は室町期には外様衆や奉公衆を務めた家であり、
それに比べると、光秀はかなり低い身分であったことが分かる。もし光
秀が土岐氏一門の明智氏の出身であれば、自身の家が将軍の直臣であっ
たことを主張してもよさそうだが、それを幕府に申し立てた形跡は見ら
れない。以上のように、光秀は、不明の点が多い謎の多い人物とされる。
尚、その後のことは、ドラマ中でじっくりお愉しみください。



ちぎれ雲はてなマークを持ったまま  みつ木もも花








【煕子(ひろこ)】 木村文乃
光秀の正室。妻木氏の娘。光秀と煕子が婚約したのは、天文14年(1
545)と伝わる。天正4年(1576)煕子は病に罹り、光秀は病気
の平癒を吉田兼見に依頼した。まもなく煕子は快方に向かった。光秀は
喜び、兼見に折紙や銀子を送り礼をしたが、同年11月死去する。煕子
に残る史料は、ほとんどないが、光秀との夫婦仲はよかったといわれ、
三男四女をもうける。三女は細川忠興に嫁した有名なガラシャである。



神様は私のことを忘れてる 櫻田秀夫








【明智光安】
 
西村まさ彦
光秀の叔父(父・明智光綱の弟)。光綱が死去して明智家の当主となり、
光秀の後見人になる。斉藤道三義龍との親子争いにおいて、道三側に
つき、明智城にて自刃する。



【藤田伝吾】 徳重 聡
光秀の重臣。実直な性格で、戦闘能力は非常に高く、常に光秀の側に寄
り添う。光秀が信長への謀反を企てたとき、光秀は、伝吾にも相談をし
たというほど信頼が深い。山崎の戦いで負傷し、自害して果てる。



【牧】 石川さゆり
光秀の母。若狭武田氏の出身といわれる女丈夫で、光秀が幼少時に死ん
だ父の代わりに「武士としての心構え」を厳しく教えた。


縁の下いつまで力続くやら  杉浦多津子



 


【斉藤道三】 本木雅弘
もともとは僧侶であったが、還俗し油商人に婿入り、行商にいくうちに
美濃の武将・長井長弘に出会い仕官。さらには、土岐頼芸(よりのり)
にも接近。欲と野望と狡猾な政治力をもって、一代で戦国大名に昇りつ
めた「下克上大名」の典型といわれる。



ユーモアを神と契ってから溺死  くんじろう







【小見の方】 片岡京子
斉藤道三の正室。明智光継の娘で、光綱の妹であるとされる。ならば、
小見の方は光秀の叔母ということになり、帰蝶(濃姫)光秀の従兄妹
の関係になるが、真実はどうなのか。



【帰蝶(濃姫)】 川口春奈
美濃国の戦国大名・斎藤道三小見の方の間に生れる。天文17年(1
548)に敵対していた織田信長の父・信秀との和睦が成立し、政略結
婚で信長に嫁ぐ。尚、この時代の女性は、いくら身分の高い人であって
も後世に伝わるような記述が残っていることが少ない。
濃姫の場合も例にもれず、信長と結婚した後のことは、ほとんど謎に包
まれている。本能寺の変で薙刀を振るい、信長とともに戦死した濃姫の
武勇伝も、はたしてどうなんだろう。



アバウトという手鏡を手に入れる  森田律子




 


【深芳野】 南果歩
斎藤道三の側室。土岐頼芸の愛妾で、のちに道三の側室になったといわ
れている。道三との間には、義龍・喜平次をもうけた。



【斉藤義龍(高政)】 伊藤英明
斉藤道三の長男。義龍の父は、頼芸との俗説があり、のちの道三との不
和は、これに起因するとされるも、定かではない。父子対立は、道三が
次男や三男を溺愛し、義龍を疎んじたことにあるのではないか。弘治元
年(1555)義龍は弟たちを呼び寄せ殺害。翌年、父とも戦闘状態に
入り勝利した。味方した明智氏も、義龍によって攻め滅ぼされる。



小回りを利かせて蜥蜴だったころ  山本早苗








【織田信長】 染谷将太
うつけ者と言われたが、父・信秀の死後、岩倉織田家を滅ぼし、尾張を
統一。桶狭間で今川義元を破り、以後、勢力を拡大し、足利義昭を追放
して室町幕府を滅ぼす。が、天下統一を目前にして、光秀の謀反により、
本能寺で命を落とす。もしかして「この人が麒麟」であったかも知れな
いが、それも人生50年、夢まぼろしの宿命か。









【織田信秀】 高橋克典
織田信長の父。海運を牛耳り、豊かな経済力を背景に、美濃の斉藤道三
や駿河の今川義元と戦うが、時に勝利し、時に敗れた。伝統と権威を重
んじた信秀は、朝廷や伊勢神宮にも献金している。
万松寺で行われた葬儀の折、信長が仏前に抹香を投げつけた有名な逸話
がある。これは、信長の信秀に対する怒りという説や、信秀を救えなか
った仏や僧侶に対する怒りとの説もある。



ストレートすぎて孤独な鳥になる  靍田寿子




 



【土田御前(どたごぜん)】 檀 れい
織田信秀に嫁ぎ、信長、信勝、秀孝、信包、市を生む。うつけと言われ
信長を疎み、弟・信勝を一方的に可愛いがった。信勝も兄を疎み争い
は絶えず、いつも両者の仲介役になった。しかし、信勝が再度の謀反の
罪で信長に殺害されてからは、信包のところに身を寄せ暮らした。



【平手政秀】 上杉祥三
信秀を支える織田家重臣。信長が誕生すると、その傳役となった。信秀
と美濃の道三との和解を成立させ、信長と帰蝶との婚約をまとめたのは、
平手政秀だといわれる。信秀死後、自刃した。理由として、信長と不和
になり、信長の性格が誠実でないことを恨んだか、また信長の奇行を嘆
き諌止したなど、諸説がある。



天秤の支点あやつる助詞一字  徳山泰子








【土岐頼芸(よりのり)】 尾美としのり
斉藤道三の助力を得て、兄・頼武を守護の座から追い落とし、代わって
天文4年81535)美濃の守護になる。翌年、美濃守にされるが、6
年後には不和となった道三に追放される。和歌や書画をよくし特に鷹の
絵が得意であったという。



【稲葉良通】 村田雄浩
氏家木全、安藤守就とともに西美濃三人衆と呼ばれた斎藤道三の有力家
臣の一人だが、道三の強引なやり方に不満を持ち、道三・義龍の骨肉の
争いでは、義龍につく。義龍の死後は信長に仕え、信長の死後は、羽柴
秀吉に仕え小牧・長久手の戦いにも参加した。



お静かに飴玉砕く音ですの  山本昌乃








【三淵藤英(ふじひで)】 谷原章介
藤英足利義昭の将軍擁立に際し、越前の朝倉氏を頼ったのち、信長
頼り、その後援を得て義昭が将軍に就くと、自身も奉公衆となる。義昭
と信長の対立が深まると、藤英は義昭につくが、義昭追放後は、信長
仕えた。のち信長に所領を召し上げられ、光秀のもとに身柄を預けられ
た末に、坂本城で自害させられる。









【細川藤孝(幽斎)】 眞島秀和
三淵藤英の弟。兄と同じ行動の後、信長の家臣となる。天正6年(15
78)嫡男・忠興光秀の三女・玉(ガラシャ)との婚儀が行われる。
本能寺の変に際しては、姻戚である光秀の要請を断り、出家して、幽斎
玄旨と号した。そんな幽斎を秀吉は厚遇し、関ヶ原の戦いでは、平和を
望み家康に味方している。



鳥はやはり鳥でいるのがいいらしい  下谷憲子








【足利義昭】 滝藤賢一
13代将軍足利義輝の弟。もともと将軍家の家督相続者以外の子として、
仏門に入っていたが、兄・義輝亡き後、室町幕府最後の将軍として擁立
される。政治的手腕に富み、抜群の先見性と外交力がある。



【今川義元】 片岡愛之助
「海道一の弓取り」の異名を持ち、強大な軍事力を持つ有力戦国大名。
その家柄と参謀・太原雪斎の後ろ盾により、東海最強の戦国武将として、
恐れられた。



石垣に風の匂いと火の匂い  岡谷 樹




【松永久秀】 吉田鋼太郎
永禄7年(1564)の三好長慶没後、三好義継を擁して、三好氏を支
える。三好三人衆と結託して、足利義輝殺害の首謀者ともいわれている。
その後、三好氏は内紛により弱体化、信長が上洛すると、その軍事力の
前に蹴散らされた。先見の明がある久秀は、上洛以前から信長と交信を
していた。大和一国の支配を認められた久秀は、信長の武将として、各
地を転戦するが、元亀3年(1572)信長に反逆する。



四角な金魚 四角なあぶく  内田真理子








【藤吉郎(羽柴秀吉)】 佐々木蔵之介
光秀のライバル。最下層の農民であったが、持ち前の人懐っこさと庶民
ならではの自由さを武器に、信長の家臣として頭角を現していく。信長
の後、家康の前、に秀吉が「麒麟」であったのかも。









【菊丸】 岡村隆史
光秀が美濃で出会う三河出身の農民。神出鬼没で、敵か味方か分からな
いが、常に光秀の危機を助ける。



ひとまずは飛翔ぶと書いてる一行目  中野六助







【駒】 門脇 麦
光秀が京で出会う娘。医師・望月東庵の助手をつとめる 戦災孤児で、伝
説のいきもの・「麒麟」の存在を信じている。



【望月東庵】 堺 正章
京に暮らす医師。今は落ちぶれているが、朝廷や各地の戦国大名などに
不思議な人脈を持つ。生涯に亘って光秀を導く存在になる。大の双六好き。



ごくりと苦い運命共同体  河村啓子

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