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川柳的逍遥 人の世の一家言
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肝心な話はわきにメロンきる  新川弘子





12日目の光秀

 

光秀に関して「謎」が多く様々な形で悪役になってきた。
江戸時代の武家社会では、謀反人というレッテルを貼られ光秀は、
批判されなければならない武将だった。ところが物語の世界に目
を向けると、まったく違う光秀がいる。歌舞伎や浄瑠璃の世界で
は、光秀は、いわれなき虐待を受ける悲劇のヒーローであり、そ
れが判官贔屓の感情を刺激して、次第に魅力的な武将になる。そ
して、小説の世界では、どのように光秀は描かれているのか、ス
ポットをあててみることにした。
(2020年度は「大河ドラマ・麒麟がくるが始まります。今回
は合間合間に明智光秀を書きこんんで行きたいと思います。おつ
きあいのほどよろしくお願い致します。)


ハハツで攻めるかウフツで〆るか  山口ろっぱ







「小説の中の明智光秀」


 高度経済成長期が始まると、織田信長は時代を切り開くイノベ
ーター(革新者)として描かれるようになる。このイメージを広
めたのが、『国盗り物語』(司馬遼太郎)である。信長を「何が
出来るか、どれほど出来るか、という能力だけで部下を使い、抜
擢し、時には除外し、ひどい場合は、追放したり殺したりもする。
すさまじい人事」を断行する武将とした。家臣を信賞必罰で使い
効率を最優先する信長は、大量生産した製品を輸出して国を安定
させた戦後の企業経営者になぞらえている。
これに対し光秀は、足利幕府の復興、古くから伝わる文化といっ
「伝統的な価値観」を重視する武将として描かれている。


古タイヤ夢見るための椅子である  森井克子


光秀には、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、落ち武者狩りに討ち取
られたのは別人で、その後は、徳川家康のブレインを務めた天台
宗の南光坊天海になった、という俗説がある。早乙女貢著の『明
智光秀』である。この光秀は、武士なのに名誉欲、出世欲が希薄
で和香、築城学、軍楽、宗教などに精通した文化人なのである。
暴君が天下人になるのを阻止するため、謀反を起こした光秀は、
その計画が失敗すると、戦乱を終わらせるため家康に接近するが、
その前に光秀を追う堀隼人正がたちはだかるのという、スリリン
グな展開が続く。弱者に焦点を当てる伝奇的な手法を使い、「手
段を選ばず勝ち進む価値観」に異議を唱える光秀が、そこにいる。


ゆっくりとそおっと湯葉の出来上がり  山本昌乃


光秀を主人公に本能寺の変前後を克明に描いたのが藤沢周平の
逆軍の旗』である。信長がわずかな手数だけで本能寺に宿泊する
と聞き、謀反への「酩酊に近い誘惑」にかられたり、満を持して
本能寺を攻めたものの信長の死が信じられず焦ったりと、光秀の
心理は、「実際こうではなかったのか」と思えるほどリアリティ
のある光秀が登場する。


心音に触れたものから回りだす  酒井かがり






津本陽『下天は夢か』は200万部超えのベストセラーになった。
生来、疑い深かった信長。その性格から残忍な行為を数多く行っ
てきたが、自分の兵たちが討ち死にする姿を見て涙を流すことも
ある。処刑、拷問もあまりしなかった信長だが、しかし、それは
信長の若かった頃のことで、40歳の頃から、信長は人は死ねば、
ただの物体になるという考えを持った。そこから天下統一を目の
前にして、彼の残忍な性格が如実に現れてくる。どんなに大きな
力を手に入れても、自分の周りには敵しかいないし、自分に近づ
いてくるものは自分を利用して出世しようと思っている者ばかり。
そのような環境が、信長の性格をより残忍にしていった。孤独故
に自暴自棄になる。
光秀はそうした凶暴な主のもとで、屈辱的な思いもしない仕置き
を受ける、いわば「見ている方向性が違う道具」としてしか、信
長は光秀を見ていなかった。若く美しい森蘭丸に光秀を打擲させ
る場面などは、信長の明智嫌いが顕著にでている。「人生50年、
ゆめまぼろし」と人生観を滲ませた歌は、「人間信長」なのだが。


失った言葉探して日が暮れる  合田瑠美子


池宮彰一郎『本能寺』は、不況で生活苦に喘ぐ庶民を横目に、高
い給与をもらい、天下り先の特殊法人を作って、自分たちの生活
は守った官僚を多くの既得権を持つ公家、座、寺社に重ねている。
「既得権」の打破に乗り出したのが信長で、その方針の重要性を
理解する数少ない家臣が光秀だが、最後には、光秀までも既得権
に呑み込まれていくという、一国の制度を変えるのが、いかに難
しいか、光秀が考えさせ、問いかけてくるのである。


ピンクのリボンに頭をぶつけたよ  森田律子


日本の戦国時代が、ヨーロッパの大航海時代だったことに着目し、
外交の視点で光秀を捉えたのが『天下布武』(安部龍太郎)であ
る。信長の快進撃を支えたのは「鉄砲」だが、火薬の原料になる
「硝石」は輸入に頼っていた。信長はポルトガルから硝石を入手
していたが、ポルトガルはイスパニアに併合され、カトリックの
大帝国を築いたイスパニアも、プロテスタントの新興国オランダ
とイギリスに猛追されていた。アジアに進出してきたオランダ・
イギリスに対抗するため、イスパニアは明への侵攻を画策し、信
長に地上兵力を出して欲しいと打診してきた。この外交交渉を担
当したのが光秀で、硝石の禁輸措置を散らつかせて恫喝するイス
パニアと互角に渡り合う。現在の日本の弱腰外交に光秀が「喝」
を入れる役目を担っている。


思いきり酸素吸いたくなった夜  雨森茂樹






『光秀の定理』(垣根涼介)は、明智一族の長として家族と家臣
を守りたい光秀は、「過酷なノルマを課し、それを達成すれば破
格の待遇を与えるが、失敗すれば、平然と切り捨てる」非常な主
君と知りながら信長に仕え、厳しい出世レースに参加する。ハン
グリー精神の塊のような秀吉、自分の利益のためなら平然と人間
関係を断つドライな細川藤孝など、仕事に対する考え方が違うキ
ャラクターを、ライバルとして登場させることで、光秀が「働き
方改革」の一考察を問いかけている。


余韻は今も「悲しい酒」で呑んでいる  杉浦多津子


光秀が「本能寺の変」を起こしたのは55歳とされてきたが、近
年になり67歳説も出てきた。当時の67歳は、現在では80歳
後半の齢である。『光秀耀変』(岩井三四二)は、少子高齢化が
進み、老後に不安をもつ人が増えている現代日本を写し取った。
謀反を起こす直前の光秀は、戦勝祈願に行った神社で何度も神籤
を引いたり粽(ちまき)を笹の葉ごと食べたりする不可解な行動
をしたとされる。これは凶を告げる神籤だったので、吉が出るま
で引き直したなど。大事を起こす前に動揺する光秀のエピソード
が書き込まれている。これは、まだ子供が幼く傍若無人な信長に
切り捨てられないよう老骨に鞭打って働く光秀は、年金だけで安
心老後が送れるというのが過去の話になり、死ぬまで働き続けね
ばならない可能性が高まっている現在に、リンクさせている。

あの辺であきらめたら楽しい一生だった  神野節子

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