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川柳的逍遥 人の世の一家言
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休みます樹氷を見たくなりました  加納美津子

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       常高寺

「初の遺言」

は心ならずも、姉・と妹・の真ん中に立つこととなり、

どんなに複雑な気持ちで、生き抜いたことだろう。

晩年、初(常高院)は、高次の菩提を弔うため、

また、自らの心のよりどころとするため、

小浜の地に「常高寺」を建立。

没後は、その常高寺に埋葬された。 

初は死んでやっと、自分の安らぎを得ることが出来た。

 

死に顔のうつくしさなどなんとしょう  時実新子

初の遺言には、 

「将来、国替えがあっても、

  常高寺は若狭にとどめ置いてほしい」

 

とあり、彼女が、 

「小浜に強い愛着を持っていた」 
 
ことをうかがわせる。

実際、京極家はその後、出雲・松江に国替えとなるが、

常高寺は残された。

初は、今も、木々に囲まれた静かな墓所から、

「愛する小浜」の地を見守っている。

眼差しを扶養家族に入れますか  蟹口和枝

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    常高寺・初の墓

「遺言状に刻まれた初の姿」

小浜の常高寺には、肖像画をはじめ直筆の書状など、

常高寺ゆかりの品々が伝わる。

なかでも、その死の1ヶ月ほど前に書かれたとされる

遺言書・「かきおきのこと」の写しは、

その人となりを、後世によく伝えている。

わたくしの億光年を束ねます  桂 晶月

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初直筆の書状と肖像画(常高寺)

高次の跡を継いで、

小浜藩主となった忠高(高次の側室の子)に

宛てられた書状では、

常高院に仕えた侍女や小姓など、

実名をあげたうえで、生活や行く末を頼み、

さらには、
三姉妹の異母弟である、

浅井作庵の暮らしをも案じている。

階段の踊り場で手を差しのべる  湊 圭史

作庵は父・長政が自刃した小浜城陥落の折、

命からがら生き延び、

やがて大坂の陣では、

異母姉・淀のもとに馳せ参じ、大阪方として戦った。

徳川に反旗を翻したこの人物は、

当然、徳川から睨まれることになったが、

そこに手を差し伸べたのが、常高院だった。

美しいと愛は同意語だと思う  柏原夕胡

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出家させるのを条件に、

京極家の客分待遇として、500石をとらせたのである。

その遺言状からは、

最期の日まで、

周囲の人々へ温かいまなざしを向ける、

常高院の人柄を偲ぶことができる。

朝露のように岩清水のように  新家完司

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