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川柳的逍遥 人の世の一家言
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泣いた子の記憶ばかりが母にある  森中惠美子

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      徳川家光

「将軍の生母・天皇の姑」

幕藩体制の基盤強化に励んだのが、

二代将軍・秀忠だとすると、

それを完成させたのが、

三代将軍・家光である。

大老・若年寄・大目付・目付などの「幕府機構」を定め、

諸大名には、「参勤交代」を義務づけ、

対外的には、「鎖国体制」を完成させたといわれている。

足は葦を合わせ持ってる屈性  中山恵子

にもかかわらず、家光は、 

「すべて重臣まかせ」、

「馬鹿で頓狂者で、他愛もない人」

 

など、後世の人からも酷評される始末。

お忍びで、市中に出たり、

家来を置き去りにして遠乗りしたり、

男色にふけったりと、奇行も目立ったという。

B面を捨てたときから光りだす  中野六助

そうした性格や行動の一端は、

幼少時代に乳母であるお福(春日局)に、

溺愛されるように育てられた結果かもしれない。

病弱で、気弱な家光を当初、

父・秀忠や母のお江は遠ざけるが、やがて父母とも和解し、

徳川三代将軍として、成長していく。

潮騒の欠片 あしたへ握手する  前中知栄

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      明正天皇

「天皇の姑」

お江が秀忠との間に設けた五人の娘のうち、

末娘の和子(14歳)は、

御水尾天皇(25歳)のお妃となる。

そして元和9年、入内した和子が、

後水尾天皇との間に、興子内親王を出産した。

この興子こそ、その後、奈良時代の孝謙天皇以来、

実に860年ぶりの女帝となる、 

明正天皇であった。

 

尾が生えたのでしなやかに振っている  井上一筒

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和子が、後水尾天皇に入内する状況を描いた屏風絵

≪和子は元和6年(1620年)5月8日江戸城を出発し、

    5月28日に京都に着き二条城に入る。

    そして、6月18日、二条城から御所への行列には、

    武家側は藤堂高虎を総指揮者とし、

    譜代大名が家来を多数つれて従い、また公家衆も多数これに従った≫

和子は、天皇家と徳川家の橋渡しする、

”政治的役割” を担わされたわけだが、

和子入内への道は、決して平坦なものではなかった。

和子入内前に、天皇が他の女官との間に皇子を設けたことで、

徳川方が不快感を示し、

入内の期日を延期してしまったからだ。

秀忠としては、和子が皇子を産み、

自分が天皇家の外戚となることで、

徳川将軍家の地位を磐石にしたかった。

遮断機をくぐって通う道がある  籠島恵子

天皇と和子の仲はどうだったのか。

政略結婚で結ばれた二人ではあったものものの、

その仲は睦まじかった。

例えば、元和7年(1621)12月16日に、

天皇の御所に和子が出向き、ふたり水入らずで、

酒のお酌をし合ったことことや、

和子の装束がよくにあっていることに、

天皇が満足したという、記録が伝わってくる。

まぼろしを剥がしつづけた現在地  たむらあきこ

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  明正天皇像

和子は天皇との間に、2人の皇子と5人の皇女を儲けたが、

皇子はふたりとも夭折してしまう。

そして、和子の長女・興子内親王は、

後水尾天皇が譲位するのを受けて、

寛永6年(1629)に、第109代の明正天皇として即位する。

江は、大御所・徳川秀忠の正室にして、

将軍家光の生母、さらには、

天皇の姑として、
その晩年を迎えることになった。

遣り遂げた夕日黙って山の端に  斉藤和子


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大河ドラマ・「お江」-第45回-「息子よ」  あらすじ

元和2(1616)年、秀忠(向井理)は、年頭のあいさつで、 

「多くの血を流した時代は終わった。

 今年は良き年にして参ろうぞ」

 

と語りかけた。

その言葉に感激した民部卿局(宮地雅子)が気合の

入りすぎた返事をして笑いを誘い、

場は平和な時代の幕開けにふさわしい、

和やかな空気に包まれる。

お笑いの地位の向上委員会  杉本克子

一方で、千(忽那汐里)は夫を死に追いやった父が許せず、

秀忠とは、口も利かない状態。

こっそり化粧をしていた竹千代(水原光太)と、

その姿を目撃した江(上野樹里)の関係も、

ぎきしゃくしたままで、
徳川家はいまだ平和とは言えなかった。

共有の藁が浮いたり沈んだり  中井アキ

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江と秀忠は、竹千代に「なぜ化粧をしたのか」

問いただす。

だが、竹千代はその理由を語らない。

口を閉ざす息子を、 

「戦で皆がつらい思いをしているときに化粧など」

 

と叱る江。すると竹千代は

「戦などやめればよかったのです。

  戦で伯母上たちを殺したのは、父上ではありませんか」

と言い返し、立ち去ってしまった。 

焦ったら負けだと諭す試歩の杖  関口きよえ

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江は、そんな竹千代が、

やはり世継ぎにはふさわしくないと考える。

だが常高院(水川あさみ)は、 

「竹千代の心の中を見てやることこそ肝要」

 

 と江を諭す。

夫と義父の関係に気をもむ優しさを、

「自分の息子にも向けてみては」 という思いからだった。

一方、秀忠は、戦を憎み、父に反発する竹千代に、

かつての自分を重ね合わせていた。

本心を見せないために笑ってる  西内朋月

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そんな折、

鷹狩りを楽しんでいた駿府の家康(北大路欣也)が病で倒れ、

それを伝える知らせが、秀忠と江のもとに届く。

だがよく聞くと、家康は回復に向かっているとのことで、

2人はひと安心。

それでも江は秀忠に、家康を見舞うよう提案する。

迷ったら基準は空と決めている  山口美千代

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江は、互いに心を閉ざしている夫と義父が、 

「この機会に腹を割って話をしてくれれば」
 
と考えたのだ。

かくして、駿府に駆けつけた秀忠。

しかしいざ父親と顔を合わせると、

なかなか打ち解けた話ができない。

そうこうしているうちうに、江も駿府にやってきて、

つかの間、3人は不器用ながらもともに穏やかな時間を過ごす。

ところが、家康の病状が再び悪化して・・・。

自信家の語尾少しだけふるえてる  三村一子

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