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川柳的逍遥 人の世の一家言
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まんじゅしゃげ 端はあの世かあなたかな  河村啓子


               留魂録

「留魂録」は、それを読んだ長州藩志士達のバイブルとなり、

松陰の死自体とともに明治維新へと突き進む原動力の一つとなった。

「高杉晋作への手紙」

松陰が留魂録を綴る前に、「男子の死ぬべきところはどこか?」

 との、高杉晋作の問いに獄中の松陰は、次のように答えた。

「死は好むべきものでもなく、また憎むべきものでもありません。

 世の中には生きながら心の死んでいる者もいれば、

 その身は滅んでも魂の生き続ける者もいます。

 死んで己の志が永遠になるのなら、いつ死んだって構わないし、

 生きて果たせる大事があるのならいつまでも生きたらいいのです。

 人間というのは、生死にこだわらず、

   為すべきことを為すという心構えが大切なのです

この首があるなら終の仕事する  福尾圭司



"身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも  留置まし大和魂"
                       
「留魂録」は、この松陰辞世の句から始まる。
留魂録は吉田松陰が処刑二日前に書き起こし、
前日夕刻に書き終えたとされる(松陰の)死生観である。

『留魂録』ー〔第七章〕

私は、このたびのことで最初から生を得ようとは考えなかった。

また、死を求めたこともない。

ただ、自分の誠が通じるかを天に委ねてきた。

7月9日、取り調べを行った役人の態度からほぼ死を覚悟した。

ところが、その後の9月5日、10月5日の二度の取調べが、

寛容なものだったために欺かれ、

ひょっとしたら死罪を逃れることができるかと思い、これを喜んだ。

これは、私が命を惜しんだのではない。

生き残った蝉はいないか見て回る  新家完司

しかるに6月末、江戸に来て、外国人の様子を見聞きし、

7月9日、獄に繋がれたてからも、天下の形勢を考察するうちに、

日本の為に私が為さねばならないことをがある と悟り、

ここで初めて生きたいという気持ちがふつふつと湧いてきたのである。

私が死罪とならない限り、

この心にわき立つ気概は、決してなくなることはないだろう。

しかし、16日に行われた調書の読み聞かせで、

裁きを担当する三奉行がどうあっても、

私を処刑にせんとしていることがはっきりし、

生を願う気持ちはをなくなった。

私がこういう気持になれたのも、平素の『学問の力』であろう。

こめかみのあたりで冬を受けとめる  笠嶋恵美子

   (画面をクリックしてご覧ください)

「留魂録」ー〔第八章〕

今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、

春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。

つまり農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、

秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。

秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、

酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。

この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者が、

いるというのを聞いた事がない。

晴れたら夢を曇れば愛を贈ります  板野美子

私は三十歳で生を終わろうとしている。

未だ一つも事を成し遂げることなく、

このままで死ぬというのは、

これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、

実をつけなかったことに似ているから、

惜しむべきことなのかもしれない。

だが、私自身について考えれば、

やはり花咲き実りを迎えた時なのであろう。

なぜなら、人の寿命には定まりがない。

農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

いつか死ぬけれど今日ではありません  笠原道子

人間にもそれに相応しい「春夏秋冬がある」と言えるだろう。

十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。

二十歳には自ずから二十歳の四季が、

三十歳には自ずから三十歳の四季が、

五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、

夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。

百歳をもって長いというのは、

霊椿を蝉にしようとするような事で、

いずれも天寿に達することにはならない。

あちこちに自分の傘が置いてある  吉井はつえ

私は三十歳、四季はすでに備わっており、

花を咲かせ、実をつけているはずである。

それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは、

私の知るところではない。

もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、

それを受け継いでやろうという人がいるなら、

それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、

収穫のあった年に恥じないことになるであろう。

同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。

落ちてゆく雫わたしのかたちして  八上桐子



〔かきつけが終わった後にー5首〕

心なることの種々かき置ぬ 思ひ残せることなかりけり

呼びだしの声まつ外に 今の世に待つべき事のなかりけるかな

討れたる吾をあわれと見ん人は 君を崇めて夷(えびす)払へよ 

愚かなる吾をも友とめづ人は  わがとも友とめでよ人々 
           えびす   はら
七たびも生きかえりつつ夷をぞ  攘はんこころ吾忘れめや

                                                    十月二十六日黄昏に書く 二十一回猛士

(もう思い残すことはなにもない 役人の呼び出しの声を待つほかに、
  今の世の中に待つべきことはない 
  処刑される私を哀れと思う人は、
  天皇を崇めて外国人を追い払ってほしい。

  愚かな私を友としてくれる人は、諸君で結束してほしい 
  7回生き返ろうとも外国を追い払うという心は、私は決して忘れない)

松陰もやはり人間であった。
5首の句から、松陰の今世への未練が伝わってくる。
そして10月27日、伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処される。
享年30

追伸に雨と寒さがはみ出して  墨作二郎



「古川薫氏 評」
「過去、私は吉田松陰の評伝も書いてきたが、
多面的で巨きなこの人物の全体像を浮かびあがらせるのは、
いかようにしても私ごときには至難の業である。
むしろ、『留魂録』の原文をじっくり読むことが、
松陰理解への早道であるかもしれない。
歴史を動かした大文章に凝縮されたひとつの人間像をとらえるのに、
その五千字が短すぎるということはないだろう」

言い足りぬくらいで終わることにする  小出順子

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