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川柳的逍遥 人の世の一家言
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わたくしの余白貸します月極めで  きりのきりこ





                                       「往   来 物」
往来物は主として手習いに使用される。いわば当時の教科書である。
蔦重は往来物の出版を手掛け寛政期前半まで毎年のように新版を刊行し続ける。
往来物は、相対的に価格が一冊4文程度の安く設定されているので、利は薄い
ものの長く摺りを重ねられ、売れ行きの安定した商品である。





      『夏柳夢睦言』 (松浦史料博物館蔵本)
  





 新たな分野へ一歩進むことへ蔦重は、経営を下支えするような株を確保する
ことに意を持ち続けていた。安永7年(1778) に富本の株を取得し、正本・稽古
本の出版を始める。
この段階での版株取得は、まさに時宜を得たものであり「富本正本・稽古本の
出版、往来物」など、地味ではあるが、経営の一角を支えるものとなる。
正本とは、初演時に発行されるもので、共表紙で表紙には、その浄瑠璃による
所作事の場面が描かれる。




北風とみの虫ほどの生きる知恵  大槻和枝





 『色時雨紅葉玉籬』 (松浦史料博物館蔵本)
稽古本は薄い藍色である縹色の表紙をつけた。俗に青表紙と呼ばれる。





蔦屋重三郎ー富本・稽古本





             富 本 牛 之 助




「富本節」江戸浄瑠璃豊後節の一つである。
江戸の芸能界を支えた人物の一人として富本牛之助がいる。
牛の助は、父・富本豊前太夫の実子で、その才能を受け継ぎ(1770)には、富本
豊志太夫を襲名。この美声の人気太夫の登場が、富本節に流行に火をつけた。
そして、安永後半期より、狂言作者・桜田治助の詞章による、道行き浄瑠璃の
大当たりが続いて富本節は、全盛期を迎えた。
当時の芸能界で名を馳せた牛の助の特徴は、美しい語り口と独特の節回し、
そして、もう一つ有名なのがそのご面相。
顔が面長だったことから「馬づら豊前」というあだ名で親しまれた。
江戸の庶民たちは、牛の助の浄瑠璃の語りをうっとりと聴きながら、その風貌
にも親しみを感じていたのである。




右肩にいつも乗せてる福の神  宮井元伸




富本節は、繊細で上品な節回し、豪快で力強いとは異なり、静かに語りかける
ような柔らかな旋律で、江戸の町人文化のなかでも、特に粋を重んじる人々の
間で人気を得た。
歌舞伎の伴奏音楽として使われ、特に、江戸の芝居小屋では、舞台の情感を盛
り上げる役割を果たし、顧客を物語の世界へと誘ってくるのである。
芝居小屋だけでなく、座敷での演奏としても、庶民の娯楽にもなった。
浄瑠璃は、単独で楽しむだけでなく、歌舞伎や人形浄瑠璃と深い関わりを持っ
ているほかに、商人や町人たちは、茶屋や宴席で三味線とともに語られる富本
節を楽しみ時には、自ら習うこともあったという。





                 富本豊志太夫(午之助)(寛一郎)




【べらぼう11話 ちょっとあらすじ】
『青楼美人合姿鏡』が高値で売れず頭を抱える蔦重(横浜流星)は、親父たち
から俄祭りの目玉に、浄瑠璃の人気太夫・富本豊志太夫(午之助)(寛一郎)
を招きたいと依頼される。りつ(安達祐実)たちと芝居小屋を訪れ、午之助
俄祭りの参加を求めるが、過去に吉原への出入り禁止を言い渡された午之助は、
蔦重を門前払いする。




ほおづきが津軽三味線奏でるし  酒井かがり




太夫の「直伝」
-----絵草紙屋に行くと、浄瑠璃の歌詞とメロディーが書かれた「正本」を見せら
れます。正本は浄瑠璃を嗜む人の教本の役割もしています。
その中でも、太夫の許可をとって出版している「直伝」がよく売れるとのこと。
芝居小屋で、馬面太夫こと富本午之助を鑑賞し、声の素晴らしさ、世界観などに
衝撃を受ける蔦重
さらに出待ちには、ファンが押し寄せ、太夫はスターの輝きを放っていました。
そこに鱗形屋(片岡愛之助)が現れます。
太夫公認の「直伝」が出版されていない富本節。
馬面太夫には「富本豊前太夫」を襲名する話があるとのこと。
その機会に「直伝」を出せれば…と、蔦重は考えます。




宴たけなわこそばゆい程今ピンク  山本昌乃




後日、小田新之助(井之脇海)の屋敷に訪れてみると、屋敷では、平賀源内
(安田顕)が「エレキテル」を修理していました。
蔦重は、馬面太夫との仲介を源内に頼みますが、源内はエレキテルに夢中です。
馬面太夫の吉原嫌いは、売れていない頃に素性を隠して若手役者・二代目市川
門之助と吉原の若木屋で遊ぼうとした際、バレて、二度と来るんじゃねえぞと
追い出されたことが原因だという話です。
役者が吉原で遊ぶのはご法度、ですが、太夫は役者ではありません。
そんな折、他流派の横槍が入り、太夫の襲名の話が流れてしまいました。




ポケットに心機一転メモのまま  市井美春




瀬川(小芝風花)が嫁いだ鳥山検校(市原隼人)が、浄瑠璃の元締めだと聞い
た吉原の主人たちは、頼みに行くことにします。
瀬川は鳥山検校の妻となり「瀬以(せい)」と呼ばれています。
久しぶりに顔合わせた瀬以と蔦重
その親しげな様子に嫉妬を覚えた鳥山検校は、瀬以にカマをかけてみます。




四つ角を右に曲がったばっかりに  津田照子





 門之助(濱尾ノリタカ)




吉原での接待
襲名の件は、やはり他流との手前もあり、簡単ではなさそうです。
蔦重は、太夫門之助を偽名で座敷に招き、ずらりそろった女郎とともに迎え、
かつての非礼を詫び、宴席を設けました。
外に出られない吉原の女たちは、本物の芝居も見たことがなく、富本節も聞い
たことがありません。
「最後に富本節を聴かせてほしい」という訴えを聞いた太夫は、
自分の歌と門之助の舞に涙する彼女たちの姿を見て、
「こんな涙を見て断る男がどこにいる」と、吉原の祭り「俄」に出演すること
を決意しました
そこへ検校から「襲名を認める」という文が届きます。
蔦重はすかさず「直伝」の出版許可を頼み込みました。




抜け道を探す発狂したふりで  森田律子




 
     恋川春町(岡山天音)




鳥山検校の屋敷では、瀬以が、検校に感謝の言葉をかけています。
芝居小屋の出待ちに、鱗形屋が来ています。
馬面太夫を追いかける鱗形屋は、「富本節の直伝を耕書堂から出すことを考え
直してほしい」と訴えます。
耕書堂は、地本問屋とトラブルを抱えているため、市中で売り広げられなくな
るという鱗形屋の主張に、馬面太夫は「義理が大事」と返します。
鱗型屋が浮かない面持ちで店に戻ると、倉橋格(恋川春町)が鱗形屋の次男・
万次郎に絵を描いてあげていました
小松松平家の武士である倉橋格は、家老がひどいことをしたという理由だけで
謝礼がろくに払えない鱗形屋に『金々先生栄花夢』を書き、次の原稿も持って
きていました。
倉橋格(恋川春町)の男気に救われた鱗形屋は、このまま「青本」に力を入れ
ていきます。
そして、蔦重「富本正本」に注力してくのでした。




まだ少しかじかむ指に花菜漬  前中知栄

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茶助
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