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川柳的逍遥 人の世の一家言
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おとがいはひねもす春の海になる 河村啓子


(画像は拡大してご覧ください)
式亭三馬の『浮世風呂』に描かれた湯屋

 
「詠史川柳」 江戸の景色ー5  湯屋
江戸に「湯屋」が初めて誕生したのは、天正19年(1591)のことである。
寛政の時代に入ってからは「銭湯」ともいう。
錢瓶橋(ぜにがめばし)のたもとに伊勢出身の与一が永楽銭一文で入浴
できる「蒸し風呂」を開いたのが最初だった。
大きな釜湯を沸かして蒸気を密室へ引き込み、その熱と湿気で垢が浮いて
くると、別室に出て垢をかき落して水で流す式である。
しかし、江戸は火事が多く、幕府は火を出したものは死罪と定めたから、
江戸では、庶民だけではなく、豊かな商人も内風呂を作らなかった。

 
浴びるには少し足りない盥の湯  杉浦多津子

 
江戸は風が強く、埃のたつことが激しいので毎日入浴する習慣がある。
ところが武家屋敷には浴室があって、主人や家族は屋敷内で入浴するが、
そのほかの江戸の家では、大町人の家でも浴室を持たない。
宿屋でも、客は銭湯へ行くのであり、大町人の女房や娘でも銭湯へ行く
のを恥としない。火事を恐れ、また江戸は水が不自由だったからである。
下町は家康の江戸入城後、埋め立てられた土地で、良質の水を得ること
は難しく、同時に山の手は、江戸の俚諺で譬えて「麹町の井戸」という
ように、水脈が深くて水に不自由をしたのである。
江戸に井戸が整うのは200年後の化政時代まで待たねばならならず、
そのため湯屋の数は、増える一方だった。

 
裸婦像が画布を出たがるので困る  青砥たかこ

 
文化5年(1808)には、523軒、文化11年頃には、600軒余
の銭湯が出来た。が、江戸の町方の人口は、50万人を超え、町数は、
1200余町。ほとんどの町人が銭湯を使用しており、しかもほとんど
が毎日入浴したというのだから、銭湯の数は足らない。
そのため、銭湯の新規開業を願う者は多かったが、幕府は、銭湯が火を
焚く商売であり、火災の多い江戸では、火災防止上から無制限に営業の
許可をしなかった。

 
  
蒸しタオルの中途半端な正義感  森田律子



 
が、寛政2年(1790)に少し前向きなお触れが出される。
1、新しい湯屋を開業したいという願いは従来許可しなかったが、
  今後は軒数に応じて許可することにする。
1、江戸城周辺の建て混んでいるところは、二町を限り一軒を許可する。
1、場末の町では、両側町の場合は四町を限り一軒を、片側町の場合は
  五町を限り一軒を許可する。
1、女客専用の銭湯についても、前の二項に述べる通りである。
  ただし男女入込み(混浴)の湯屋の場合は、日を分けるとか、時間を
  分けるとかして女客を入浴させれば、風俗を正しくすることにもなり
  また女湯が少ないことへの対策として、一町に一軒を許可する。
  川柳にも、山の手の湯は女人とて隔てなし と詠まれた。
(やがて湯屋は蒸し風呂形式から、湯船形式が主流になっていく)

 
うどんでも食べて帰ろかこんな日は 都司 豊



   石 榴 口

 
江戸の湯屋は、入口で番台に入力料を払って、土間から履物を脱いで、
板の間へ上がる。そこは脱衣場である。ここで裸になって服は脱衣棚に
入れて先へ進むと、洗い場が現れる。
その奥の間が「湯船」のある浴室なのだが、洗い場から浴室への入口を
「石榴口」と呼び、唐破風型などの屋根とその下に大きな板を貼りつけ、
鴨井板の下に狭い隙間がある形状になっている。
客はそこからかがんで浴室に入らなくてはならない。
蒸気や湯気を逃がさないために、そうした構造になっているのだ。
浴槽は石榴口より10㌢高く、浴槽の中に沈めば板の間は全くみえない。
因みに浴槽の広さは九尺四方というから、約3㍍四方で狭く、
常に、ごったがえした様子が想像できる。
(因みに、入浴料は大人10文(200~250円)子供6文程)


傷跡のふたつみっつを撫でながら  合田瑠美子




  湯 船

 
入口や脱衣場は男女別々なのに、浴室は一緒になっていることが多い。
湯船を二つ作るには、釜も二つ誂えなければならないので、経済効率の
ためだったとされる。
こうした混浴を「入込み湯」と呼ぶが、浴室には灯や天窓はなく、
密閉されているので互いの姿が見えないほど暗い。
だから浴室入って来た者が先客にぶつかると、身体が冷たいので相手を
驚かせてしまう。このため石榴口をくぐるときは、「冷えもんでござい」
などと声をかけて入るのがエチケットであった。
 石榴口人を呑んだり戻したり 
そんなところから、次のような江戸小咄も生まれる。
※ 田舎客を銭湯へ連れて行ったときのこと。
「冷えもんでござい」と石榴口へ入ると、後から田舎客がそれを真似て
「わしは江州の多左衛門でござります」
 
今日の心は45度でちょうどいい  山口美代子

『東京名所三十六戯撰 芝飯倉』

 
江戸の銭湯には、男湯に限って、湯代とは別料金で12文払えば、
「二階座敷」を利用することが出来た。。
「皇都午睡」に二階の様子説明をしてもらうと、
『番台の傍らに、二階へ上る大段階子有り。
二階は男湯のみにて、高欄付き、二階より往来を見おろす。
座敷には隔てなく、碁将棋の席屋に似たり。
中央に二階番頭が居、白湯を釜にたぎらせ、客の顔を見れば、煮花を拵え
持ち来る。前に菓子、羊羹など重に入有。爪切、鋏、櫛など傍に置有。
贅沢者は、ずっと這入って二階へ行。二階に着物脱入る戸棚あり。
これへ脱ぎ、湯代と手拭を持ち、階下を下りて銭を置き、入湯して二階へ
上って、ゆるりと躰を乾かす。
茶を持ちくる。菓子を喰う、茶を飲み、爪を切って、ゆるりとして着物
を着る…茶店で休まんよりはるか安上がりにてゆるりとす。
勤番の侍衆、近辺の若者などはこの二階にて遊び、碁将棋盤が有りて、
温泉湯治場の如し』とある。
(煮花とは、煎じたての香り高い茶)
 

人生のロスタイムからファンファーレ  斉藤和子



 
二階にいる番頭は最古参の者で、二階で払う金は、彼の収入となった。
このため番頭は、客が喜んで二階に上って来てくれるよう、
さまざまなサービスを提供した。その一つが覗き穴や遠眼鏡の用意だ。
これを用いて階下の女湯を覗かせるのである。
時折、二階の座敷では、講談や浄瑠璃、落語なども催された。
師匠を招いて生け花や囲碁の教室を開催する湯屋もあった。
壁には料理屋や薬屋、寄席の広告があちこちに張り出されていた。
こうした湯屋の二階で男性客はゆったりと寛ぎ、今でいうところの社交
サロンのように歓談に耽っていたのだろう。江戸時代の湯屋は、いまの
スーパー銭湯のような総合娯楽施設でもあった。


 
神さんがくしゃみしてはる間に悪さ 居谷真理子




湯女が男の背を流す洗い場
話は石榴口の先の洗い場へ。
男女共用の洗い場では、男は褌、女は湯文字(下着)をつけているのが
一般的。江戸時代初期には、洗い場には湯女(ゆめ)と呼ばれる女性が
いて、客の垢を巧みに素手でかき取り、背中を流してくれるサービスが
あった。髪を洗ってくれ、櫛で髪を梳いて紐で結んでくれた。
その上、求めに応じて性も売った。こうした状況に幕府は、風紀を乱す
という理由で、明暦2年(1656)に湯女を厳禁。
500余人の湯女を捕まえて吉原に強制移送した。
以後、湯女は完全に廃れ、代わって三助という男が客の背を流すように
なった。


 
自然体もいいけど骨なしになるよ 安土理恵



 
入浴客は、浴槽を出ると、流し板で糠袋を用いて体を洗う。
糠袋とは袋のなかに糠をいれたもので、客は袋を持参し糠は番台で買う。
番台は入浴に必要なものを売ったり貸したりしてくれる。
手拭や爪切り鋏も貸してくれたし、膏薬や水虫の薬まで売っていた。
仏壇仏具コロッケも売ってます  井上一筒 

 
いずれにせよ、湯屋では老若男女、貧富貴賤が入り交じり、さまざまな
会話がなされた。
そのため町奉行所の与力は、湯屋で最新の情報を入手した。
ただ顔が割れてしまっているので、なんと彼らは、女風呂に入って壁越し
に男風呂の会話に耳をすましたのである。
そう、与力は朝の女風呂に入る特権を持っていたのだ。
もともと女は早朝、湯に入る習慣がなかったので、こうした与力の行動が
可能だったのである。
このため女湯には、与力のための刀掛がしつらえられていたという。
ここだけの話が三日で洩れてくる 木村良三

 
「詠史川柳」
五右衛門の処刑


≪石川五右衛門≫

 
五右衛門は生煮えの時一首詠み    
 
石川五右衛門は、安土桃山時代の泥棒の首領。
実在の人物で、京都三条河原で「釜茹での刑」に処せられたのも史実。
その時に「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽くまじ」
という辞世を詠んだと伝わります。主題句は此の事を詠んだもので、
煮えたぎった油の中で絶命する前、生煮えのうちにに一首詠んだという
のですが、ここらはさすがに作り話。



芋ならばさして見るころ五右衛門歌
 

 
芋は頃合いを見て、串をさして芯まで煮えているか確かめます。
五右衛門は芋なら串を刺してみる時分に辞世を詠んだというのです。
白波の居風呂桶に名を残し
 

 
「白波」「盗賊」の意味。「居風呂桶」(すえふろおけ)は、
かまどを作りつけて、湯をわかし入浴するのに用いるもので、
これが「五右衛門風呂」。五右衛門は風呂にまで名を残したのだという。



無いとアカンのでしょうかキャラクター  雨森茂樹

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